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雑感記録(3)

僕は常々、思うことがある。

所謂、自称「読書好き」を公言する人について。

僕はインスタを自分の思考の整理の場として使用しています。

「インスタ映え?クソ食らえ」ぐらいの気持ちで

刺さる人にだけ刺さればいいや…ぐらいの気持ちでやっています。

その中でいいねをくれる人の6割ぐらいが

自称「読書好き」という人々だ。

別に読書好きを公言することに対して何も思わないし

別にそれは各人の自由だから何も言いたくはないのだが

「こいつだけはマジで許せん…」という方々がしばしばいます。


それは、「年間に◯◯冊読んでます」「今年は◯◯冊読みます!」

「月に◯◯冊読んでます」「◯◯冊読破!」…などなど

そういった文言をプロフィールに掲げている輩だ。

僕からしたら、こういう人たちは本当の意味で読書してないな

って常々思ってしまいます…というか事実そうなんだろうなと。

数の論理に縛られた、ある意味で悲しい人たちだな

と思いながら僕は哀れみの視線を向けています。


多分、こういうことを書いてる人たちというのは

結局のところ「何を読んで、何を感じたか」よりも

「とにかく量を読むこと」が大切な人たちであって

一種のステータスとして、誇示したい人たちなんだなって…。

そもそも、読書が本当に好きだったら

何冊読んだとかまず考えない。気が付いたら結構読んだな…

ぐらいの感覚だと思うんだよなあと。

嫌みを言うわけではないんだけれども

大抵、こういうことを標榜している人たちが読んでる本の多くは

浅そうなハウツー本や自己啓発本とか

何だか薄っぺらなもの読んで「心動かされた」とか言って

さも「俺、読書してるだろ」感を出している。

恥ずかしいと思わないのかねえ…

というか、これを堂々と恥ずかしげもなく言えるのが凄い(笑)


僕からしたら

同じ本を何回も何回も読み返す人の方が凄いと思う。

そこまでのものに出会えたってことでしょ?

これこそ読書の醍醐味だと思うんだよな…。

ちょっと話が飛躍しすぎちゃうんだけど

純文学っていうジャンルがオワコンになった要因の1つだと

僕は思っちゃうんだな。

大衆小説(っていう風にジャンルを別にするのは嫌なんだが…)が

所謂、「消費される小説」みたいな立ち位置で

つまり、何回も読むのでなくて

「はあ、楽しかったな~」で終わってしまうから読み返そう

ってなるのは滅多なことがない限り、あり得ないんじゃないかな?

まあ、そこは人によってそれぞれだけど…

少なくとも、僕が偉そうに言えたことでは全く以てないのだが

双方の質の低下っていうのがあるのかなあ…なーんて。


とにかくだ

僕は真に読書が好きであるならば

読んだ冊数とか実際問題、どうでもいいことであって

そこにこだわってる人は

ただ良く見せたいだけの人なんだと思う。

ハッキリ言おう。

そんな薄っぺらな自己紹介ほど恥ずかしいことないから辞めな、と。

よしなに。

ちなみに、この本は何回も読みなおす本のうちの1冊だ。

オススメなのでぜひ。

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