障害を個性や長所に置き換える事に対する違和感
世間では、『 障害を個性に』や、『 障害を長所に』『 障害を強みや武器に』などと言う言葉が広まっています。
そんな私は、ADHDにASD、二次障害があり、当事者の自分から見て、その言葉に強い違和感があるのです。
脳内多動により、あれこれ考え事が止まらず、時間の管理やキチンと物事をこなす事が苦手です。
私は、脳内で連想ゲームが止まらなかったり、過去のことや未来を考えたり、空想や妄想にひたり、肝心なタスクが抜けてしまうことがあります。ボーとし、今まで、物忘れも少なくは無いです。
例えば、見たものを記憶に留めて置くのが苦手です。
細かい部分を注視するのが苦手で、正確に入力することが出来ないこともあります。
パスワードを忘れてしまったり、パスワードを何処に保存したのか分からなくなることもあります。
待ち合わせ日時を間違え、習い事や部活動で周りに迷惑も掛けてしまいました。
また、空気の読めなさや人の輪に溶け込めなかったり、真新しい物事や想定外の物事に、強いパニックや癇癪を起こしました。
人間関係でも、嫌がらせや仲間はずれ、孤立など…それなりに苦労をしてきました。
そして、今まで二次障害から、鬱や情緒不安定、強い不安感、HSP傾向などで、益々社会に順応出来ずに苦しんできました。
大学の時は、バイトは中々決まらず、決まってもすぐクビ…
社会人になったら、尽くお荷物扱いでクレームが来たり解雇の連続でした。
人付き合いも、二次障害の特性により不器用で上手くこなすことが出来ません。
今の自分は、障害者雇用で雑務的な仕事が多く、障害さえなければ、みんなのようにコミニケーションや要領良く物事をこなすことができ、それなりに稼げているのにな…と、悔しい惨めな思いで一杯です。
そんなことで、子供時代から今に至るまで周りに迷惑を掛け、苦労の連続でした。
恋愛も交友関係も上手く行きませんでした。
私の他にも、障害により悔しい惨めな思いを沢山してきた当事者や、障害さえなければ、可能性が拡げられたのに…と、思っている当事者がが多いかと思います。
ですので、私はどうも、障害を個性として見なすことは出来ませんし、『 障害は個性』『 障害を長所に』『 障害を武器に』などと言わ言葉は、ある意味残酷な言葉だよな…と、言うのが私の感想です。
才能のある障害者ばかり取り上げられて、注目されているから、そう言った励ましの言葉が出てくるのだと思いますが、大抵の障害者は凡人であります。
「今まで良く頑張ってきたね」「大変だったね」「苦労してきたんだね…」などと言う言葉の方が、当事者としては、気持ちが救われる、軽くなるのだと思ってます。