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_leaf
見えない障がいの言語化していく必要性と、その煩わしさ。
今日、定着支援の面談があった。
兎に角、言語化して伝えることが多くて大変だった。
脳の障がいは、傍から見たら健常者と見分けがつかない。
目は普通に見えるし、耳も聞こえる。
手足は自由に動かせる。
まず、自分からどういう障がいがあるか、伝える所から始まる。
遠慮していたら、相手に伝わらない。自分自身の口で、困り事の詳細を伝えないといけない。伝えたところで、分かって貰えない時もある。
それが、非常に疲れる。変に思われるかも、困惑されるかもと、遠慮してしまう部分が大きい。特に、ASDや精神障害は、恥ずかしくて言いづらい。
だが、見えない障がいだと、逐一詳細を言語化していかないと分かって貰えない。
我慢することになるし、相手も困り果てる。
例えば、『 ○○さん、不自由そうだと思いますが、大丈夫ですか?こういうこと、困ってませんか?』
なんてことは、聞かれない。
遠慮して何も言わないと、大丈夫だと認識される。
それに、障がいが判明するまでは、自分はポンコツな健常者だと思っていたし、職場で苦労してきた。トラウマも蓄積されてきた。
自分の障がいは、兎に角、面倒で厄介で煩わしい。
「目に見えない障害」って本当に厄介。
— あい (@ainozo_kyodai) May 10, 2023
見た目は元気。発作であまりにおかしいときもあるけど、逆にそれ以外はどれだけ心の中が荒れてても普通に見える。しんどいって言わないと伝わらない。でも言えない。