神様との約束【3分小説】
「ぼくには生まれる前の記憶があるんだ」
ブランコに座ってゆらゆらと動かしながら、ユウくんは清々しく打ち明けた。泥まみれになった制服をまとい、顔には痣や傷ができていて、見るからに痛々しそうだ。
ぼくは冗談としか思えないユウくんの言葉に、「え?」としか反応できなかった。
「生まれる前の記憶」
「生まれる前って、前世ってこと?」
「うーん、前世ってわけでもないんだよなー。生まれる前」
何度言われてもいまいちピンとこない。
ユウくんと同じようにブランコに腰かけたまま、暮れゆくあかね色の空に目を移した。蹴られた太ももがズキッと疼く。
「生まれる前に誰かと喋ってるんだよね。たぶん神様なのかもしんないけど」
「神様?」
「いや、たぶんだよ。声だけしか聞こえなかったんだ。ぼんやり誰かと約束した記憶がずっと残ってるの」
「へぇ。どんな?」
「なんだかね、ものすごく苦労する人生を歩むんだって。何をどうしたって避けられないの」
「ええ? 本当に?」
「うん、神々しい声でね」
ユウくんはその場面を思い出して、クックッと笑った。
「絶対イヤじゃない、そんなの」
「イヤだよね。イヤなはずなんだけど、なんか納得してんの、ぼく」
まるで他人事のように、ユウくんは愉快そうに笑った。ユウくんとこうしてボロボロになりながら話すのは何度目だろう。
ぼくは中学校に入って、同級生からいじめの標的にされていた。悪口を言われ、嫌がらせ受け、暴力を振るわれた。その現場にはなぜか、決まってユウくんが現れる。
ユウくんはいじめる奴らを打ち負かすヒーローというわけではない。わざわざ巻きこまれにやってきて、一緒になって悪口を言われ、嫌がらせを受け、暴力をふるわれるのである。ユウくんも根っからのいじめられっ子で、いじめられ友達と言えた。
ぼくはユウくんの行動が不思議でならなかった。いじめられる辛さを味わっている身としては、わざわざいじめを食らいに行こうという気は起こらない。仮にぼくがいじめの現場に遭遇したら、ひっそりとその場から立ち去ってしまうだろう。そんな自分の弱さを打ち明けつつ、なんでそんなことができるのかと訊いたら、『生まれる前の記憶』の話になったのである。
ユウくんは神様とやらが話した通り、不幸をかき集めたような人生を送っている。
貧しい家庭に生まれ落ち、父親は酒びたりで、母親は体を売っていた。家はかろうじて雨風だけがしのげる6畳一間。風呂はなく、トイレは共同。部屋には小さな冷蔵庫と小さなちゃぶ台があるだけ。そんな家にやがて母親は帰ってこなくなった。夫に愛想を尽かし、ユウくんを捨ててどこかへ行ってしまったと言う。働きもせず酒に明け暮れていた父親も、窃盗を繰り返した挙句、橋から川へ落ちて死んだらしい。
両親を失ってから児童養護施設に入り、そこから学校に通うようになった。
ユウくんは小学生の時から勉強はからっきしで、運動もさっぱりだった。なにをやっても不器用で、日常生活でヘマばかりし、そのせいで同級生からいじめを受けるようになったのだそうだ。それだけの苦労を強いられながら、ユウくんは全てを受け入れているように見えて、ぼくは思わず訊きたくなった。
「辛くないの?」
ユウくんはあっけらかんと答える。
「辛いよ。でも辛くないと意味がないんだ」
「どういうこと?」
「ぼくはきみたちの悲しみや苦しみを分かち合うために生まれてきた。ぼくはこの先、どんなに努力をしても報われることのない底辺で生きる。きっと、大人になってもそんな人生だろう。そういうさだめなんだ。ぼくがどん底にいないときみたちと分かち合えないだろ? それが生まれる前に神様と交わした約束なんだ」
ユウくんは照れ臭そうに笑った。
ぼくは首を横に振って呆れるように笑いながら言った。
「ユウくんはおかしいよ。そんな約束なんて、ぼくならごめんだね」
「前世でとんでもない悪さをしたんじゃないかな。地獄に落ちるよりマシだったんだろう。それに悪いことばかりじゃないよ。こうしてきみの取り巻く闇が薄らいでいくのを見ると、生きてる価値があったなって思うんだ」