違和感の正体
「お風呂掃除したら50円もらえるんだ」
これは小学生時代に駄菓子屋で聞いた話だ。
グランス少年は親が共働きで、お風呂掃除・洗濯・掃除・調理は普通にしていた。なのにお小遣いというか対価はもらえなかった。
言ったら多分怒られる。
それが勝るからだろう。ただ指をくわえてみているしかない。
外で遊んでも楽しくないし、親が帰って宿題していないと怒られる。
全ての軸が怒られるだった。
友達からはつれないなと言われ、それでも我慢して親の言う事を従順に聞いた。
それが生きる術だと自分で思い、仕事でのイライラをぶつけられても、母がお酒を飲みながら愚痴っても、父に理不尽に手を出されても、明るく振舞いピエロを演じるように、耐えた。
いつか…何かが変わる…そう信じて待つしかなかった。
私がよく言う「大切にしてくれる人は、ちゃんと大切にする」は外へ救いを求め、その時優しくされると、いつもきつい反動で、嬉しくて嬉しくて。
だからこそ、一生懸命大切にしたいと思うんですね。
なので、小さなときから大人びた子を見ると、そう振る舞ってるだけじゃないかって勘繰ってしまう。
親の言う事を聞いていたら、幸せになれると思っていた。
それがすべてだと思ってた。
殴ることはしつけだと思っていた。
震えても苦しくても我慢した。
こうして、裏切られたというか、現実を知った結果…小さなもう一人の僕が誕生した。