また、のび太のやつが!「ドラえもん、のび太の新恐竜」
閲覧ありがとうございます。今日は、ドラえもん映画「のび太の新恐竜」についてのコレアレを書いておこうと思います。わたしは、ゴジラ、ドラえもん関連には、ジャイアン目線になりますので、よろしくお願いいたします。
ストーリーを、ざっと書いておきますと、ある日、
逆上がりができないのび太が、恐竜化石展に行き、卵の化石をいつものように家に持ち帰り、恐竜を誕生させようとする。「僕が新恐竜を発見するんだ!」逆上がりはできないけど、皆を見返したいのび太は、いつものようにドラえもんに泣きつき、タイムふろしきで、恐竜を誕生させてしまうが、また、いつものように、のび太の四畳半では、育てきれず、ドラえもんに頼んで、6600万年前に恐竜を帰しに行くが、いろいろあるんだよ、逆上がりはできないけど。という、安定した内容です。(どこら辺が)
えっとですね。アニメの映画。しかも、昔からある国民的人気作品に、旬な俳優や歌手がゲストで声優を務めるってありがちですよね。映画に人を呼ぶのに、一役かうかもしれませんね。
そんでも、、どうですか?皆さんは、そういうのは、歓迎しますか?
わたしは、、あまり、歓迎しません。ドラえもんはドラえもんの。コナンくんなら、コナンくんの。世界観があり、外様は、必要無いと思います。むしろ邪魔。ゲスト声優を入れたいならば、同じ声優世界から呼ぶとかしたら、滑舌もしっかり、声も出来上がってますから、作品の邪魔にはならないと思います。
この、新恐竜には、木村拓哉さんが声出ししてます
わたしは、木村さんは好きだし、ドラマも観ます。
「木村拓哉」を観たいからです。
彼は、姿を見られる側の人間です。「声」だけで演技って、訓練、勉強してないから、彼も、難しいなぁと感じたけど、仕事なんで、努力したのだろうなと思います。
例えば、木村くんじゃなくて、銭形警部の声がゲスト出演だったら、喜んだかもしれません。ドラえもんに銭形のとっつあんが出るなんて、アニメファンとしては、にんまりします。
そして、いろいろなゲストを出すのは、いーけど、
いつか、その俳優なり歌手なりが、不祥事を起こしたらどうすんじゃ。とも、思います。自分の好きな作品が、ケガされたようで、ファンは、イヤな気分になることでしょう。
ジャイアン目線でいろいろ書きましたが、俳優、声優、歌手、などの「住み分け」って、だいじなんじゃないかなと思いました。
映画に戻ります!
カラフルな色の可愛い恐竜が生まれましたが、一匹は、食欲旺盛で、生きたいエネルギーに満ちています。しかし、黄緑色のキューちゃんは、食欲も無く、のび太が差し出す食品には興味も示しません。力弱い感じで寝てばかりです。
しかし、ある日に差し出したマグロの切り身には興味を示し、食べました。喜ぶのび太。
(ひとまず、食べてくれたから安心だ)
しかし、その日の夜中、キューちゃんは、食べたものを吐き出してしまいます。内臓が受け付けなかったのでしょう。慌てるのび太は、化石展のインストラクターのお兄さんの家に真夜中ですが、竹コプターで、窓から押し掛け、「お願い!恐竜を助ける方法を教えて!」と、叫びます。
インストラクターのお兄さんは、びっくりしたのと
同時に恐怖を感じたに違いありません。ここでも、
「また、のび太のやつが」的に行動しています。
吐いたのですから、脱水が心配です。だから、のび太は、スポイトでキューちゃんに水分を与え、看病します。自分が、手を出したのだから、当たり前ですよね。
生き物って、恐竜に限らず、「生命力」の弱いものは、生きてはいけない、消えてしまう運命にあります。野生の動物に、人間が安易に手を出してはならないのは、自然な生命サイクルを狂わす恐れがあるからだし、「かわいそう」、「なんとかしたい」という気持ちは、美しいけれど、自然の摂理からしたら、邪魔な感情なのかもしれません。
キューちゃんは、なんとか育ちますが、ミューちゃんみたいに飛べません。体もちいさく、尾っぽも短い。
ミューちゃんたちと同種の恐竜の群れを探しだしても、キューちゃんだけは、仲間から威嚇され、入れてはもらえません。
群れは「異端」を嫌うからなんですよね。
「みんなと同じ」が、普通であって、
「みんなと違う」は、異常だ、相容れない
それは、人間社会でもありますが、人間は、「理解しよう」、「勉強しよう」と、自分を変える努力ができますが、野生動物の群れにとっての「異端」は、群れの危機を意味するのかなと思います。
「のび太の新恐竜」は、やはり、ラストは、泣けますが、ずっと、のび太のやらかしをキューちゃんとドラえもんのガンバりで、大団円に持ち込んだという気持ちになりました。
キューちゃんは、自分の努力で飛べるようになりましたが、のび太は逆上がりができるように、なったのかな。キューちゃんは命がかかったから、出来たことなんでしょうね。キューちゃんの生命力のおかげだと思います。
この映画も、ドラえもんのひみつ道具が大活躍。
ドラえもんがいなければ、歴史が変わったかも
しれません。でも、ドラえもんがいなければ、
のび太も無茶振りしませんから、危機は起きなかったというのも、事実ですよね。
しかし、のび太ん家に、来てしまっているドラえもんは、ドラえもんなりに、自分のいる未来まで、問題なく、地球の時間が進むように、いつでも、観察し、いざというときは、立ち上がる覚悟をしていると思います。
「のび太の新恐竜」
いつかまた、キューちゃんたちに会いたいから、
観たいなと思う映画です。