祝福よりも感謝を君に。(ヌシnote)
閲覧ありがとうございます。
今日は、つい先日、誕生日を迎えた、我が家のヌシさまのnoteを書いておこうと思います。
私達が、誕生日!誕生日!おめでとう!おめでとう!と、騒いでも、
「おぬしらの頭の方がめでたいのじゃ」という表情の、しらっと顔をした、いつも通りのヌシさまです。
ヌシさま、誕生日のお写真を撮りまする。と、お願いしても、
「いやはや、それがしが、失敗して候。今一度、
撮りまする。ヌシさま!こちらを!」
いざ!
と、縛られることなく、自由を愛するヌシさまです。
ヌシがうちにやってきて、18年になりますが、
18年も年月が過ぎると、うちのご近所さんも代替わり、もしくは、家主さんが変わったりしています。
むかし、回覧板や、お届け物を渡しに、隣のお宅にピンポンして、扉を開けてもらうと、どこかで見たドヤ顔の偉そうな猫がいるなぁと思ったら、うちのヌシだった。とかは、よくありました。
地域全体を統一したい野望があったのかもしれません。ベランダが開いたすきに、お隣にダイブしたりと、遠征が好きなヌシさまでした。
「白いふわふわの猫ちゃん。うちにはいつでも、遊びに来てくれていいのよ。うちは、年寄りばかりだから、もうペットは飼えないから。」
などと、黄昏ていた優しいご夫婦も、お宅を手放し、今は違うご家族が住まれています。
ヌシが来た時分は、産まれたばかりだったご近所の男の子も、お年頃になり、黒髪が金髪になったり、青頭になったり、カツオ頭になったりと忙しい毎日です。
ヌシの容姿が、様変わりをあまりしない為、鈍感になりがちですが、周りは確実に年を取っているのを実感すると、ヌシも、年月を見送ってきて、それなりに、モノは言わないが、機嫌の良い日もあれば、悪い日もあり、
「今日はちょっとだるいかな」と、テンションが下がった日もあったことでしょう。
犬や猫、動物は、芯から、我慢強い生き物です。
体調が悪いと、
「食べなくなり、内臓を休ませる」、
「ひたすら、眠って、回復をうながす」
など、天性な知恵があるようです。心配して
右往左往する人間に、「自分で治せなかったら頼むよ」と、目では、伝えていることでしょう。
そして、「変化」を嫌うようです。人間は新し物好き、新規開拓には、寛容ですが、ヌシさまは、自分の食事には、拘りがあり、たまに、わたしが、違う缶詰などをネットでオーダーしても、
「無駄な動きをするな!一点に集中せよ!雑兵が!」
と、まさかの缶詰無視からの、カバンで爪研ぎの罰を受けたりしました。
なんですかね、やっぱり、同じ食物で、自分の中の消化酵素も、決まっているから、体調が整うのかなと思いました。
あと、「ストレス」が一番、良くないみたいですね。これは、人間にも一番やっかいな存在です。
「いやだな。」、「関わりたくないな」、「近くには行きたくないな」
という自分を「守る」信号が、脳から出ていても、
大概の大人や、子供でさえ、自分に自助努力で折り合いをつけ、毎日を生きていきます。少しの間なら、耐えられますが、長い期間に、及ぶと、体が、なにがしか、警告アラームを出してきます。そして、休まねばならなくなったり、他の皆さんとは距離を置く必要ができたりしますが、人間って、そういうふうになっても、自分を責めるんですよね。
強そうで儚いけれど、どんな状況になっても、なんとか何かと戦っている勇敢な生き物だなと思います。
ヌシの場合は、最初から「我慢」という回路はありませんから、見たら睨まれるし、呼んだら無視するし、触ったら、怒るし、対処法は「シカト」しか
ありません。
シカトという、世間から見たら、モラハラな環境で、長い間、特に病気もせず、怪我も脱走もせず、
家族の一員として、ただ、存在してくれて、
「ありがとうございます」が、誕生日には一番、ふさわしい言葉だと思います。
365日の中で、なんでもない日はありません。
今日という日が、どこかの誰かか、動物さんの
「良かったなぁ」と、思える1日になりますように。
と、願いながら、今回のヌシnoteは、終幕にいたしまする。