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一切を受け入れよ。「新少林寺」



閲覧ありがとうございます。今日は、アンディ・ラウ、ジャッキー・チェン出演の「新少林寺」を観たコレアレを書いておこうと思います。


ゴジラを観たあと、わたしは、ジャッキー・チェンの少林寺拳法を観たいと、「新少林寺」をスカパーでみることにしました。
ジャッキー・チェンが、襲い来る悪者を華麗な足さばきや、身のこなしで、やっつける爽快感溢れる作品であろうと思いました。
観たあとは、久しぶりに、砂糖ありの赤い方のコカ・コーラをイッキ飲みして、爽快感を味わおうかと思っていましたが、見終わったあとは、「南無阿弥陀仏」と、唱え、コーラなど、贅沢な!水道水で充分でござる。(何時代の人)と、思う自分がいました。

任侠映画を観て映画館を出てきた観客が肩をそびやかして歩いたり、矢沢永吉のライブに行った人たちが、タオルを首に巻いて電車に乗るように、影響されやすい私です。


「新少林寺」は、あらすじを書いておきますと、
アンディ・ラウ演じる軍の将軍が、宝を目当てに、ある大将を追いかけ、大将が、逃げ込んだ少林寺に乗り込んできます。宝は、渡す、城も渡すから、命だけは、助けてくれと、懇願する敵大将を、アンディ・ラウは、非情にも撃ち殺し、そして、傲慢にも、寺に、「仏より武力は上」とかいう、センスの無い落書きをします。

(ここで、ジャッキー・チェンが現れ、アンディたちを、ボカスカとタコ殴りにするに違いない!)

と、ワクワクしましたが、ジャッキーは現れず、無抵抗な僧たちが、見る中、アンディは部下たちと、意気揚々と引き上げ、なんと、マツケンサンバみたいなキラキラな鎧を付けて、パレードまでします。
自己顕示欲と向上心むき出しの俗物ぶりです。


スターウォーズのc3-poみたい。

しかし、おだてられる人間は、前しか見ることができず、後ろで笑う腹心の部下にサクッと裏切られ、義理の兄を自ら殺めてしまい、娘、妻ともに追われる身体になります。危険な、馬などを使った逃避行で、娘は瀕死の重傷をおい、少林寺に逃げ込みますが、亡くなってしまいます。

「あんたのせいよ!このバカ!」

と、妻からも、見捨てられ、アンディは、身の置き場がなく、指名手配もされたりして、ひっそりと少林寺にいるようになります。


(ジャッキーはまだか。。)

偉い少林寺の人の役であろうと、じれじれしながら、待っていると、
とうとう!現れました!



ジャッキー・チェン!

パッと見たら、子供に囲まれる「おかあさんといっしょ」の体操のおにいさんかなとか、思いますが、ジャッキーは、厨房を預かる料理番。周りのミニ少林寺たちは、お手伝いのため、よくジャッキーと一緒にいます。
「ジャッキーのおしゃべりクッキング」のアシスタント達です。


ジャッキーは、「自分は心が汚れているから、僧にはなれないんだ。」
と、アンディに話します。アンディは、厨房でしばらくジャッキーの世話になっていて、段々と出家を意識するようになります。
この「新少林寺」が、公開された時、「自分も出家し、少林寺にて学びたい。」と、決意して、実際に家出した少年が多数、いたそうです。
気持ちは、わからなくは、ないです。


こんなことが、できちゃったりしちゃうかもだから!

気持ちはわかりますが、当時の小坊主さんたちは、実家の「貧しさ」、はたまた事情があっての理由により、寺に預けられた子供たちなんで、
「おうちから幼くして出なくて良いなら、あなたは、幸せなんだよ。」
と、言われたことでしょう。


日本で有名な小坊主さんと言ったら、
このお方!


ソモサン!セッパ!

一休さんが、頭に浮かびます。
非情にとんちが利いて、頭がまわる、賢い子供です。ぼんやりした大人などは、やり込められてしまいます。現代ならば、「知恵が働く、小賢しいガキめ!」と、ネットなどで、アンチが増えそうな子供です。


一休さんの話しにも、この映画に似ている部分があって、戦により、家を追われた人々は寺を頼りにしますが、一休さんたちが、一生懸命、炊き出しをしようとする間が待てず、政府から唆され、兵になって、戦いに行ったりしてしまいます。そして、大勢が亡くなります。
この一件は、一休さんに、とても暗い強い教訓、教えとして、ずっと残ります。
一休さんが大人になり、町で、一休和尚を見かけ、拝む人たちに、「わしを拝んでも、仕方ない。そんな時間があれば、食べ物を求めて、働きなさい」というニュアンスのことを言ったそうです。

「人が生きるには、最低限は何が必要か」
信仰心は、素晴らしいが、それより、必要なものを確保するべき。という、過去からの悟りがあったのだろうなと思います。


映画に戻ります。
過去に悪業を働いたアンディですが、出家を決意し、老師に直訴します。先輩僧たちは、不快感を示しますが、人間のステージが違う老師は、これを受け入れ、新しい名前をアンディに授けます。


ちゃっかり、仲間入り。

しかし、このまま、終わっては、映画は盛り上がりに欠けるので、クライマックスは、かつての腹心の部下が、配下を引き連れ、少林寺を僧もろともに破壊しようと、襲ってきます。


絶対、人気が出るタイプの悪役。


その動きを察知していたアンディは、寺の周りに身を寄せている民衆たちと、元妻に、どこか、新天地に向かうようにと、言います。
難民たちのリーダーには、ジャッキーが指名されました。小坊主さんたちも、一緒に寺から脱出です。


正常心、穏やかな気持ちで待ち受ける僧たちと、
寺を破壊したいのか、謝らせたいのか、自分が上だと認めさせたいのか、ただ、傷付けたいだけなのか、多分、もう解ってはいない、元部下の最後の闘い。


人間として、どう生きるのか、どう終わらせたいのか、それで正解なのか、そんな力があるのか。と、
最後に問われるようなクライマックスでした。


この「新少林寺」ですが、エンディング曲の「悟」が、とても共感度が強くて、有名らしいです。
わたしも、聴いたとき、今までは、夜中にニャオン攻撃で起こすヌシに、頭突きを食らわしたい衝動にかられますが、そういう気持ちは、間違っていると、深く反省しました。


「新少林寺」。また、いつか、観返すと思います。

最後に、エンディング曲「悟」の詩を、少しだけ
書いておこうと思います。



慈悲の心が、永久の平安を生み

愛のちからで、万物は結ばれる

なぜ、この因縁に気付こうとしない

悟りを得て一切を受け入れよ

道に背き、惑うことなかれ

心に宿る欲と執着を捨てよ

望むほどに己を縛り

捨て去るごとに煩悩は消えてゆく

縁を頼りに苦難を乗り越える

縁無き思いは、胸に秘めよう

俗心を断てず、振り返るときは、

あなたの幸せをそっと祈ろう

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