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OD日記パート3-起立性調節障害&低血圧
Intro:初めに
どうもim(アイム)です。
これは私が起立性調節障害を発症してからの物語です。今回はOD日記パート3、大学生編です。
※高校編と比べて、若干ヘビーな内容となっております。メンタル落ちてる方は一旦避けてください。
大学生編
望んで、望んで、受かった大学で死ぬ思いをした。
あの頃の自分には戻りたくない、と今でも思う。
四月に国際系の大学に入学してから一か月後、
それまで好調だった体調が一気に崩れた。
原因はおそらく課題の多さに体がついていかなかったのだと思う。高校時に病気を発症してから、私の体力は以前の半分以下になった。
握力は35から17にまで減った。
いつ体や腕から力が抜けるかが分からない為に、気を付けなければならない事も多かった。水筒や携帯を落とすのも日常茶飯事だった為に、普段はリュック等でなるべく手に物を持たないようにした。
そんな体力で他の学生同様に、いやおそらく彼ら以上に頑張ってしまった事が不調の原因だったと思う。
病気で体調を崩す前、それまでの私は GPA 4.0 をとることが目標だった。(いやいや目標高すぎだろって話ですよな。)
この病気の傾向として、完璧主義になってしまうという事がある。日々できない事が多いハンデがあるからこそ、頑張らねばならないという負の連鎖に陥るのだ。
高校生編(バート2)であれだけ休む事を強調しているのはそういう背景からだ。何事もやりすぎるとガタが来る。100%ではなく、80-90%くらいを目指すとちょうどいい。
しかし、一回崩した体調が戻るのは簡単ではなく、段々とその症状は重くなっていき、下半身が動かなくなる等の症状が立て続けに起きた。そして授業に出る事が難しくなっていった。終いには歩く事も難しくなっていった。その為に、授業を担当している教授に連絡をする事も度々あった。
今回は私が体験したアカデミックハラスメントについての話である。
※ここからはハラスメントに関する記述が多くなるので、フラッシュバックやトラウマがある方はご遠慮ください。
一応色んな事に配慮する為に本当の授業名は変えて、「基礎教養A」とでもしておこう。
その授業は時間帯にして、朝の10時頃から始まる授業で、私的には少し無理をして、ギリ対面で参加できるという時間帯だった。しかし大幅に体調を崩した結果、どの授業にも参加する事ができなくなっていった。
その旨を授業の教授に伝えたところ、
「その病気は治るものなのか、休学して病院で休養できないなら仕方ない、であれば大学の障碍者支援に登録しろ」とのものだった。
絶句だった。
この病気は治らない病気だ。確立した治療法もない。病院で休養して治せるなら、教えてほしいくらいだ。大学で正規の手続きを踏まなければならない事は分かる。しかし私はその支援の存在すら知らなかった。その支援を知った後も障碍者支援という名前に耐えられなかった。
私の病気は社会から障害と捉えられるのか。そう感じたのをよく覚えている。私は感情を隠すのが上手い方だったが、こんなストレートなアタックは流石に応えた。誰もが人には簡単に立ち入ってほしくない部分があると思う。
いわばトリガーのようなものだ。
私にとってはそれが病気だった訳で、それをピンポイントでついてくる無神経さ、それをしていいと思っている傲慢さ、それに対し何もできない悔しさ。様々な感情が私を襲った。
結論、私は精神的に大きなダメージを受けた。
起きている状態があまりにも辛い為、何日も眠り続けた。
友達の勧めもあり、結局私は親を通じて学長室に抗議した。法関係の知人に相談した所、これは訴訟をした場合、十分勝てる事案だという。
ちなみにこれはアカデミックハラスメントに該当する事案であり、通称アカハラとは教育や研究の場で、教員や職員などが、優位な立場や権力を利用して不当な言動をとり、相手に不利益を与える行為である。正にこれという感じである。
その後オフィスから謝罪のメールが来たが、今日に至るまで、私は正式な謝罪を本人から受けていない。しなくていいとでも思っているのだろうか。
病気は弱さでも、怠慢の象徴でもない。
その学生が持つ個性だ。
大学が学生より教員を守るその体制に腹が立って仕方がないし、多様性を謳う大学の理念さえも憎むようになった。
大学は生徒を教育する場所である。
大学側が守らなければならないのは学生であり、不当な行為を行った教師ではない。指導する側がその優先順位を見誤ってはいけない。
間違ったのであれば、その問題を解決して正せばいいだけなのに、何故大人はそれができないのだろうと思う事が多い。いつもこのような理不尽な状況が起きる度に思う。私は何かいけない事をしたのかと。そこら辺の神社でも破壊したのかというレベルだ。
今までにどんな辛い事があっても、踏ん張って生きてきたつもりだった。これだけ頑張っても報われないのは、前世で大悪党でも演じたからだろうか。頑張って頑張ってそれでも、もっているハンデで駄目だった時にはどうすれば良いのだろうか。
正直この事で、本当に生きる事をやめようと思った。
今まで生きてきた中で、死にたいと思ったことはこれが初めてではなかったが、今回の問題は一撃が強かった。私はおそらく人より多く人の言葉や行動に傷つけられてきた人間だと思う。だからこそ自身の言葉が相手にどう映るか、どう影響するかを知っている。
私はどれほど愚かな人に傷つけられたとしても、例え死にたくなったとしても、絶対に死なないし、絶対に何かを学びとって生きる糧にする。
優しい人はたくさん傷ついてきた人だ。
決して自分から傷つきに行けと言っているわけではない。傷つかなければいいに越したことはない。
ただ試練があなたの目に現れた時に、どうその状況を生き抜くかが、あなたを成長させることだけを心に止めておいてほしい。
まとめ
これにて大学生編は終了です。
OD日記パート3いかがでしたでしょうか?
今回はまあヘビーだなぁと自分でも思います。
生きるとか死ぬとかいう言葉を繰り返してしまい申し訳ないです…
一応生きるベースで書いているので、頑張って皆さんも生き抜いて頂ければと思います。絶賛私も生きていますし、何なら異国の地で留学生やっています!
亀の歩みで進んでいきましょう~
ではでは皆さんおやすみなさい。