「好き」に理由は必要なの?
どんな言葉が思いつくだろう。
一度、指を止めて、目をつむって、心の中でリストアップしてみてほしい。
そして、恋人と交際を始める前、スポーツを始める前、大学入学前、もしくは就職前…に思い描いてた「⚪︎⚪︎を始めた理由」は何だったか、思い出してみてほしい。
大きく違った?
予想通りだった?
昔のことなんか覚えてない?
私の「何かを好きな理由」は、結局やってみて初めてわかった後付けの理由たちで、始める前なんか大してなーんにも考えてなかった気がする。
なんとなく。たまたま。フィーリング。
だからって何でも勢いでゴー!!ってわけではない。
こんな考えが生まれたのは、「なんで私って、痛くてキツくて悔しくてしんどい思いしてまで、競技スポーツにこだわり続けてんのやろ」って疑問に思い始めたから。昨日がスイスで最後の剣道の大会だった。
1日目にちょっと足痛めてたけど、2日目はアドレナリンで何とか乗り切った。
そんな状況でも、考えれば考えるほど負けて悔しくて仕方がなかった。
「足を庇っていつもの動きできてなかったから」「相手が格上だったから」負けた理由なんとか正当化しようとしてる自分が、すごくすごく嫌だった。
でも、なんでそんなに勝ち負けのあるスポーツにこだわるのか?
なんで趣味で筋トレするだけじゃ満たされないんだ?
…うーん、確かにそうなんだけど、なんか納得いかない。
そんなのネットで調べたら出てくるよ。
そもそも、なんで私はそんなに「勝ち」にこだわるんだ???
考え詰めた先、今日この問いに構造変革が起こった。
今まで思い込んでた構造:
「勝ちたい」って動機(=行動を引き起こす直接の感情)が元来自分の中に存在し、勝つという目標(=大きな出来事で得られる結果)に向かって努力することで達成感が得られるから「好き」
今日考えた構造:
大会や、キャリア、結婚(?)といった目標が外部からポーンと与えられることで、努力する動機(=感情)が醸成され、その目標(=結果)という存在に向かっていく過程が「好き」なんだって思った。
目標って結局、何かに自分を向かわせる動機を生み出す装置であって、目的ではない!
そして、目標はありがたい存在だけど、目的は別に必要ない!
と、いうのが今の私の結論。
「何かを始める目的」なんか最初から存在しなくって、やってくうちに目的らしきものが見えてくる。だけど、その「目的」に囚われちゃうと、今まで楽しくて続けて来たはずの事たち(いわゆる努力)が「目的を達成するための単なる手段」に思えてくる。
今、自分が「これがこうだから始めた!」って思ってる理由ー正確には「きっかけ」「動機」らしきものーは、全て後付けであって、真剣に向き合っていくうちに自然と見えてきたもの、なのに。
そして、他人の語る「こんなきっかけで始めました」話を聞くうちに、「こんな条件」の恋人・部活・会社がいいんだ〜とか思い込んじゃって、初っ端から「大当たり」だけを狙いに行くようになる。
大当たりなんかそーんな簡単には出ないし、そんなもの存在しないのに。ね。
ある人は、すぐに何でも、どんな人でも、良いとこだけ目について惹きつけられて、後で「やっぱりなんか違う」に悩まされる。
いわゆる、後で痛い目あう「ちょろい」人。
またある人は、ハズすのが怖くて怖くて、何を挑戦するにも臆病になる。
いわゆる「理想が高すぎる」人。
恋人に関しての話だと、付き合う前、もしくは付き合った直後から「彼のこんなとこが好き!」とか好きな理由列挙してる人こそ、すぐに「期待外れ」な部分がやけに目につくようになって、結局すぐ別れるんじゃないかー、なんて。
知らんけど。
「理由を探すな!」とは言っても、「勢いで無計画にレッツゴー!」ってわけじゃない。
相手(=スポーツでも仕事でも恋人でも)をまず理解することはとても大切。
過去の自分の経験から、合うのか・合わないのか、楽しめるのか・楽しめないのか。
ある程度は予測できるから。
でもそこで、期待しないこと。
勝手な理想像を築き上げないこと。
何か、誰か、に夢中になってる時は、まるで「自分にはそれ、その人、しかない」ような気がしてならないし、失うことを極端に恐れる。
辞めた、別れたからってゼロの状態に戻るなんてことは絶対なくて、それら、彼らの存在によって、自分の人生が厚みを増す。
でもやっぱ意外と「もうやめよっかな」って思ったとこから、もう一歩頑張った先にしかない景色もあるんだよなー。
人生ってもんは難しい。
いや、やっぱ横に歩いても良いんやけど。
結局は、自分の決めた道でどう自分を納得させる生き方をするかだね。