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自分を犠牲にしすぎた時に出る心のサイン

私にとって、自分を犠牲にする行為は大きく分けて2つあります。

一つ目は
他者に対しての自己犠牲

二つ目は
自分に対しての自己犠牲

です。

一つ目は、人間関係において相手を優先し、自分が我慢をするといった行為です。

我慢の許容量は人それぞれではありますがこれを続けると私は確実に心がすり減ります。

二つ目は、自分で自分の気持ちを抑圧するという行為

抽象的な話になりますが、自分の気持ちとしてはやりたくないことを、頭の中にいるもう1人の自分が、義務感から強制的にやらせるイメージです。

自分を律するとも言えるかもしれません。

これらの自己犠牲は、自分の本来の気持ちを抑えつける行為であり、積み重なると確実に心が悲鳴を上げます。

しかしながら、私は自分の気持ちや感情に向き合うことが苦手で、なかなか自分の感情を直視できません。

また、心の悲鳴自体も「心がすり減っているよ、我慢しすぎてるよ」というような直接的な声として私には認識できません。

結果として、心の蝕みに気づく頃には、なかなかに悪化した状態になっている事が多いです。

気づくサインとしては、

悲しくもないタイミングで涙が勝手に出てくる

イヤホンの音量を通常の倍以上の音量で聴いている

ふと気づくと人を恨んだり妬んだりしている

日本語を聞きたくなくなる

外出時の電気、水道、カギなどの戸締りについて、確認強迫が出てきて実生活に少し支障が生じる

眠れなくなり、体が弱る

もともとある聴覚過敏が悪化し、普段なら耐えられる、金属同士が軽くぶつかる音でさえ大きく聞こえてつらい

といったものが出てきます。

このほか、身体的なサインとして「めまい」も襲ってきます。

こうなる前の段階で、自分の心の状態に気づいてあげられればと思っていますが、難しいです。

人は生きる上で他者との関わりは避けられません。

また、自分を律しすぎてしまう特性は私の初期設定のようなものです。

そのため、自分を犠牲にすることはある程度は仕方ないと思います。

適度なストレスは人生におけるスパイスだと考えておりますので、自分を犠牲にしすぎないよう、苦手ながらも自分の心、感情に向き合っていきたいと思います。

今回ギャラリーからお借りしたのは大好きなhohoさんの作品です。

いつもありがとうございます







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