#32 オードリーへの伝言
柚木が、オードリーに電話をかけたのは、アンリと約束をしてから47時間後のことだった。
「はい、美緒です」
いつもより落ち着いた声色から、オードリーに契約終了の話が伝わっていることが確認できた。柚木は言った。
「オードリー、アンリから聞いていると思うけど、編集部内で大きな異動があったんだ」
「お聞きしました。嶌さんが退職されるって」
「うん。それで、新しい編集長はまだ決まっていないけど、今までのコンセプトが変更になるのは確実だから、表紙のモデルも契約を延長することはできないんだ」
「はい」
「今までありがとう。君にはこの二年間、24号に渡って表紙を飾ってもらったし、僕のロケにはたいてい参加してもらっていたね。アンリと一緒にやってもらった『定期購読倍増作戦』では、君たちの呼びかけによってたくさんの定期購読者を作ることができたよ。君たちのおかげで、僕たちの雑誌は新しい読者を開拓することができたんだ。本当にありがとう」
柚木は目を閉じて話をしていた。この二年間の日々が次々と思い出された。この電話が、オードリーと話す最後になるのかもしれなかった。
「それに、僕は毎月、君に会えるのが楽しみだった。どんなに疲れていても、君と会えると元気が出たんだ。君と過ごした時間を、僕はずっと忘れない」
「柚木さん」
柚木はオードリーの言葉を聴かず、あえて話し続けた。彼女に伝えたいことを、全部伝えたいと思っていた。
「僕は君に感謝しているんだ。こんな言葉しか伝えられないのがもどかしいけど、君という存在がいてくれたことに感謝してる。君だけじゃない。君を産んでくれたお母さんや、いまは会えなくなってしまった実のお父さんや、育ててくれた義理のお父さんにも感謝してる。君が目に入れても痛くないほど可愛がっている妹さんにも感謝してる」
「柚木さん、私・・・」
「君がふだん働いている喫茶店の、叔父さん夫婦にも感謝してる。店にやってくる常連のお客さんや、君が運ぶ珈琲や、コーヒーカップにも感謝してる。君のような素敵な女性を育ててくれた人たちと、君の暮らしに彩りを与えてくれているものたちに感謝してる」
それから、フライングバードの藤井社長にも感謝している。彼は君のことを大切に思っている。だから、あの人に任せておけば安心なんだ。
「この世界は問題だらけだし、うまくいっていないことも多いけど、でも、君のような人がいてくれることが、僕は本当に嬉しいんだ。君のいる世界に生きていることが、ただ嬉しいんだよ」
「柚木さん」
「だから、これからも君らしく生きてほしい。怒ってもいいし、泣いてもいい。でも、君の一番はやっぱりその笑顔だよ。だから、笑顔を忘れちゃいけないよ」
柚木が言いたかった言葉は、これですべてだった。言うべきでない言葉は、はじめからなかったかのように仕舞うことができた。柚木は満足だった。
「柚木さん・・・」
オードリーは泣いているのかもしれなかった。しぼり出すような声が、最後に言葉になった。
「ありがとう、柚木さん。私を見つけてくれて・・・」
*
小鳥美緒の『オードリーからの伝言 vol.22(最終回)』
「神さま」
信心深くもないし、教会なんて行ったこともない私なのに、いざとなると頼りにしてしまいます。会ったこともない、いるのかどうかもわからない、神さまの存在を。いまの私には、こう伝えるしか適当な言葉が見当たらないのです。
「神さま、ありがとう。私に素敵な時間を与えてくれて」
私にとって、この月刊キャンプで表紙モデルをさせていただいた二年間は、本当にかけがえのない時間でした。二年前の私に会うことができたら言ってあげたい。
おめでとう。あなたは本当に素敵な幸運にめぐり逢いました。毎月素敵な場所へ出かけて行って、雑誌作りに熱心なスタッフさんと一緒にお仕事ができます。天気は変わりやすいけど、たいてい晴れてくれるから大丈夫。相棒になるアンリくんとはときどき意見の食い違いが発生しますが、それも乗り越えることができますよ。雑誌作りの醍醐味は、変化すること。変わることを恐れないで。失敗しても次に生かせばいいのよ。大丈夫、あなたは一人じゃないから。
オードリーこと小鳥美緒と、アンリこと荻上右京は、今月号で月刊キャンプを卒業します。読者の皆さんと、編集部の皆さんの、素敵な時間がこれからもずっとずっと続きますように。心からお祈りしています。
最後に、もう一度言わせてください。
「ありがとう、神さま。私をオードリーにしてくれて」
*