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#15 『Close to You』

落語好きな嶌編集長が率いるアウトドア系月刊誌。編集部員は吉岡(ヨッシー)、磯野(カツオ)、小林(ガシャポン)、小峰(バイト)、そして柚木徹の5人だ。荻上右京(アンリ)、小鳥美緒(オードリー)が表紙モデルに抜擢された。30歳までの限られた編集者生活を送っていた柚木は、最後の配属先となるであろう月刊キャンプ編集部で、月刊誌の編集に没頭する。

 助手席にオードリーを乗せて、柚木は自分の車を走らせている。中古で買ったスズキのエスクードは、二人乗りにささやかな後部座席が付いただけの小型SUVだ。小さな撮影であれば編集部のロケバンはいらない。今日は自前の車で身軽に済ませる段取りだった。
 目的地は都内の公園である。その公園は、撮影許可を前もって申請するだけで園内で撮影することができた。緑を背景にした物撮りや衣装撮影のためによく訪れる公園だった。カメラマンとは現地で待ち合わせをしていた。

「この『みずさわちなつ』という方はどんな方なんですか?」
 オードリーは発売されたばかりの月刊キャンプを読んでいる。
「どうしてそんなこと訊くの?」
「私、苗字が小鳥おどりだからなのか、昔から鳥が好きなんです。でもそんなに鳥さんのこと詳しい訳じゃなくて。だから、この『みずさわちなつ』さんの『ハミングバード・セレクション』は、いつも楽しみにしているんですよ。毎回、野鳥がテーマになっていて、この前のオオルリのお話なんか・・・」
 みずさわちなつの『ハミングバード・セレクション』は、『アウトドア達人コラム』のなかの一篇である。

 柚木は笑いをこらえることができなくなった。
「柚木さん、なにが可笑しいんですか?」
「あ、いや、ごめん。君に嘘はつけないな」
 柚木は少し姿勢を正してから言った。
「実を言うと、それを書いてるのは僕なんだよ」
「えー、どういうことですか!」
 みずさわちなつは柚木のペンネームのひとつで、嶌から女性ライターとして書くように指示されたのだと説明する。テーマが鳥であるため、柚木も納得して名前を考えた。最近はみずさわちなつとして書くことが楽しくなってきたところでもある。
「あちゃー、そんなことに気づかないなんて。私、不覚です」

 柚木は月に1回、オードリーとロケに出るようになっていた。編集長の嶌から、表紙以外の中面にもオードリーとアンリの起用が許されたからである。

「だが、中面で二人を一緒に出すのは禁止だ。二人がそろっていいのは表紙と、あと何かしら特別な状況の場合だけだ。出演は一人1コーナーに限る。複数のコーナーで出番が重ならないように注意しろ。出すぎたら飽きられるのも早い。気をつけて使え」
 嶌がオードリーとアンリを特別に扱い始めたのはこの頃だった。二人がそろった時に嶌なりに何かしら磁力のようなものを感じていたからだろう。二人はいつの間にか、月刊キャンプのアイコンになっていた。

「徹さん、俺、アンリを専門で使いたいんですけど、いいですか?」
 ガシャポンが言った。
「どうして? オードリーを使ってもいいんだよ」
「アンリとは気が合うし、あいつ、ロケが終わると撤収を手伝ってくれたり、かなり助かるんですよ。要領もいいから、最近はテントの撤収は俺より早いくらいです。オードリーは、なんかこっちが気がひけちゃう気がするんです」

 同じようなことを磯野にも言われたことがある。
「徹くんはオードリーと二人だけでいて平気なの? あの子、地下アイドルの陳腐なアイドルビームとは違う特殊な光線出すんだよ。こっちが油断してると虜にされちゃうような気がするんだ。僕の勘ピューターが危険を察知してる。好きになったら、やばいだろ」
 特殊な光線? オードリーがじっと相手の目を見るやつのことか?
「僕のスタンスは親戚のお兄さんだからさ。あくまで身内として支える立場に徹しているつもりだよ」

 女性モデルとの距離感には注意が必要だ。柚木なりに気を使っている。連絡手段は携帯番号のみで、メールには編集部のアドレスを使うことにしていた。自宅への送迎はもちろんNGで、編集部での集合解散が基本だ。朝が早くても新宿や渋谷まで出てきてもらう。実際、オードリーがどこに住んでいるのかも知らなかった。

 車内では、先ほどから柚木のプレイリストが流れている。柚木が好きなのは洋楽のオールディーズソングだ。ビートルズ、クィーン、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル。先ほどから流れているのはカーペンターズだった。普段は洋楽を聴かないというオードリーは、柚木の選曲が新鮮だと言う。

「カーペンターズの二人は兄妹きょうだいでしたっけ?」
「そう。兄のリチャードがピアノ、妹のカレンはボーカル兼ドラマーだった。奇跡の兄妹デュオだったよね。学生時代、カレンの歌声を聴きながら英語を勉強したのを思い出すよ。彼女の発音は輪郭がはっきりしててとても聞きとりやすいんだ。楽曲は基本スローテンポだしね。詩の世界もシンプルで身近なものばかり出てくる」
「私、この曲好きです。どこかで聴いたことがあります」
 カーペンターズの楽曲はドラマの主題歌になったこともあって、世代を超えてファンが多い。

 エヴリィ、シャラララ、
 エヴリィ、ウォウウォウ、ストップ・シャイン

 オードリーが『イエスタディ・ワンス・モア』のさびを口ずさむ。ミュージカルのステージで歌っていたという彼女の歌声は格別だ。思わず聞きほれてしまう。

 カーペンターズは数々のヒット曲を生み出した。アルバムとシングルを合わせた総売上枚数は1億枚を超えるというが、14年間の活動は突然幕を落とされる。カレンが拒食症で亡くなったのは32歳のときだった。

「こんな素敵な歌声をもっている人が若くして亡くなるなんて」
 オードリーが遠くの空を眺めて言った。
「神様の留守に起きてしまった悲劇としか言えないね」
「『神様の留守』ですか。なんか編集者っぽい」
「だって、編集者だからね」
 曲は『イエスタディ・ワンス・モア』から『青春の輝き』へと続く。

「僕はときどき思うんだ。曲が大ヒットして有名になると、その名声をひっくり返したかのような悲劇が襲い掛かることがある。精神的に不安定になってしまったカレンもそうだし、熱烈なファンの銃弾に倒れたジョン・レノンだってそうさ。有名税というにはひどすぎる結末には閉口するね」
 兄のリチャードは今も健在だが、カーペンターズとしての活動は終了している。残されたリチャードの思いはいかほどだっただろうか。

「リチャードは苦しんだと思う。妹のカレンを救えなかったことを悔やんで。もっと話を聞いてあげればよかった、もっとそばにいてあげればよかったと」
「私、誰かの悩みを聞くの得意なんです。昔いた歌劇団では、皆の相談係だったんですから。柚木さんも、悩みがあったら私に話すといいですよ」
「話したらどうなるの」
「話した分だけ、軽くなります」
「そりゃいいや。僕はオードリーの世話係だからさ。君も相談事があったらなんでも話してよ。ギャラの交渉以外だったらなんでも受け付ける」
「ギャラの話なんてしたことないでしょ」

 柚木の車が赤信号で停車した。横断歩道を、手をつないだ親子が歩いている。オードリーが二人を眺めている。
「カレンさんは短い生涯だったかもしれないけど、幸せだったと思います。彼女の歌声は世界中から愛されたんですもの。生きた長さが幸せの唯一の尺度ではないですよね。短くても充実した、燃えるような人生を送る人だっています。私はそういう人になりたい」
「まるで映画のヒロインみたいだな」
「だって、女優志望ですからね」
 オードリーがさきほどの柚木の言葉を真似して、得意気に目線を投げた。

「人の死には二種類あると思うんだ。ひとつは肉体的に死んだとき。もうひとつは人々に忘れられたときだ。その人を覚えている人がいる限り、誰かの記憶に残っている限り、その人の存在はなくならない。僕はそう信じてる」
 だからこそ、カレン・カーペンターもジョン・レノンも、人々のなかに今も生きている。これからもずっと生き続けるに違いない。
「私もそう思います」
 オードリーが言った。

「柚木さん。私、柚木さんの文章好きです。なんか癒されるというか、昔から知っている友達からの手紙を読んでいるような気がします」
「ありがとう。僕も書くのは好きなんだ。もっともっと、書いていたい。もう書けないって思うまで」
 信号が青に変わったので、柚木はゆっくりと車を発進させた。

「そうだ、君に聴かせたい曲があるんだ。鳥好きな僕らにはぴったりの曲だよ」
 柚木はカーペンターズの『Close to You』を流す。1970年の作品だが、いまでも色あせない名曲だ。

『Close to You』

Why do birds suddenly appear
なぜ鳥たちは急に現れるの?
Every time you are near?
あなたがそばにいるといつも
Just like me, they long to be
私と同じように 鳥たちも
Close to you
あなたのそばにいたいのね
 


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