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#12 銀座の夜

落語好きな嶌編集長が率いるアウトドア系月刊誌。編集部員は吉岡(ヨッシー)、磯野(カツオ)、小林(ガシャポン)、小峰(バイト)、そして柚木徹の5人だ。荻上右京(アンリ)、小鳥美緒(オードリー)が表紙モデルに抜擢された。30歳までの限られた編集者生活を送っていた柚木は、最後の配属先となるであろう月刊キャンプ編集部で、月刊誌の編集に没頭する。 

 月刊キャンプが12月号を発売した頃だった。
 柚木はアンリとオードリーを夜の銀座に呼び出していた。二人に「重大な報告があるから、直接話をしたい」と前置きをして。
 銀座は柚木の会社から徒歩圏内にある。深夜遅くまで編集部にこもっている彼らには縁遠い場所であったが、重要な酒宴を開くのには都合がよかった。柚木は小説出版部にいる同期に頼んで、行きつけのフランス料理のレストランを紹介してもらっていた。そこには個室が完備されていて、小説家先生との打ち合わせや接待には便利なのだそうだ。

 アンリはコーデュロイの厚手のジャケットを着て、インナーには黒のタートルネック、全身を黒で統一した姿で現れた。紫色のマフラーを軽く首に巻いた着こなしは、彼が経験を積んだモデルであることを実感させられる。
 オードリーは、白の毛糸がもふもふとしたウールセーターをインナーに、膝下まであるグレーのフードコートで冬の装いだ。黒のワイドパンツに、幅広の黒い帽子を被っていた。赤い口紅に厚めのグリスを塗っている。昼間の撮影では見せたことのない大人のメイクだ。

「これ、オードリーハットっていうんだろ。どこで買ったんだよ」
 アンリがオードリーの帽子を取り上げて被る真似をしている。彼の長い手足が殊更に長く感じられた。
「ちょっとやめてよね」とはしゃぐ彼女も楽しそうだ。
 いつの間にか二人はお似合いのカップルのように見える。一年前には見知らぬ他人であったことが信じられない。柚木は、そんな二人に見とれている自分に気がついた。

 銀座はすでにクリスマスムード一色だ。ショーウインドウにはお決まりの赤いポインセチアが並び、街灯にはクリスマスリースのオーナメントが飾られている。電飾の灯りが瞬きはじめた歩道で、オードリーとアンリを避けるように、人波が迂回しているのがはっきり見えた。みんな芸能人を見るかのように興味津々で、何度も振り返りながら二人のやりとりを眺めていた。

「誰だろう?」
「女優さんかな?」
「今日なんかの撮影か?」

 ひそひそ話が聴こえてくる。二人にもきっと聴こえているだろう。けれど聴こえないふりをしている。甘美な瞬間、この二人が夜の銀座をジャックしている。柚木は二人を誇らしく思わずにはいられなかった。柚木自身も普段は着ることのないジャケットを着てはいるのだが、さながら二人のマネージャーか付き人に見えているのかもしれない。三人はわざとゆっくりとした速度で歩道を歩き、そんな銀座の夜の街を満喫しながら、レストランへと歩いた。

 ビルの4階にあるレストランでは、入り口で柚木の名前を告げると白い口髭を生やしたウェイターが甲斐甲斐しく迎えてくれた。店の奥からピアノの生演奏が聴こえている。
「こんな素敵なお店、柚木さんよく来るんですか?」
 柚木の隣に寄り添ったオードリーが耳元でささやく。
「まあね。でも特別な時だけだよ」
 小説の同期に感謝しなければならないな、と柚木は思った。同じ出版社といっても、部署によって仕事内容はさまざまだ。今夜は普段関わることのない業界人を気取って、夜の接待を楽しもう。

「足元に段差がございます。お気をつけください」
 ウェイターが掌で示した仕草を真似してアンリが繰り返す。
「足元に段差がございますので気をつけて。ムッシュ・アンド・セニョリータ」
 その言い方にオードリーがまた笑って、柚木の背中をいたずらっぽく叩いた。アンリのおふざけはいつものことだが、今夜は気心が知れた三人だけだからか味わいも格別だ。オードリーは胸に手を当て、深呼吸をして落ち着こうとしている。何を言われても可笑しくて笑ってしまうのだろう。

 案内された個室に入ると、周囲の音がかき消されて特別な雰囲気が漂った。壁には印象派の絵画が飾られ、部屋の中央には重厚感のあるテーブルがあつらえられている。窓の外からは銀座のネオンが一望できた。
「きれい」
 オードリーが溜息をついた。
 12月の銀座のネオンはまた格別だ。

 あらかじめコース料理をオーダーしていたので、ワインリストからカリフォルニア産の赤ワインを選んだ。柚木がアメリカ西海岸のガイドブックを担当していたとき、カリフォルニアのナパバレーのワインがいけるんですよ、とワイン通のライターが話していたのを覚えていたからだ。ソムリエがワイン蔵からご指名のワインを持ってくると、柚木にラベルを見せて確認を促した。

「それ、俺が開けてもいいですか?」
 アンリがソムリエに向かって手を挙げて言った。
「俺、フレンチのレストランで働いていた時期があったんですよ。ワイン開けるの好きなんです。久しぶりにやってみたい」
 ソムリエは笑みを浮かべ「もちろんです」と自分のソムリエナイフを翻し、彼に手渡した。彼はソムリエナイフからまずはナイフの部分を引き出し、キャップの上部を綺麗に切り取った。次にスクリュー部分を取り出し、ワインのコルクに垂直に当てると2回3回とスクリューを回して押し込み、音もなくコルクを抜き取った。コルクをテーブルに置くと、「お見事です」とソムリエがやさしく微笑んだ。

 アンリの早業にオードリーが小さく拍手の仕草をする。柚木は感心するしかなかった。こんな特技ももっているのか。しかし様になるとはこのことだ。アンリは柚木のグラスに赤いワインをテイスティング用に注ぎ込んだ。柚木が味を確かめると、次はオードリーのグラスに注ぐ。優雅で無駄のない動きに、フレンチのレストランで働いていた、という話が嘘でないのがわかる。彼なら、店のいい看板になったことだろう。

 三人はグラスを重ね、乾杯をした。
「君たちともう一年、契約を延長したい!」
 柚木はワインを一口飲むと、さっそく本題を口走っていた。本当はもう少しワインを味わってからするつもりだったのだが、待つことができなかったのだ。

「なんだよ、もう。当然だろ。な、オードリー」
「実は私も、その話があるんじゃないかと内心期待していました。柚木さん、本当ですか? もう一年、やらせていただけるんでしょうか?」
「もちろんだよ。僕が言い出したんじゃない。嶌編集長からのご指名だ。君たちどちらかに嫌だと言われたらお前はクビだって、さんざん脅かされたんだから」
 二人は向かい合い、どちらからともなくハイタッチする。
 相棒です、とオードリーがアンリとの仲を表現したように、本当に息の合った相棒になっている。
 二人がうすうす感づいていたとは期待外れではあったが、所属するモデル事務所にではなく、二人に直接伝えたいと柚木は思っていた。柚木なりに、二人を特別に思っていることを伝えたかった。

 前菜をフォークでつまみながら、三人はほんの八カ月前の話を懐かしそうに話した。初めて会った日のこと、オーディションの話。控室に置いてある雑誌を見るまで、なんのオーディションか知らなかったこと。審査員かと思っていた一人が相方になるモデルだと言われて驚かされたこと。アイスをいつ食べるのが正解かなんて何の意味があるのか、何かのトラップかと思った、とオードリー。赤い口紅がワインのグラスについていた。

「オードリー。君のその瞳はどうやって手に入れたんだい?」
 アンリが彼女の顔を覗き込むようにして言った。オードリーの瞳は、柚木も魅力的だと思っていた。
「これ、宝くじに当たったの。私のお母さんは、宝くじ売り場で働いているんですもの。当たりくじを引き当ててくれるって、行列ができる売れっ子なのよ」
 オードリーが答える。柚木は映画のワンシーンを観ているような気分になった。

「柚木さんは、どうして今の会社に入ったんですか?」
 アンリが柚木に話題をふった。
「本を作る仕事をしてみたかったからだよ」
「どんな本なんです? 作りたいのは」
 柚木は窓の外の景色をそっと眺めた。
「正直言うと、どんなジャンルでもそれは構わない。形に残る仕事をしたいと思ったんだ。何年か経って見直したときに、後悔が浮かばないような、納得できるものを作りたい。誰かの評価じゃなくて、将来の自分が納得するかどうかが問題なんだ」
「本を作る仕事って素敵です」
 オードリーの頬がワイン色に赤くなっていた。

「形に残るってことは、柚木さんはいつか書籍を作りたいということですか? なんか嶌さんが前言ってたな。柚木さんは本当は雑誌希望な訳じゃない。今は俺が少し借りてるだけだって」
 アンリは嶌たちと飲みに行ったことがあった。そのときの話だろう。雑誌向きではないと遠回しに言われているみたいで気になる話だ。
「雑誌と書籍とでは何が違うんですか?」
 オードリーが訊ねた。

「雑誌はその役割が時間的に制限されている気がするよね。12月号が出れば、11月号は過去になる。上書きされ、消えていくのが宿命のような気がする。書籍は、10年も20年も図書館の棚にあるかもしれない。僕は、どちらかというといつまでも残り続けるような本を作りたいんだ」
「雑誌だって、いつまでも残るかもしれませんよ」とオードリー。
「そうだね。大切にしてもらえたら嬉しいよね。そういう意味では、雑誌か書籍かは関係なくなるな」
「嶌編集長は、とにかく売れる雑誌を作りたいんだって言ってました」
「嶌さんらしいや」
「柚木さんは違うみたいですね」

「こんなこと言ってたらまた編集長に怒られちゃうんだけど、僕は大勢の人に読んでもらうことを目指してる訳じゃない。誰か一人でもいいんだ、その人に大切にしてもらえるような本を作りたい。何度も読み返して、枕元にあって、その人の人生のそばにずっとあるような。そんな本を作ることができたら、きっと本望だろうな」
「柚木さんはロマンチストですからね」
 アンリがワイングラスを揺らしながら言った。

「私、この雑誌のお仕事をいただいて、仕事が形になって残ることがこんなにも嬉しいものだって初めて知りました。表紙モデルとして、名前も掲載していただいてるじゃないですか。そういう経験、あまりないものですから」
「そうですよ。モデルやってても、名前を載せてもらえることって本当に少ないんです。だから、雑誌の奥付にクレジットがあるの、感動しちゃうんだよなぁ」
 アンリが言う奥付とは、雑誌に関わったスタッフ名を列記したページのことだ。たいてい、雑誌の終わりの方のページに次号予告などと一緒にある。映画のエンドロールのようなものである。

 雑誌の奥付は、柚木も好きなページのひとつだ。編集者の一言が30文字程度で載っていたりする。職業病かもしれないが、本や雑誌を読んで、内容に関心するとつい奥付を確認する癖がついた。どんな人がこの本を作っているのだろうかと、興味がわくからである。

 月刊キャンプ12月号の奥付は次のようになっている。柚木にとって、かけがえのない仲間たちの名前がそこにある。
 柚木がここにいられる時間もあと二年を過ぎていた。

《月刊キャンプ 12月号》

編集長  嶌 勇作
副編集長  吉岡 信彦
     柚木 徹
      磯野 克典
      小林 健一
     小峰 淳
      赤瀬 美佳
 広告  辻 礼子 

 表紙モデル 荻上 右京
       小鳥 美緒
  表紙写真 五十嵐 剛
 ヘア&メイク   桜井 聡

【オードリーからの伝言 第一部・完】


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