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#21 運命の8月号
嶌編集長が率いるアウトドア系月刊誌は、表紙モデルに小鳥美緒(オードリー)と荻上右京(アンリ)を起用していた。30歳までの限られた編集者生活を送っていた柚木は、最後の配属先となるであろう月刊キャンプ編集部で、月刊誌の編集に没頭する。
梅雨真っ只中の6月にも関わらず、月刊キャンプ編集部は翌月の7月号を通り越して8月号の議論をはじめていた。自転車操業で月刊誌を編集している柚木たちにとっては異例のことだ。それだけ、二年目の8月号の重要度が高いという認識が共有されていた。
先日の販売会議で、柚木からの提案を販売部は概ね了承した。それが現実となれば、8月号には今まで以上の部数が刷られることになる。全国の書店への配本が増え、今まで雑誌を手に取らなかった読者の目にも留まるだろう。だが、配本された本が売れなければ元も子もない。そのリスクと重圧を加味しても、これは今までにないチャンスだった。
編集長の嶌が言った。
「今度の8月号が正念場だ。第一特集は通常の18頁から24頁に増大する。ガシャポン、第一特集の担当はお前だ。気合入れてやってみろ」
「了解です」
「徹くんの『アメリカ大陸横断』の紀行も載るしね。今まで以上に強力な8月号になりそうだな」と磯野。
「それでだな」
嶌が8月の編集方針について話をした。いままでの第一特集は担当編集者にほぼ一任する方式だったが、今回に限っては全員で意見を出し合いたい。まだ時間がある訳だから、週に1回程度の編集会議を開いて、内容を詰めていきたいという話だった。
「ちょっと待ってください。皆が意見を出すのは構いませんけど、決定権は誰にあるんですか? あくまで第一特集の担当は俺ですよね。意見は聞きますけど、これは俺のページだってこと忘れてもらっちゃ困ります」
ガシャポンの反応は予想ができた。だが、これはなかなか言える言葉ではない。雑誌作りは嶌にとって天職だと思ったことがあるが、ガシャポンにとっても同様に違いない。
「アイデアの叩き台はお前に出してもらうし、最終的な決定権もお前にある。そのスタンスは今まで通りで何も変わらん。途中経過としてほかの部員に情報を共有することで、アイデアを固めていけばいい。俺が言いたいのは、お前の指示で全体が動くということだ。お前がやりやすいように周りに指示を出せ。8月号はお前が司令塔なんだからな」
嶌はガシャポンのようなタイプの編集者を乗せるのがうまい。若手の頃、彼自身がそういうタイプだったからだろうと想像できた。編集者のやる気に火をつけ、実力以上のものを発揮させる。おおまかな指示は最初に出すが、その後の対応はすべて本人に任せる。それが嶌流の人材管理方法だ。
「柚木はこの前の販売会議で、8月号は従来の釣り特集を外してキャンプの王道でいいと言ったな。それには俺も賛同する。夏休みに初めてキャンプに出かけようという初心者や、何か楽しいことしなきゃいかんな、という子供連れがターゲットだ。だが、従来の読者も軽んじてはならん。そこでだ」
広告部の辻にはすでに嶌が話をつけていた。8月号に掲載予定だった釣り具メーカーの広告は9月号に変更となったため、釣り企画の縛りはすでになくなっていた。
「今まで俺たちは、『ファミリーキャンプ』というテーマをずっと掘り下げてきた訳だが、それはあくまで『キャンプ』に対してであって、『ファミリー』を掘り下げたことはなかったんじゃねぇか? 今回は、親子の夏休みであることを意識して、『ファミリー』に焦点を当ててみたいと思う」
「たしかに、そう言われてみればそうですね」と柚木。
「え、どういう意味ですか? わかりやすく説明してください」と鹿野。
「つまりだ。『キャンプ』に対する問題解決や商品提案はずっとしてきたが、『ファミリー』に対しての問題解決をしてこなかったんじゃないか? 俺はこの一年くらい毎月読者とキャンプミーティングしてるだろ。そうすると、奴らの悩みに共通点があるのが見えてきたんだ」
「読者の悩みの共通点?」
嶌の話はこうだった。子供が小学生の頃はいい。皆、キャンプ場に来れただけで嬉しいし、ただ元気に遊んでいる。キャンプサイトで隣になったよその子供とも仲良くなったりしている。それは見ていても心が休まる素敵な光景だ。だが、子供が中学生になると一変する。柚木もそんな読者の声を直接聞いたことがあった。
「うちはいつまで子供と一緒にキャンプできるのかなぁ。来年はまだいいけど、再来年はもうわからないなぁ」
子供がキャンプに来てくれなくなるのだ。
「中学生になると部活がありますし、塾に通う子供も増えます。それに思春期だから、親と行動すること自体が気恥ずかしくもなりますよ。ある意味それが当たり前と思っていましたが、それを解決する手段を提示できたらおもしろいですね」
柚木が言った。
「だろ。何か手段があるはずなんだ。ガシャポン、それを見つけて提示してみろ。今回の肝はそこにある」
一週間後、ガシャポンが出してきた第一特集の大ラフはこうだった。
「タイトルは仮ですけど『子供と楽しむキャンプ術』。パート1とパート2の2部構成にする予定です。パート1では、『親子キャンプは子供の年齢によって変化する』という提案です」
0~4歳、5~8歳、9~12歳、13歳以上という4つのカテゴリーに分けてキャンプスタイルの提案をする。幼児のキャンプデビューは心配が多い反面、子供の感性を豊かに育てる貴重な機会だ。これは子供が生まれたばかりの小峰がかなり意見を出したようだ。5歳以上になれば、子供にも年齢に応じた役割を与えていきたい。テントを立てるのは家族全員での共同作業となる。テントを立てる間は子供はどこかで遊んでいてもらう、という発想ではなく、手間がかかっても一緒にテントを立てる。そんな提案をしたいとガシャポンは言った。
「問題は13歳以上ですよね。この年齢になったらいつもどおりのキャンプでは限界です。カヌーやトレッキングバイクなどのアクティビティが必要になるし、子供の友人を連れていくというのもありだと思います」
「そうだね。ファミリーだけに固執しないで、グループになるのもいいアイデアだよね。子供の友人関係をのぞけるいい機会にもなりそうだ」と柚木。
「あと、女の子にはファッションが大事だよ。着ていきたい服がないからキャンプに行かない、という女の子の話を聞いたことがある。それは言い換えれば、着ていきたい服があればキャンプに行きたいっていう意味にもなると思うんだ。それだけ女の子にとってはファッションが大事なんだよ」と磯野。
「撮影には親子モデルが必要だということですよね。読者を使うとなると、ロケが土日に限定されてしまいます。平日に学校休んでくれる気前のいい親子が見つかるといいんですけど・・・」
鹿野が指摘した部分は意外と盲点だった。親子特集だから子供の存在は不可欠だ。読者ページ担当の磯野が、それについては心当たりがあるから大丈夫、と答えた。
「パート1の前になにか必要な気がするな。月刊キャンプが提案する家族像を、すでに実践している著名人のインタビューを入れたらどうだ?」と嶌。
「アウトドアの達人で、家族ともうまくやってる見本のような人物がいいですよね」
柚木も賛同した。
「ガシャポン、48時間以内にそんな人物を探しておけ」
「48時間ってなんですか?」
「だらだら考えているより、時間を区切って集中して考えたほうがいいアイデアが浮かぶもんなんだ。48時間考えて、報告しにこい」
二日後、ガシャポンが見つけてきたのは冒険家の岬洋一郎氏だった。
「岬さんの本、以前に自分の『達人コラム』で紹介したことがあったんです。数々の冒険を経験している方ですが、家族の元へ帰ることを一番のモットーにしています。子煩悩で、親子そろっての冒険も手掛けている方です。この人が今回の企画のイメージにぴったりだと思います」
「いいだろう。たしか奥さんは元モデルとかいう美人だったな。家族そろっての写真も見栄えがいいかもしれん」
「それから、この巻頭インタビューと執筆は徹さんにお願いしたいと思います」
「え? 僕に? なんでだよ。ガシャポンがやればいいじゃないか。巻頭だよ巻頭!」
「わかってますよ。でもこの8月号は失敗できないんでしょ。皆で総力戦をするんだって言ってたじゃないですか。こういう話を書くのは徹さんが一番です。だから、徹さんに担当してもらいたい」
アロハシャツの嶌が腕組みをしたまま言った。
「柚木、ガシャポンがああ言ってるんだ。司令塔からの指示には従うべきだと思うがな」
プライドの高いガシャポンからの提案に驚きを隠せない柚木だったが、だからこそ断る理由はどこにもなかった。柚木自身、岬洋一郎という人物に会ってインタビューができる仕事に魅力を感じていた。
「わかりました。やらせていただきます」
こうして、いままで積み上げてきた建物の上にさらに最上階を立てるようなイメージで、編集部の総力を結集した8月号が制作されていった。柚木にとってそこには、まだ見たことのない景色が広がっているような、そんな淡い期待を感じさせるのだった。