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#23 Lost Stars/迷える星たち

落語好きな嶌編集長が率いるアウトドア系月刊誌。30歳までの限られた編集者生活を送っていた柚木は、最後の配属先となるであろう月刊キャンプ編集部で、月刊誌の編集に没頭する。

「柚木さん、寝てました?」
 電話の声の主は鹿野である。時計を見ると、午前10時をまわったところだ。10月号の入稿を終えた翌日は運よく日曜日だった。今日こそは目覚まし時計を使わずに昼まで寝てやると思っていたのに、何の用だというのだろう。柚木は昨夜の終電で帰ることができたが、鹿野はまだ編集部にいるらしい。また徹夜したということである。

 柚木は、徹夜は身体に悪いし、実際は効率も悪いと感じているから徹夜をしない主義だ。徹夜した翌日に機能停止するようでは元も子もない。自分だけではなく、周囲にも徹夜をしないように口を酸っぱくして言っているのだが、なかなか理解してはもらえない。
 編集部には鹿野のほかに磯野もいるそうだ。ガシャポンは朝になるまでいたが、始発に乗って帰ったという。

「これから編集部に来たファックスを転送します。カツオさんが、柚木さんには一刻も早く見せるべきだって」
「びっくりするやつだからね」と電話口に磯野の声がした。入稿が終わらないのに、どこか楽しそうだ。二人で開き直っているのだろう。

 柚木は布団に戻り、動き出したファックス機をただ眺めていた。ジジーと紙を切る音とともに、受信用紙が床にひらひらと舞い降りる。そこにはこう書かれていた。

【株式会社フライングバードから速報】

小鳥美緒 映画初出演が決定!

『迷える星たち Lost Stars』
来春クランクイン 翌年上映予定

「オードリーがやった!」
 柚木は布団から飛び上がった。彼女の念願の映画出演が決まったのだ。映画の詳細は書かれていないが、『迷える星たち Lost Stars』なんて、まさに青春グラフィティっぽいタイトルだ。柚木はさっそくオードリーに電話をかけた。

「事務所からのファックスを見たよ。おめでとう、オードリー。映画出演が決まったんだね」
 オードリーは直接伝えたかったのに、と事務所からの連絡が思いのほか早かったのに驚いていた。
「ありがとうございます。これも柚木さんや、編集部の皆さんのおかげです!」
「僕らは何もしていないよ」
 彼女の言うことには、映画のオーディションは一次から三次審査まであり、その先の最終審査は本番用のセリフを用いた実践さながらのものだったらしい。緊張とプレッシャーに押しつぶされそうになっていたところ、彼女は発想を転換することに成功した。

「長テーブルに並んで座ってる審査員の方がものすごく怖い顔で観てるから、これをどうにかしなきゃいけないと思ったんです。よくカボチャだと思えっていう言い方がありますけど、審査員をカボチャにするのはできないなぁと困っていたら、月刊キャンプ編集部の皆さんにしちゃえ、と思ったんです。真ん中の監督らしき人が嶌さんで、左右の助監督っぽい人が柚木さんとヨッシーさん。そのまた両脇がカツオさんとガシャポンさんで、あれー小峰さんがいないなー、そうか赤ちゃんが生まれたから来てないんだなーって思ったら、急におかしくなっちゃって。そんなこんなで、肩の力が抜けて普通に演技できたんです!」
「すごい、なんてイメージ力!」
「でしょー。私もびっくりしちゃった。私こんなことできるようになったんだーって、自分で自分を笑っちゃいました」

 映画は最近売り出し中の男女俳優二人をメインにした恋愛もので、男女3人ずつの友情物語でもあるそうだ。15歳の学生時代の同級生が、28歳でまた再会する。青春時代特有の成長と葛藤を描くストーリーだ。オードリーはメイン出演者となる6人のうちの一人に選ばれ、来月から顔合わせと台本読みがはじまるとのことだった。
「すごい、本当にすごいよ。オードリー、本当におめでとう!」

 柚木は心からオードリーの成功を喜ぶのと同時に、彼女が遠くへ行ってしまうという一抹の寂しさが頭の隅をかすめた。電話を切ったあとの部屋のなかは妙に静かになって、柚木はいたたまれなくなって部屋を出た。
 久しぶりの休日だが、これといってすることがある訳ではない。行きつけのコインランドリーに洗濯物を持ち込むと、仕上がりを待つ間に近くのカフェに入る。食欲があった訳ではなく、何か食べなければいけないと思ったからだ。いまの柚木に食べられそうなのは野菜カレーしか見当たらないため、それを頼んだ。

 数週間前から、柚木は身体の不調を認識しはじめた。はじめは夏の疲れが出ているだけだろうと高をくくっていたが、どうやらそれだけではないらしい。いまでは毎日のように口にする栄養ドリンクとマルチビタミンの錠剤が頼みの綱だ。寝て起きても疲れがとれていない。慢性的な倦怠感。食欲もないし、身体がとにかく鉛のように重い。このような症状は柚木には身に覚えがあった。
 オーバートレーニング症候群。
 それは、高校時代に陸上部だった柚木が、高校2年の冬から発症した症状だった。オーバートレーニング症候群とは、肉体的な疲労が十分に回復しないまま積み重なり、常に疲労を感じる慢性的な疲労状態をさす。当時はまだそんな言葉を知る由もなかったが、著名なアスリートが告白したことで話題となった。オーバートレーニングとは練習のしすぎを表現する名前だが、要は疲労回復の失敗と栄養不足が起因している症状だ。

 高校時代は400mのスプリンターであった柚木だが、過度の練習によって疲労が蓄積し、本来の切れを取り戻すことなく3年のインターハイ予選を迎えた。身体の奥底まで染みついた疲労を一掃することは簡単ではない。あのとき、数週間の休養が必要だったのだろうと後になってから思ったが、大会が近づくなかで練習を休む訳にもいかない。記録が伸びないのは調子が悪いため、という短絡的な結論が導かれ、体調管理が失敗していることを認めることができなかった。
 いまの柚木の体調はあのときと酷似している。運動をしている訳ではないが、食事は偏りがちだし生活パターンは不規則だ。日頃のハードワークと睡眠不足を考えると、精神的な疲労の蓄積は否めない。

「柚木さん、8月号の売上好調です! 今までにないスコアが出ています」
 一カ月前、喜び勇んで報告してくれたのは販売部の馬渡だった。
 柚木は7月にはアメリカ大陸横断ツアーに2週間同行し、帰国してからすぐに原稿執筆にとりかかった。8月号では編集部総出で第一特集の担当のガシャポンをフォローした。巻頭に据えられた岬洋一郎氏のインタビューを担当し、まとめたのは柚木である。その甲斐あって、いままで以上に充実した8月号が完成した。柚木なりにもやり切った感はあった。馬渡が伝えてくれた結果に、編集部員が歓喜したことは言うまでもない。
 オードリーとアンリを起用した「定期購読倍増作戦」も見事に当たった。全国のキャンプ場へ案内状を出したことも功を奏して、定期購読数は倍どころか3倍近い伸びを見せている。だが、代償は高くついた。

 勝負の8月号を乗り切った後、9月号のとりかかりに全員が立ち遅れた。ロケのセッティングが遅れ、デザイナーへの依頼が遅れ、原稿の執筆が遅れ、入稿が大幅に遅れた。十分な校正を経ずに校了となり、散々な仕上がりとなった。9月号のロケではまだ慣れない鹿野がキャンピングカーを運転していて事故を起こしている。幸い、人身に影響はなかったものの、貴重な広報車に傷がついたため、メーカーからはかなり厳しいお叱りがあった。嶌と辻礼子がうまく立ち回って大ごとにはならなかったが、後味の悪さが残った9月号だった。
 そしていま、9月号の失敗から反省を生かす間もなく、10月号の制作に入っている。この期間、文字通り休む暇はどこにもなかった。

「牧島販売部長から雑誌担当をやってみろって言われました。僕、月刊キャンプをはじめ雑誌の担当になります。今回の件で、雑誌の販売部数を伸ばすおもしろさを知ったというか、やりがいを感じたんです。まだ未熟者ですが、柚木さんたちの雑誌が部数を伸ばせるよう、頑張ります!」
 馬渡の言葉だけが救いのように感じた。こうやって、社内に仲間が増える感覚は楽しい。編集部内の結束は、広告部の辻、販売部の馬渡など、周囲へも伝播しつつある。
 しかし、一年後には、柚木はもうここには居ない。

「桃栗三年柿八年」
 久しく思い出すことのなかったフレーズが頭をよぎった。「桃や栗は植えてから3年たたないと実を結ばず、柿にいたっては8年もの歳月が必要になる」ということを表すことわざだ。「簡単には一人前にはなれない、諦めず努力することが必要だ」という意味合いにも転じる。だが、このことわざには続きがある。
「桃栗三年柿八年、柚の大馬鹿十八年」

 柚が実を成らせるためには18年もの歳月が必要だ。桃や栗、柿に比べたら破格の時間を必要とする柚。そんな柚を育てようというのは大馬鹿だと揶揄する内容である。そんな柚を植えて地域の新たな産業にしようとしたのは徹の祖父だった。
 徹が覚えているのは、おそらく10歳くらいであっただろう頃の記憶だ。徹の故郷である長野県の小さな町では、夏には桃や梨が、秋になれば林檎や柿がたわわに実る。祖父が立ち上げた「柚木観光物産」は、観光客に地元の果物や加工品を販売する会社である。
 そのころ、町には柚の木がいくつかあり、これを次なる産業にしてみたらどうかという話が持ち上がっていた。

「柚木さんとこで柚の販売も引き受けてくれたら助かるんじゃがな」
 苗字が柚木であったのはただの偶然なのだが、新しもの好きの祖父が興味を示したのは言うまでもない。だが、柚の実がなるのには18年もかかる。祖父の下ではすでに父が仕事の実権を握っていたのだが、父はこれには難色を示していた。

「ボクがやるよ。ボクが大きくなったら、おじさんたちが育てたユズを売ってあげるから、みんなでユズをつくったらいいよ」
 祖父の膝の上に座っていた幼い徹がそう言って、生産者の皆がどっと笑ったことを覚えている。自分の記憶だったのか、祖父や父から聞かされた記憶だったのかはもう定かではないのだが。

 徹の一言で、町では柚の栽培に名乗りを挙げる生産者が増えたというのは本当の話かどうかはわからない。だが、徹が30歳になったら帰ってくるもの、というレールが敷かれたのは間違いなかった。そのレールを敷いたのが幼い徹本人だというのだから、それは大人になった徹にとっても無視できるものではなかった。
 柚の木は、象徴に過ぎない。徹がいなければ、柚木観光物産が立ち行かなくなるのは目に見えている。跡継ぎのいない小規模事業者ほど不安定なものはないからだ。後継者不足は日本社会全体の課題でもある。創業者であった祖父は、徹が大学へ進学するのを見届けるとまもなく他界していた。

 柚木は迷っていた。帰るべきか帰らないべきか。いや、帰らないという選択肢はそもそもないのだ。
 幼かった自分自身との約束を反故にして、編集者を続けていく選択肢もあるのかもしれない。だが、それを自分が選べるとはとても思えなかった。
 柚木にとって、最後の一年が過ぎようとしている。あの日、出版社に入社して、大きな砂時計を頭のなかでぐるりと回してから、もう8年の歳月が過ぎようとしていた。残りの砂が少ないことは明らかだった。


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