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感じきった結果、温かさを得た。

前回、私が感じていた感情がどんなことなのか少し分かってきた気がする。

いつも、そうなる前に先回りして避けてきた
「惨め」という感情に向き合ってみた。

気づかずにいたことを知ることができたり、
思い出したことがあった。

これからが少しずつ変わっていく気がする。




惨めと感じていた場面を色々思い出して感じた時、一番苦しくなるのは子どもの頃の自分を見た時だった。

私は言葉や考えが映像化されるので、少しでも想えば脳内にあの頃の自分が現れる。

当時の家の中の家具の配置も、
日の光の当たり方も全部。
でも、当時の気持ちも入ってしまうから
確かな景色ではないとも思う。

まずは、幼い頃の自分、
小学校の教室にいる自分、
校庭にいる自分、、
各々の自分に会ってきた。

だいたいは、人目を気にしていて、
誰からも注目されないよう、
…それでいて普通を装う自分がいる。

最初からうまく接する事はできなかったのだけど、少しずつ近づいて、そっと触れてみることを何度かやってみた。

何度目かに訪れた時、

「…嫌な気持ちだよね。すごく頑張ってるね。泣きたいよね。…泣いてもいいんだよ」と
背中をさすると、小さい私が
「うわ〰️ん」と上を向いて大きい声で泣いてくれていた。
たまらなくなって、ギューっと抱き締めた。すると、強張っていた体は「ふっ」と脱力した。きっと、小さいなりにいっぱいいっぱいだったんだ。
抱きしめながら一緒にわあわあ泣いた。

大きくなった自分には、

「これは、いい経験だったよ。ちゃんと未來に繋がってるよ、我慢させちゃってごめんね。」と伝え、

更に大人になった自分には、

「そんなに頑張らなくてもいいよ。
我慢もしなくていいよ。」と伝えた。

そして、どの自分も気が済むまで抱き締めた。

この前、私がそうして欲しかったように、
頭からすっぽりと隙間なく包んだ。


・・・

ここで、ふと思った。

子どもの頃、感じたままに自分を表現できていたとしたら、どうだったんだろう?

クリスマスの朝、
画用紙で作った靴下に何も入ってなかった時の、びっくりとガッカリを子どもらしく全身で訴えていたらどうだったろう?

これは、私がもう親になっているから
親の視点として考えてしまうけど、
子どもが大泣きしていたら、きっと駆けつける。なんとかしてあげたくて、理由を聞く。

「どうしたの?!なんで泣いてるの?」と
気にかける。
理由を聞ければ共感し、なだめたりする。「サンタさんは明日になっちゃうみたいよ」なんてちょっとした嘘をついて必死で翌日に何かしらを用意する。

もしかしたら…当時、私が泣いて訴えたら?

そうしてくれたのかもしれない。

でも、当時、
私は泣かなかった。自分がどんな気持ちなのか伝えなかった。

どうやら私は
伝えることや、求めること、
自分の本当の気持ちを表すことをあまり
してこなかった。

ちいさな頃から、大人になった今でも。

それには、きっと理由があったのだろう。
目にしてきた日常や環境が気づかないうちに無意識に積まれていたのだろうと思う。



ここ数ヶ月、なんだか寂しいと思うことが多かった。もう自分には必要ないと思っていたのに、女としての感覚が無性に欲しくなった。包まれて、優しくされて、体と言葉で
「もう、十分」というほど満たされたい。

それは、体の関係を求めているのとは少し違って、言葉や、態度で、自分の弱い部分とか、嬉しい部分を確認させてほしい感じ。

大きな体で全てを包んで、安心させてほしくなった。
私は、小柄なわけではないから男性の手で
力強く触れられた時に、自分の弱さと小ささを確認できる。
強いと思っていた自分は、
「実は弱くて華奢なんだ」と自分で自分を
確認したい。そんな風に思った。

「本当の気持ちを表現することが苦手だった。」と気づいた今だから分かったことが
ある。

私は昔から、女性が男性に対して、
思うまま奔放に自分の要求を発言したり、
可愛さを惜しげもなくアピールしたり、
素直に甘えたりしている様子が好きではなかった。
たぶん、自分の中で、
「それは、してはいけないこと」
という認識だった。

物わかりの良い女であること、
束縛しないこと、これが良いと思ってきた。

でも、そうしてきたから気に留めてもらえなくなる時がくるんだ。と気づいた。
…いや、そういう風に感じる思考を持っている。
きっと、
相手は放っておいてるつもりはないのだと思うから。

私が目にしてきた愛される人は、
自分の良いところを素直に表現して、それがたとえワガママであったとしても、
相手の心を動かすことができる。
放っておけなくなる。気になる存在になる。

ワガママかどうかは他人の私が決めることじゃなかった。
ただ、本当を表していける人と、それを
受けとめる人がいる。ということだと思う。

本当を表せる人も全て満たされているわけではないのだろうけど、それができることが羨ましかった。

自分の感情を表現して伝える、求めるって、
とても大切なことだったんだ。
自分が傷つくかもしれないことを不安がって本当の自分を隠してきたことは、考えようによっては誠意のないことだったのかもしれない。


「自分を下げて扱うから人からもそのように扱われるんだよ」

私はそう思ってきたけど、
そんな私は、自分の本当の気持ちを伝えてこなかったから、人からの本当の気持ちを受け取れていなかった。

親からも、恋人からも、夫からも。

私が表現していたら、きっと相手も違う表現を引き出して私に見せてくれていたと思う。


昔、お付き合いのあった人に偶然出会った時、
「お前、今、幸せなんだろう?」と聞かれた。すぐに返事ができずにいると、
「…なんだよ。お前が幸せならそれでいいと思ってたのに」と。ありがちなセリフを冗談で言ってると思ったのに、顔を見たら本気だった。
この人は、私が惨めな気持ちを感じる前に
こちらから別れを告げた人だった。
慌てて「幸せだよ」と返した。

中学時代の恩師も、毎年年賀状で
「おーい!元気か?幸せか?」と添えてくれる。私の家庭事情も、闇の部分も知る先生だ。

私が思い出す「惨め」を感じていた時代に
関わっていた人が、
今でも私の幸せを願ってくれていた。

…そんなことを思い出した。



滅多に触れあわずに過ごしたであろう
父との関わりで、忘れられないことがある。

日頃、滅多に関わらないので、自分の父親であるのに、どこか他所の人のように感じて
緊張し、甘えた記憶はない。


冬、冷たい布団の中で縮まっていると、
さっきまでコタツに入っていた父が私の布団に入ってきて
「あったかいだろう?」と自分の太ももに
私の脚を挟み、丸まった私をすっぽりと
覆ってくれた。
・・・

あの夜、全部を包まれた私は、
初めは緊張していたのと寒さでガチガチだった。脚を挟んでもらったら、
あったかくて、、とてもあったかくて、
頭も肩も背中も、自分では一度に抱えられない部分を包んでもらったことが、とても気持ち良かった。

・・

今、はっきりと思い出した。

あの時の私は、柔らかく目を瞑り、
幸せな顔で笑っている。
嬉しさを抑えきれないその顔を見た瞬間
「あぁ、幸せはちゃんとあったんだ」と、
心から思えて、涙が止まらなかった。

今になって、子どもの頃に戻ったように
「あっかいよ。ありがとう!気持ちいい!
おとうちゃん、大好き。毎日こうやってね!」
と言ってみた。

「ああ、いいよ。寒いもんな。
お前は可愛いな。よーくあっためてやるから
早く寝ろよ」
…なんて返ってきた。

ボロボロボロボロ涙が止まらない。


貧乏こそが惨めの原点だと思っていた。
同時期に人との関わりで感じた惨めが次から次へと襲ってきたのは何なのだろう?と思った。

ここまでで確実に向き合えたのかどうかは
まだ分からないけど、

とりあえず今は、惨めは感じていないし、
この先、何か満たされない気持ちを思った時に、戻れる場所や、気持ちの置場所を持てた気がしている。

今の私にできる
「感じきること」は、今はこれでいい。
そう思うことができた。










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