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【作品#43】『逃亡小説集』

こんにちは、三太です。
 
そろそろお盆が近づいてきました。
勤務校の夏休み課題で、八月十五日の終戦記念日にちなみ、戦争について考えたことを作文するというものをやります。
毎回自分も一緒に作文を書いています。
そうすることで戦争について改めて考えることができて、とても良い機会になっていると考えています。
 
では、今回は『逃亡小説集』を読んでいきます。

初出年は2019年(10月)です。

角川文庫の『逃亡小説集』で読みました。


あらすじ

「逃亡」がテーマの4つの作品が収められた短編集。
それぞれのタイトルは以下の通りです。
「逃げろ九州男児」
「逃げろ純愛」
「逃げろお嬢さん」
「逃げろミスター・ポストマン」
それぞれの短編では、逃げる当事者、あるいはその周りの人間から逃亡の様子が語られます。
目の前の現実から逃げざるを得ない人間のそこに至るまでの人生。
その丁寧な描写が素晴らしい作品です。

公式HPの紹介文も載せておきます。

「もう、いいよ……。もう、逮捕でもなんでもしてくれんね」
高校卒業後、地元の北九州を出て職を転々とし、夜逃げした先輩の借金を返すも、年老いた母親を抱えて途方に暮れていた秀明は、その母親を乗せた車で一方通行違反で捕まった時、自分の中でついに何かがあふれてしまった。そのまま警察を振り切り、逃走を始めた秀明に、去来するものとは…(「逃げろ九州男児」)
一世を風靡しながら、転落した元アイドル。道ならぬ恋に落ちた、教師と元教え子。そして、極北の地で突如消息を絶った郵便配達員。 彼らが逃げた先に、安住の地はあるのか。人生の断面を切り取る4つの物語。
著者ライフワークの傑作小説集第2弾!

出てくる映画(ページ数)

今回もありませんでした。
そのため次の作品に進もうと思います。
 

感想

普通、事件の報道があったときに、その事件の容疑者、被害者の人生が詳述されることはほとんどないです。
事実として起こったことがニュースとなります。
けれども、本当に重要というか自分事として事件を捉えるなら、その事件に関わった人間を知ることが重要な気がします。
もちろんだからと言って、『逃亡小説集』が教訓めいた話になっているわけではないです。
文学作品として読み応えがあるものとなっていました。
でも、普段触れる報道の本当に知りたい部分も書いてくれているようで、そういった点でも面白く感じました。

また、『逃亡小説集』は他の吉田修一作品と密接につながると感じられるところが多いです。
一つは登場人物。
「逃げろ九州男児」の福地秀明は『悪人』の清水祐一を彷彿とさせます。
「九州の人」「地方でくすぶっている感じ」「父親がいない」「普通ではない性の相手がいる(不倫や性のお店)」などが共通しています。
「逃げろ純愛」の女性教師と元生徒の恋愛関係は『東京湾景』の亮介と里見先生のようです。
繰り返し現れる登場人物の設定からは、そのような人物への吉田修一さんの関心の深さが伺えます。

もちろんそもそも逃げるという「衝動」を描くのは『悪人』をはじめ、吉田修一さんが書く「犯罪」に関わる作品の根底に通じるテーマです。
そこに惹かれる、あるいはどことなく共感してしまう自分がいることを感じたのも今回の読書での発見でした。
おそらく自分にも衝動でなにかをしてしまう部分が少なからずあるんだと思います。(もちろんそれで現実がめちゃくちゃになることはありませんが・・・)
自分を通して読めるからきっと惹かれるんだと思います。

短編の中で面白い仕掛けも見られました。
「逃げろ純愛」は奈々(教師)と潤也(元生徒)の交換日記形式で話が進みます。
「逃げろお嬢さん」では康太(温泉宿のオーナー、舞子の熱烈なファンだった)と舞子(元アイドル)の二つの視点から物語が語られるのですが、康太は舞子が現れたことをドッキリだと勘違いして話が進みます
どこかしらお笑い芸人のコントのような感じもします。
そういった一風変わった仕掛けを楽しめるのも本書の魅力でしょう。

非生産的なことを肯定するような描写も見られます。
例えば、「逃げろ純愛」での潤也の日記に出てくる言葉。

これまで何もしない時間なんて無駄でしかないって思ってた。
太陽が昇ったら起きて、できるだけいろんなことしたいと思ってた。でも、この島に来て、ちょっと考え方が変わったよ。
黙って海眺めてても、ぜんぜん退屈しないんだよね。ぜんぜんつまらなくもない。海を独り占めしてる気分だし、民宿のおじさんが育ててるサトウキビ畑の、ざわわざわわ、だって独り占めしてるみたいだし、すごく気分がいい。

『逃亡小説集』(pp.95-96)

これは、個人全集刊行をはさんで、『逃亡小説集』の次に書かれる作品、『湖の女たち』にも通じるテーマです。
『湖の女たち』の映画化記念対談で行なわれた吉田修一さんと大森立嗣さんとの対談で次のようなやりとりがなされます。

吉田 この作品では、捜査する側の刑事の圭介と、疑われる側の介護士の佳代がインモラルな関係に陥るんですが、二人の関係は、世間一般の言葉でいえば不倫ですよね。しかも刑事の妻は妊娠中です。圭介と佳代の関係は純粋な恋愛とはほど遠く、もちろん子どもをつくる気なんてまったくない。湖と同じで、彼らの関係はどこに行くこともないし、何も生み出さない。いわば“生産性のない関係”なんですね。

大森 いまの世の中では絶対に肯定されにくい関係ですね。

吉田 しかも執筆中に偶然、月刊誌の「新潮45」が「子どもをつくらない同性愛者は生産性がないから、国が支援する必要はない」と国会議員が主張する論文を載せて批判されました。そんなことを横目に見ながら書いていた。
大森 生産性という言葉は経済的にみると「正しさ」を装ってしまうのが恐ろしいところですけれど、圭介と佳代の関係がそうであるように、生産性とは別次元の、自分の存在を際立たせる行為というものがあると思うんですよ。それがあの、二人の間で繰り返される、SMとも何ともいえない奇妙な行為だった。人間という生物は経済的合理性だけでは生きていけないですよ。生産性なんてなくたっていいんじゃねえかと俺は言いたかった。

吉田 ぼくにとっては、圭介と佳代という二人の関係と、どこにもつながっていない湖の、湖面の美しさがリンクしていたんです。不倫だとか正義だとか道徳といったものは、まったく二人の眼中にはない。社会通念みたいなものが一切なくなっていった先に、彼らの関係の強さがある。

大森 二人だけの王国ですよね。

デイリー新潮
「生産性なんてなくていい」「琵琶湖は不思議な力を持っている」 小説「湖の女たち」映画化記念対談 監督・大森立嗣×作家・吉田修一
2023/08/15

この当時吉田修一さんが「生産性」ということについて考えていたことが伺われます。

吉田修一さんの公式サイトにある担当編集者の「ここだけの話」には、三部作の小説集を作りたいと述べられた、吉田修一さんの言葉が掲載されていました。
本作は『犯罪小説集』に続く第二弾です。
ということは、きっとそのうち第三弾が刊行されるはず。
こちらも楽しみにしておきたいです。

油照り生産性から逃げる君

以上で、『逃亡小説集』の紹介は終わります。
逃亡をしようとする人間の背景がしっかり物語として描かれていました。

それでは、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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