見出し画像

【作品#22】『さよなら渓谷』

こんにちは、三太です。

今週は中学校の卒業式があります。
今年卒業する生徒は入学したときにちょうど4~5月まで一斉休校となった生徒たちです。
学校行事についても色々と中止、縮小が重なりました。
けれどその中でもきっと彼らだからこその中学校生活を送ってくれたのだと思っています。

では、今回は『さよなら渓谷』を読んでいきます。

初出年は2008年(6月)です。

新潮文庫の『さよなら渓谷』で読みました。

あらすじ

桂川渓谷の近くの団地に住む幼児が遺体となって発見された事件。
物語はこの事件を軸に展開していくのですが、その展開は奇妙な軌跡を描きます。
幼児(とその母)が住んでいた部屋の隣で暮らす男女、尾崎俊介とその妻、かなこ
この二人には隠された過去がありました。
幼児殺害事件を追う中で、この二人の過去の秘密も同時に追っていくことになる記者、渡辺一彦
この話は主に俊介と和彦を交互に語り手として進みます。
俊介とかなこの隠された過去とは何なのか。
それを通して見えてくる人間の業とは何なのか。
これらの問いが大きなテーマとなっています。

公式HPの紹介文も載せておきます。

幼児殺害事件の捜査線上にのぼる女の隣家に暮らす夫婦。容疑者が隣の男との関係を匂わす発言をしたことから、警察に目をつけられるようになってしまう。しかも、妻は容疑者の告白を裏付けるような証言をするのだ。この些細な出来事は、次第に大きな秘密を露呈することとなる。幼児殺害事件を追っていたジャーナリストは、やがて15年前に起きたひとつの事件にたどり着く。そこには信じられないような真実があったのだった。

出てくる映画(ページ数)

①「ピアノ・レッスン」(p.145)

何をするというわけでもなかったが、休日の混んだ通りを歩いていると、ちょうど五分後に始まる映画があった。『ピアノ・レッスン』という作品で、つい一週間ほど前、通信制大学の月一度のスクーリングで隣の席だった女性が絶賛していたのを思い出した。

今回は以上の1作です。

また、これまで吉田修一作品に出てきた映画とのつながりがあったので指摘しておこうと思います。

カラオケボックスを出ると、夏美たちは帰ると言い出した。俊介は慌てて、「あのさ、うちの学校のグラウンドに忍び込もうよ」と誘った。
カラオケボックスで、唯一、夏美が声を弾ませた話題だった。夜のグラウンドは、どこか神秘的な雰囲気がある。怖くて、一人では入れないが、いつか忍び込んで、思い切り走ってみたい。夏美はそう言ったのだ。 

『さよなら渓谷』(p.130)

グラウンドを思い切り走るという描写は「恋する惑星」でのワンシーンとつながると感じました。

感想

シンプルに面白くてぐいぐい引き込まれました
まず、この話は夏の暑い感じの描写が序盤からこれでもか、これでもかと執拗に描かれます。
しかし、最後の場面は桂川渓谷でそこには涼風が吹いています。
その描写の変化は、この物語の登場人物のこれからをどことなく暗示していると思われるのです。
ちなみに内容としてこれからどうなっていくかは明示されていないので、やはりこの体感の描写は重要だと思います。

もう一つは『悪人』のテーマにも通じることですが、罪を犯した人物を断罪しているわけではない雰囲気があります。
もちろんやったことは悪いと思います。
ただ、そこだけにはおさまらないものが描かれていると思いました。
つまり、パーソナリティーの問題というよりも、もっと社会の仕組みや構造の話につながっていくような感じです。
例えば、俊介は大学時代に集団レイプ事件を起こすのですが、それはスポーツに全てをかけてきたからこそ起こったようにも読み取れます。
スポーツの勝利至上主義がもたらす弊害というものです。
この勝利至上主義の弊害による負の現象は記者である渡辺の身にも起こります。 
また被害者である水谷夏美もどこかしら全くの被害者というよりもそのような展開に陥っていく過程にパーソナリティー以外の問題が感じられます。
この物語との本筋とは離れるのですが、スポーツの問題については部活動でバスケットボールを指導する立場である自分も身につまされるものがあります。
そうならないように人間的な成長にも寄与できるようにしていきたいです。

最後にこの物語は幼児殺害事件の真相を暴く所から徐々に話がずれて、隣家(隣部屋?)に住む男女の過去に起こった別の事件がメインテーマとなっていきます。
この展開のさせ方が独特でとても面白かったです。
この点については文庫解説の柳町光男さんも述べていて、このあとの映画とのかかわりの項で詳述します。
ミステリータッチで読みやすく、けれども色々と考えさせられる作品でした。
 
渓谷の涼風僕をあなたをも
 

映画監督、柳町光男さんの解説

文庫の解説が映画監督の柳町光男さんでとても興味深かったので紹介します。
 
この解説のはじまりは「吉田修一はシネフィルか?」(p.236)という問いです。
シネフィルとは「映画通や映画狂」という意味らしいです。
 
このあと解説では私がこのnoteでやっているように吉田修一作品とそこに出てくる映画が列挙されます。
『さよなら渓谷』『悪人』「東京湾景』『パレード』・・・それぞれの作品に出て来る映画が取り上げられます。
 
そしてそれらを通して、「ここで私が強調したいのは、吉田修一は紛れもなく真底映画が大好きな小説家だということである」(p.240)という指摘を行います。
映画監督からも見てもやはりそうなんだと感じました。
 
そして、『さよなら渓谷』自体についても解説していきます。
「私が読んだ吉田修一の小説の中で一番映画を感じた小説である」(p.240)というのです。
このあと『さよなら渓谷』と関連する映画が列挙されます。
 
例えば、幼児殺害事件が中心かと思いきやその隣の部屋に住む男女の話に話題がすり替わっていくことを評して、「この主題と主人公のすり替わりがなんとも映画的だ。」(p.241)ということで、アルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』が取り上げられます。
 
そして、ここから取り上げられる映画は次の通りです。
『隣の女』『グラン・トリノ』『裏窓』『非情の罠』『ノックは無用』『仕立て屋の恋』『ブロンド少女は過激に美しく』『ミスティック・リバー』『乱れ雲』・・・。
 
様々に映画を取り上げてそれらと『さよなら渓谷』がどのように関連するかを論じていきます。
そしてこのように述べます。

「『さよなら渓谷』は映画監督を刺激する小説である。(中略)それは、吉田修一がこれまで観てきた数多くの映画が彼の血となり肉となっていて、それが取りも直さず『さよなら渓谷』に色濃く擦り込まれ、映画的な小説に相成ったからだと言えないだろうか」

『さよなら渓谷』(p.245)

noteを始めようとしたときに意識にはありませんでしたが、私は一度この解説を読んでいるはずなので、それこそこれらの文章が血肉となって私のnoteは始まっているのかもしれないなと思いました。
 
今回吉田修一作品との関連映画としてここで紹介された映画を見ようかなとも思ったのですが、あくまでも柳町光男さんが関連付けているだけであり、吉田修一さんがどこまで見ているかはわからないので、(おそらくけっこう見ているだろうとは思いますが)閑話休題で「柳町光男シリーズ」みたいな感じでボチボチ取り上げていけたらと思います。
 
次回は映画紹介をします。

では、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?