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【読書感想】夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』&【映画感想】陳凱歌監督『空海―KU-KAI―美しき王妃の謎(原題:妖猫伝)』
24年9月の歌舞伎座は『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』が演目に入っている。
それで、原作である夢枕獏の小説を読み、タイミングよく放送されていた映画『空海』も見たので感想を残しておきたい。
📖 小説 『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』
『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』は夢枕獏の小説。
わたしが読んだのは単行本で、4巻に分かれている。
遣唐使として唐に渡った空海が、橘逸勢とともに、長安で起きる不思議な出来事の謎を解いていく物語である。
物語は、人の行動を言い当てたり、起きることを予言する奇妙な黒猫の話から始まる。
留学中の空海と橘逸勢がその件を知り、調べていくと、謎は次の謎を呼び、次第に事件はその大きさを顕す。2巻のラストでは、空海は安倍仲麻呂が残した手紙を読み、玄宗皇帝と楊貴妃の物語が関わっていると知る。
舞台が中国なので、すべてが広大で果てしない。
空海が留学していた当時(805年ごろ)の長安の国際都市ぶり、その賑やかで華やかで、同時に栄華が崩れる予兆が目に見えるようで、読み始めたら止まらなくなる。
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同じ夢枕獏の、”陰陽師シリーズ”と構成は似ている。
あちらは、安倍晴明と源博雅が、都で起きる様々な怪異を解決していく。
飛び抜けた才を持った人物と、身分が高く教養ある人物が、コンビで事件を解決していく形という点は共通だ。
ミステリ小説に、稀有な才を持った人物と、彼に振り回される、それなりの教養と地位を持った人物、という凸凹コンビはお約束。
しかし、天才探偵役にありがちな、奇怪な言動で周囲を凍り付かせるようなことは、空海はしない。常に相手に親切に、礼儀正しく接する。
事件は相当グロテスクなのだが、空海の、飄々として穏やかなキャラクタのおかげで、落ち込まずに読める。
そして随所に、生きることや心の持ちようについてハッとするような言葉がある。
たとえば3巻の、哀しみも永遠には続かない、それを知ることで人は哀しみと共に立つことができる、という空海の言葉だったり、4巻で憲宗皇帝が、自分が直接の原因でなくても誰かに憎まれ呪われるということは、あり得るのだろうと話す部分。
「しかし、人は、そもそも、あずかり知らぬ過去のことによって、今を生かされているーーこの朕が纏う布も、食べ物を焼く火にしても、その昔に、朕のあずかり知らぬ者が作り出したのであろう。それによりて、今の我らが生かされているのであれば、あずかり知らぬ過去のことで、生命を奪われることがあるにしても、それはそれで、あることであろう」
こういうリアルな部分と、一方で、空海と鳳鳴が互いにその力から生み出したものを交換する「呪法合戦」とか、空海が開く宴といった幻想世界の混ざり方が絶妙。
4巻では、いよいよ空海による宴が催される。
過去と現在から、さまざまなモノが集う。
ぶくぶくとした青黒い肉の腐臭と、咲き乱れる牡丹を撫でる風の芳香が入り交じるような真相解明と、怒涛の伏線回収。
瓜を売る男、地中の俑など、ストーリーに出てきたものがすべて、水滴がくっつき合って水流になっていく感覚が気持ちいい。
特に「宴」での大猴のところは、読んでいて「それ忘れてた…!」と声が出てしまった。
スケールが大きくて、風情があって美しく、なおかつ、希望のある物語だった。
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📖 映画 『空海―KU-KAI―美しき王妃の謎』
*ネタバレありです。ご注意くださいませ
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監督は『さらば、わが愛/覇王別姫』の陳凱歌監督である。
小説を3巻まで読んだところで、WOWOWで映画『空海』の放送があり、ついチャンネルを合わせた。
映画のはじめに、原題『妖猫伝』と字幕が出て、やばい、と思った。原作が夢枕獏の『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』だと、ようやく気づいたのだ(遅)。
見たら、小説の結末も分かってしまうのかな…と不安があったが、大丈夫。
小説とは設定も展開もかなり違うので、それぞれで楽しむことができる。
映画は原題『妖猫伝』のとおり、黒猫の正体と楊貴妃の死の謎がメインとなっている。
映画でも回想という形で、玄宗皇帝と楊貴妃の「宴」は美しく独創的な映像で描かれるが、小説のタイトルに入っている「宴」とは狙いが異なる。
したがって、先に映画を見たからといって小説版の楽しさが損なわれることはない。
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では逆に、先に小説を全部知ってて映画を見た場合は?といえば、わたしはそれでも映画も面白いだろうと思った。理由は3つある。
1つ、小説だけでは自分に知識がなくて想像しきれない、中国の壮大な空気を感じる助けになる。
2つ、黒猫が人の言葉を話すという内容は、小説だと頭がわりとすんなり受け入れてしまうのだが、映画だと異様さが感じられる。しかも、この猫が終盤とても健気なキャラに描かれ、かなり芝居をする。
3つ、橘逸勢を出さず、白楽天(白居易)が役割を兼ねて空海とコンビになるという変更が、スピーディな展開に効果的である。
そこに、想像を超える美しい映像が次々あらわれるので飽きない。
小説と映画、どちらが先でも、それぞれに充分、楽しめると思う。
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『妖猫伝』という原題を意識せず、小説も知らずにこの映画を見たら、タイトルでは空海がメインなのに活躍してない、と感じるのは間違いない。
それは主演俳優のせいでは全然ない。
演じるとなれば誰もが尻込みしそうな偉人「空海」を、染谷将太は芯のある軽やかさで、自分のものにしていたと思う。身体を跳ねさせないのに素早く歩く身のこなしをはじめ、内側に大胆さを込めた丁寧な芝居だったと感じる。
できたら、この人の空海で、憲宗皇帝に乞われて書を残すシーンも見てみたかった。
邦題が誤解(がっかり感?)の原因のひとつかもしれないけれども、では、どんなタイトルが良かったのかと問われたら難しい。
もし邦題も『妖猫伝』だったら、わたしはチャンネルを合わせなかった気がする…。
📖 さいごに
歌舞伎のための予習という理由だったとはいえ、久しぶりの夢枕獏作品、楽しく読んだ。
本は分厚いけれども、会話部分も多いので、ページのボリュームで受ける印象よりもずっと読みやすい。
中国や仏教、弘法大師の書への興味が湧いてきて、小説を読んで終わりではなく、これを調べてみないと、と感じさせてくれる。
公開当時はまったく興味がなかった(!)映画『空海』を楽しく見られたのも収穫だった。
歌舞伎の『沙門…』はどんなふうに描かれるのだろう。
Youtubeのダイジェストを見て、却って不安になったところも、あったりなかったり…。
過去の上演を観ていないが、役名を見ると、わりと小説の後半に比重がかかっているのかな?とも思える。観てから、また感想を残したい。
夢枕獏は舞踊『楊貴妃』も作っている。
坂東玉三郎の楊貴妃があまりに美しく、見ていると魂が天空に飛んでいってしまいそうな作品だ。
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最後までお読みくださって、ありがとうございました。