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『平家女護島 俊寛』ほか_2024年10月 歌舞伎座 昼の部

遅くなってしまいましたが、10月歌舞伎座、昼の部の感想を残したく思います。


平家女護島 俊寛

竹本愛太夫のたっぷりとした語りから始まる。
久しぶりに劇場で見ると一段と、この演目のセットは素晴らしい。
逆巻く波の模様、崖に這うツタ、粗末ないおり

崖の向こうをぐるりと回って、菊之助の俊寛の登場。
島流しも3年の長い間で、げっそりとやつれている。手にした海藻ばかりが青々しく、いっそう侘しい。
『中村吉右衛門 舞台に生きる』によると、海藻は本物だそうだ。

貝殻を鍋がわりに海藻を火にかけていると、花道から丹波少将成経(萬太郎)、平判官康頼(吉之丞)が登場。

最初の赦免状に俊寛の名前がなかったり、千鳥が乗船拒否されたりと、一難去ってまた一難の展開。僧だけれど誰よりも人間らしい俊寛の一喜一憂を、菊之助が丁寧に見せる。

千鳥が船に乗れないならば、自分たちも帰らぬと3人が円座になるところは、形が面白かった。
中央にいる千鳥が黙って座るのでなく、客席に背を向け、袖に両手を隠して高く拝むように上げた形でまる。これまで、円座の中にそっと座っている千鳥の姿しか記憶になかったので、へえと思った。

俊寛が瀬尾を斬る場面では、三味線が効いていた。
自分の代わりに千鳥を乗せてほしいと瀬尾に頼むも、却下されて蹴倒される俊寛。
身を起こしたところに、ベン、と強く三味線が入る。
ここで、俊寛の気持ちが交渉から実力行使(瀬尾を斬る)へと切り替わったことがハッキリ表れる。

御赦免の船が出ていく。
俊寛は、自分の声に応える成経たちの「おおーい」を、頷きながら聴いている。
この応えが聞こえなくなったとき、俊寛の表情は曇り、その身を、どっと孤独が襲う。
〽思い切っても凡夫心ぼんぷしん」という葵太夫の語りが、絶妙なタイミングで入ってくる。

菊之助の俊寛のラストは、虚無ではないし、千鳥を船に乗せた安堵にも見えなかった。

まだ続きがある、どうする?次どうするの俊寛?と思っているうちに終わる
そんな感じだ。
俊寛の物語がここで終わると思っているのは、見ている側だけ。崖の上の俊寛は生きているのだから、何も終わっていない、ということかもしれない。

こういう”終わらない”俊寛は予想しなかった。これも面白い。

今回の俊寛の感想と少し離れてしまうが、『俊寛』はたぶん、絶滅しかかっている

20年前なら、吉右衛門、仁左衛門、勘三郎、幸四郎(2代目白鸚)、それに3代目猿之助(2代目猿翁)の俊寛があった。
以前は年に2〜3回、時にはもっと出るのもめずらしくなかったのに、歌舞伎公演データベースを見ると、2019年以降は年1回ほどしかなく、21年と22年は0回。
2代目吉右衛門亡きいま、俊寛と聞いて思い浮かぶ役者はとても少ない。

菊之助が俊寛というのは、とても意外で、知った時は配役の読み間違いかと思った。しかし菊之助の、都人みやこびとの優美さと、独特の気強さ、妻への愛のある俊寛を、わたしは楽しく、嬉しく観た。

役者絵的というか絵画的というか、極まる美しさ壮絶さの部分に感じる物足りなさは、次回以降で徐々に解消されていくのを楽しみにしたい。

音菊曽我彩おとにきくそがのいろどり


幕開きが『俊寛』と同じく浅葱幕の振り落とし。
見ていて「また?」と思ってしまう。
紅葉など背景はまだしも、魁春の大磯の虎や巳之助の朝比奈などが板付き(最初から舞台にいる)なので、浅葱幕を受け止める人たちの陰になってしまって効果が薄い。

曽我五郎と十郎が、工藤祐経のもとを訪れて互いを認識するも、敵討ちは次の機会にと言われて狩り場の通行手形をもらうーー正月によく出る『寿曽我対面』の、秋バージョン。

『寿曽我』では、朝比奈(あるいは舞鶴)が、会って欲しい若者がいる、と工藤祐経にとりなして五郎十郎が登場したりするのだが、秋バージョンだし音羽屋系の新作のため、曽我兄弟は”菊売り”で登場する。

今回は五郎と十郎でなく幼名の箱王(眞秀)と一万(尾上右近)となっている。眞秀の可愛らしい輪郭に、稚児のかつらがよく似合う。

尾上左近の化粧坂少将と、中村橋之助の秦野四郎にぎこちなさが漂う中、さすが坂東巳之助の朝比奈は心地よい荒事っぷり。
魁春の大磯の虎は別格の安定感。尾上右近の一万も本舞台に来てからは、さらに華やかになる。

尾上菊五郎の工藤祐経が出てくるまで、おおらかな曽我物らしさを担っているのは魁春と巳之助だと思う。こんなに力のある坂東巳之助、もっともっと大きい役で出てもいいと思うのに、不思議で仕方ない。

菊五郎の工藤祐経、白の衣裳がパッと明るくて、爽やか。
声もきっぱりしている。椅子に座ったままではあるが、投げる手形もナイスコントロールだし、菊五郎の登場で一気に”めでたい”感が出る。
宝刀の友切丸が手に入った、と花道から登場する鬼王新左衛門は中村芝翫。

演目としては新作であっても、曽我ものとなれば、ああめでたいな、と観られる。これが伝統芸能の力だな、と思う。

権三と助十

岡本綺堂の戯曲。
長屋の井戸替えの様子から、お話は始まる。

この演目、権三の女房おかん役が中村時蔵というのがいい。

初役と思えない、こなれた女房ぶり。
特に、後半の権三(中村獅童)との喧嘩シーンは、遠慮なくバシバシと団扇で叩きまくっていて笑えた。笑いもできるなんて時蔵は最強だなぁ。

権三が中村獅童。この人はちょっと途方に暮れた、ボヤきの芝居がうまい。
松緑の助十は丈夫そうな肩幅が、駕籠舁きらしくて良い。

父が無実の罪で牢死してしまったと、彦三郎(尾上左近)が家主(歌六)に相談に来る。彦三郎は大坂から駆けつけた息子で、関西言葉で切々と状況を訴えるのだが、左近のセリフは語尾のリズムが単調。工夫が欲しいところ。

願人坊主の願哲がんてつが澤村國矢。この人は12月に澤村精四郎きよしろうを襲名するので、國矢として歌舞伎座に出るのは今月が最後。もう一人の願人坊主は橘太郎。

権三(獅童)は、父の無実を信じる彦三郎(尾上左近)の話を聞くうちに、事件の夜に不審な男を見たことを思い出す。
家主(歌六)の工夫で、奉行所できちんと話を聞いてもらえるように、権三と助十を縛って奉行所へ連れて行くことにする。

前半は権三と助十が縄を打たれる意外性の他はさほど盛り上がらず、面白いのは捕まった男がお礼参りに来る後半だった。

天水桶の水で光るものを洗っていた、という権三と助十の証言で、左官屋の勘太郎(吉之丞)が捕まったのだが、釈放されてくる。
釈放されたのは犯人でないから?とビクつく権三たちに、勘太郎はチクチクと嫌味を言い、凄んで追い込み、しまいには猿回しの猿を殺す。

吉之丞が演じる勘太郎に、不気味な怖さがあるのと、獅童、時蔵、松緑の息の合ったコメディぶりが楽しい。

犯人はやはり勘太郎で、大岡越前(舞台には一度も出てこない)が証拠を掴むために泳がせていただけなのだが、そのせいで猿が…と思うと悲しい。
勘太郎を捕まえる役人の石子判作が河原崎権十郎。爽やかに去っていったけども、この人が家主をしても良さそうな…。歌六が忙しそうで体力が心配。

さて、勘太郎が捕まり、死んだ彦兵衛も濡れ衣が晴れてよかったね…と終わると思いきや、なんと彦兵衛は生きていた。これも大岡越前の作戦だった、という展開。
最後の最後にひょいと出てくる彦兵衛は、中村東蔵。

わたしは東蔵が好きなので、一気に「めでたし、めでたし!」と気分が盛り上がり、気持ちよく観終えた。

筋書すじがきの上演記録によれば、大正15年の初演は、権三が超美形の15代目羽左衛門、助十が2代目左團次、家主が初代吉右衛門。
それは観たいなあ!

お読みいただき、ありがとうございます。


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