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映画感想『阿修羅城の瞳』2005年公開

*この文章は2023年6月にAmebloで投稿したものを加筆修正しています

『阿修羅城の瞳』。2005年公開の映画。
Huluで見かけたので懐かしくて、つい再生してしまった。
配信で見なくても、実はDVDを持っている。

2005年公開。阿修羅城の瞳

公開の頃にスクリーンで見たわけではない。たぶんCS放送で見て、気に入って、中古で見つけてDVDを買ったのだろう。
昔のことすぎて、よく覚えていない。

DVDを買ったときの記憶は曖昧だが、内容は我ながら呆れるほどよく憶えていた。
何度も見ていた模様。

主演は宮沢りえ、市川染五郎(七代目。いまは十代目 松本幸四郎)。

江戸。人に紛れて鬼が暮らす時代。
鬼狩りだった過去をもつ病葉出雲(市川染五郎)は、いまは鶴屋南北の弟子で、中村座の看板役者だ。

ある夜、舟で川を進んでいた出雲は、このごろ江戸の夜を騒がせる盗賊のひとりが、追手をまいて橋脚に潜んでいるのを見かける。

盗賊の顔を覆う頭巾が外れると、美しい女性(宮沢りえ)。
慌てる彼女の髪から抜け落ちたかんざしを、出雲は舟からキャッチする。

それから、不思議な縁で出雲と、つばき(宮沢りえ)は幾度も出会い、互いに惹かれていく。
けれど、つばきには彼女自身にも分からない、ただならぬ能力がある様子。
出雲は、つばきの能力を狙う魔物たちとの闘いに巻き込まれていく、といったお話。

魔界転生みたいな、かなり奇想天外なストーリー。
芝居のリアルさよりも、それぞれの役者の持ち味でグイグイ引っ張る映画だ。

鶴屋南北が小日向文世。
役者や裏方に大倉孝二、皆川猿時、螢雪次朗。
螢雪次朗は女方の歌舞伎役者の役で、愛嬌があってとても良い。

出雲の元同僚で野心のある邪空に、渡部篤郎。
鬼の世界の最強神、「阿修羅」の復活を狙う美惨(びざん)に樋口可南子。

歌舞伎役者が歌舞伎役者を演じるので、これ以上ないお得感。
劇中に、天竺徳兵衛とか四谷怪談といった歌舞伎でも有名な芝居の一幕が出てくるだけでなく、舞台を降りた後の着替えや化粧を直したり。

つばきがどうなるんだろう、とストーリーを追いながら、歌舞伎の裏側的なところも見られるのが楽しい。

染五郎の芝居は、画面からはみ出るくらいにスケールが大きい。
高麗屋らしい、笑いの間合いを持ちつつ、この人の面白さは、父上とも違う、嘘か誠か分からない奇妙な明るさ、伝統芸能のイメージと違うライトさ。
言葉の選び方が難しいが、良い意味での軽薄さ、が出せることだと思う。

病葉出雲は、5年前に自分の中の化け物を見てしまった男だ。
それで鬱々とするのではなく、芝居という虚構を生業にして、さまざまなことを笑いにまぎらせて生きている。
そういう出雲と、染五郎の不可思議な魅力が重なって、どきっとするほど色っぽい瞬間が随所に現れる。

宮沢りえのつばきは、とにかく全編が、宮沢りえ。
噛み合うような、そうでないような、隙だらけか、計算なのか。
これが結局、華というやつなのか。
細かく考えたら楽しめない。
これぐらいの我が道をいく感じがないと、染五郎の出雲とバランスがとれないのは間違いない。

殺陣というのかアクションのときの音楽がやや単調だが、たぶん、ワタシが何度も見すぎているせいだ。

樋口可南子が圧巻の美しさ。金色の口紅がこんなに似合う人を見たことがない。
渡部篤郎の悪役感が、期待どおり。年齢を重ねて、『ルパンの娘』のパパみたいな明るい役も増えたけど、本領はこういう、やばい役だよね、って思う。

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