春のような温かさがいつもある学校に… 彼女の選択、その積み重ねが、彼女と彼女の大切な人の幸福を支える力となりますように 〜心の宝物67
🌷掃除で学校を幸せな場所に
コロナ機の学校
「見つけ掃除」という言葉があります。自分の分担や、全体のオペレーションが終了して、なお時間が残っているとき、一人一人が自主的に自分のできることを見つけ、時間いっぱい掃除に取り組むことを言います。
一般的な言葉ではありません。同地区の中学校で、30年以上前に生まれた言葉です。生徒会の美化委員長が、清掃活動の向上を願う取組の中で提唱しました。
当時、私も教諭として在籍していました。自治的な活動に意義を見出し、やりがいを感じ、磨きあげていく過程で発揮される、生徒の発想や言葉は、しばしば教師のそれをはるかに超えて、豊かで実効力があることを、目の当たりにしました。
「後でそこを使う人の笑顔をささえよう」「最後まで最善を尽くす強い自分をつくろう」「そんな心が集まった幸せな○○中学校をつくろう」
委員長が信念をもって語る言葉には、教師も胸が震えるほどの説得力がありました。それを受け、机やいすの足を拭く子、床に頬が付くほど顔を近づけないと見えないような小さなごみを探し、指でつまみ取る子。
生徒指導的にやや苦しい状況があり、ほんの少し前までは、想像さえしていなかった行動を選び取る仲間や自分自身を発見する驚きと感動。それを讃え合う帰りの会や全校集会。「自分は、自分たちは、ちょっといいぞ」全校にみなぎっていく静かな自信。
「荒れ」という様相など、たとえそれまでつらい状況があったとしても、その活動が学校の自慢として生徒の誇りとなったとき、学校は、着実に強く、優しく、しなやかで幸せな方向に変わっていくことを魂に刻まれた時間でした。
一方で、その感動が共有され、実感が継承されている間の強靭さを、時が過ぎ、職員構成が変わる中で継続・発展していくことが非常に難しいことも学びました。
言葉と形だけが残り、いつの間にか手段が目的となることがあります。利他心や克己心をお互いに育て合うといった草創の願いが忘れ去られ、「無言で時間いっぱい」というカタチがミッションと化して形骸化する過程は、いとも簡単に、学校を幸せではない方向へ変えてしまうリスクをはらみます。
学校に特色ある教育活動を掲げるのなら、その意義と感動を、常にフレッシュに保つ決意と工夫が、とりわけ管理職には不可欠であることを覚悟する原体験となりました。
🌷彼女の選択、その積み重ねが、彼女と彼女の大切な人の幸福を支える力となりますように
2年生の彼女は、正に「見つけ掃除」をしていました。自分の感性を信じ、言動を選択する人で、同調圧力には決して屈しません。
しかし、値打ちを感じたら、周囲の状況がどうであれ、自ら選び取ったことを、たとえ一人でも堂々と貫く。たった一人であっても、その子に寄り添い、味方になって支え続ける。そんな人でした。
あなたが自分で考え、そうすると決めて選び取った行動が、あなた自身にもたらす思いは、これからもいろいろでしょう。
今日の選択が、あなたに温かな思いを残しますように。そうして、その積み重ねが、あなたとあなたの大切な人の幸せを支える力となりますように。
そんな願いで、お伝えしました。
かけがえのないあなたへ。
素敵なきらめきをありがとう。
出会ってくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
どうか、ありのままで。
どうか、幸せで。