春のような温かさがいつもある学校に…ほめられるためにしたことじゃない 〜心の宝物75
🌷まるでおかあさんのように
コロナ機の学校
「挨拶で絆の日」という取組が全市で展開された朝、学校直下の歩道橋周辺では、地域の方が、登校してくる児童と挨拶をかわすため、早朝より参集してくださっていました。
やがて、早い通学班が登校し始めます。地域の方が声をかけてくださるより先に、笑顔で元気な挨拶を届ける子供たちを頼もしく、誇らしく見守っていた時のことでした。
5年生の彼女は、ある1年生児童の手をひいて、自分が先に立ち、歩道橋の階段を一段一段、実に慎重に降りてきました。
大人たちと交わす挨拶は二の次、「絶対にこの子にけがをさせない」という決意で、全神経を、その子が無事に階段を降りることに集中させている様は、まるで子供を守る母親のようでした。
🌷ほめられるためにしたことじゃない
その子はやや体が弱く、保護者との協議で、そのことに係る配慮事項を全校で共有していました。体調によって自動車で送迎されることもありましたが、この日は徒歩。同じ通学班ということもあり、ひときわ強くそのことが心にかかった彼女の決意が、彼を懇ろにエスコートして階段を下りる姿でした。
その姿は、参集された地域の方の胸を打ちました。多くの方が次々に彼女に賞賛の声を掛けますが、彼女ははにかんだような、困ったような表情です。
「ほめられるためにしているんじゃないのに」という戸惑いが伝わってきました。そんな彼女の清廉さに、頼もしさといじらしさ、そうして、深い敬意を覚えました。
彼をサポートしたあなたの思いの中に「誰かにほめられるため」などという思いが髪の毛一筋もないことは、あの場にいた大人たちはきっとわかっている。配慮が必要な人に、配慮ができる者が、精一杯の配慮を届ける。あなたはありのままの自分で、あなたの当たり前を選び取っただけ。
しかし、あなたがしてくれたことが、実は決して当たり前でも、簡単なことでもないことも、大人たちはわかっている。そうした方がいいと思っても、照れて声をかけられない、恥ずかしくて手を取ることをためらってしまう、言葉をかけるだけ、何となく見守るだけ、そもそも彼のけがの可能性に思いが行かない。人はそれほど強くないこと、思うことと、行動することの間には、実は大きな距離があることを、多くの大人は経験から実感している。
だからこそ、その距離を感じさせないあなたの行為の美しさが、あなたの思いを超えて、周りの人の心に感動を呼び起こしたのだと思う。私も含め、伝えないではいられないほどの、大きな感動をもらった人が、あふれる思いをあなたに伝えたのです。ただただ伝えたかったのです。
あなたの心に、あなたにもらったのと同じくらい、温かいものが届くといいな。
そんな思いでお伝えしました。
かけがえのないあなたへ。
素敵なきらめきをありがとう。
出会ってくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
どうか、ありのままで。
どうか、幸せで。