春のような温かさがいつもある学校に… 校長先生が 悪いです! 〜心の宝物275
🌷「みんなよくやっている」 そうではなく
コロナ機の学校
この日の午後も、第3校舎3階の廊下では、4年生が懸命に掃除をしていました。窓からは、冠雪した白山、御岳山、中央アルプス、恵那山を一望できる大パノラマが広がりますが、その分、澄み切った北風が容赦なく吹き込みます。
濡れた雑巾を洗う水は、手が切れるような冷たさです。
それでも、怯むことなくバケツに雑巾を浸し、洗い、絞り、また次の場所を清めることに挑む子どもたち。
30人いれば、30通りに、様々な感情と折り合いをつけながら、取り組んでいるに違いありません。
「『みんなよくやっている』というような、あいまいな言葉で、この子たちをくくってしまうことは絶対にするまい」そんなことを思いながら、一人一人を眺めていました。
🌷「校長先生が 悪いです!」
彼女もその一人でした。廊下の床面と、壁の際を懸命に磨いています。普段、多くの人の心がなかなか向かない場所です。目を凝らせば、老朽化で、ずれたピータイルの隙間に、積年のほこりがたまっていることがわかりますが、あえて意識しなければ、ほぼ気づくことはありません。
そこを懸命に清めている彼女の強い視線と、背中から伝わる強い決意は彼女に似つかわしく、温かな思いで見ていました。
彼女は、自分の中に、善悪の判断の基準をしっかりともっており、その点については、自分にも、他者にも厳しい人でした。
気さくで誰とも区別なく接し、男子が中心になっている集団遊びにも怯まず参加します。この頃ブームだったのが、「ジャングル鬼ごっこ」という外遊びでした。
私の子供時代には「ジャングル坊や」と呼んでいました。ジャングルジム、一体化した雲梯等隣接する遊具及びそれに触れている人に「常に触れている」ことだけをルールとする立体鬼ごっこです。一見単純なようですが、単に敏捷性だけでなく、構造物を登ったり下りたりする器用さや、状況判断が問われます。更に、他者との連携による避難や救助など、経験を積めば積むほど逃げ方や追い方のバリエーションが増えて飽きることがなく、6年生になっても、外遊びのメインだったと記憶しています。
私も誘われて、上のような昔話をしながら、童心に帰って夢中で遊びました。私自身もすっかり熱くなり、詳細は忘れましたが、ルールだったか戦術だったかで、若干の変更を提案しました。
子どもたちは乗り気で受け入れてくれましたが、その変更の解釈を巡ってトラブルになり、ある子が泣いてしまう事態になりました。
「校長先生が悪いです!」そのとき、彼女に厳しく責められました。
「ちがうだろ!お前もみんなも賛成したじゃないか」すぐに助け舟をだしてくれた子もいましたが、変更そのものよりも、子どもの世界に、大人が強引に介入したことについての是非を、彼女は問うていることが伝わりました。
そのことを詫びるとともに、変更をどうするかを再度話し合って決めてほしいと子どもたちに伝えました。
大切だけれど、なかなかできないことは世の中に数多い。
自分が正しいと信じたことを、臆せず主張することもその一つだ。
その人を傷つけてしまわないか、ことがよくなるよりもむしろ荒立ってしまうのではないか。そのことで、自分が嫌われたり、不利な立場に置かれたりしてしまうのではないか。
そう考えることは、決して臆病ではないし、これらを心に入れて自分の言動を調整することも、矛盾するようだが同じく大切な力だ。
それでも、君には、今の力を伸ばしてほしいと思う。
今のありのままの君であってほしいと思う。
その結果、何かと、誰かとぶつかって、悩んだり、苦しんだりすることもあるだろう。
大いに悩めばいい。
その痛みが、君らしさを純化して、研ぎ澄ましていくだろう。そうして、君の素晴らしい個性ができあがっていくだろう。
ずっと共にいることはもちろんできない。
しかし、その時々の君の選択を応援し続ける。
そんな思いでお伝えしました。
かけがえのないあなたへ
素敵なきらめきをありがとう
出会ってくれてありがとう
生まれてきてくれてありがとう
どうか、ありのままで
どうか、幸せで
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