ファンタジーアニメの最後の希望? のび太の地球交響曲は映画館でこそ見るべき。

下手なリコーダーを揶揄われ、音楽の授業が嫌になったのび太。そこでドラえもんの道具を使って一日だけこの世界から音楽を消し去ったことから全てが始まる。突然現れた音楽を力に変える宇宙人の少女ミッカ、音を奪う不気味なスライム、そして地球のそばに浮かぶファーレ(作中で音楽の意味)の殿堂という巨大な宇宙船。ミッカ達ムシーカ星人とは何者なのか?彼らに伝わるヴィルトゥオーゾ(イタリア語で音楽の達人のこと)の伝説とは何か?スライムの正体、ファーレの殿堂の真実、全てが明らかになったとき、のび太達の最高のコンサートが開かれる。

映画のあらすじをお送りしました。こんにちは。映画好きのImoです。今回映画館で見たのは「ドラえもん のび太の地球交響曲」です。前半はネタバレなしの未視聴の方へのプレゼン、後半はネタバレ含めた感想です。今回もよろしくお願い致します。

ではプレゼンから。
観た後に私はこう考えました。もしかしたら今最も有力なファンタジーアニメの担い手はドラえもんかもしれないと。近頃のアニメ映画は王道な冒険ファンタジーを描かない傾向を感じています。

例えばジブリですが、ある時からすっかり戦争前後の映画ばかりになったり、最新作では難しすぎる映画を出したり、ラピュタやハウルを思い出にしている多くの王道ファンタジー好きにとって、そういうものを期待できないブランドになってきています。もちろん、今のジブリが好きな人もいるのでしょうが。

ファンタジーといえばディズニーですが、最新作でとんでもなく評判を落としてしまってます。他にも大きなアニメブランドを考えていくと新海誠の作品もありますね。新海誠は確かに優秀なファンタジー作品を作っていますが彼のファンタジーは日常世界と繋がりのある非日常という印象です。それでも最高に面白いのですがね。

今回の王道ファンタジーの定義は

「日常を遥かに超越した別世界での冒険」

とさせていただきます。「ブレイブストーリー」とかああいう全くの異世界みたいな感じですね。ジブリで言うならハウルは日本人にとってまったく別世界に見えるはずです。

つまり今回この映画をお勧めしたいのは、「日常を遥かに超越した別世界での冒険」が観たい王道ファンタジー好きの人々です。

今回のドラえもんの舞台は宇宙、この時点でSFらしさ全開なわけですが、そこで行動を共にするミッカという少女のアイデアも大きなインパクトを持っています。彼女たちムシーカ星人は音楽をエネルギーとして生きる不思議な人々なのです。音楽を奏でることで発電はもちろん、水を生み出すことまでできる、しずかちゃんも劇中で「素敵なところだわ」と言っていました。大人になって知識や常識を積み重ねた今、音楽をエネルギーにするというピュアで無垢な発想の楽しさがより心に染みるような気がします。

そして忘れては行けないのがこれがドラえもんということです。上記の世界観だけでも一つの映画にできそうなものを、そこにドラえもんの秘密道具たちが加わるわけです。非日常の要素がこれでもかと渋滞しながらも、決して作品の世界や魅力が破綻することがない。この道でずっと映画をやってるドラえもんブランドの実力が感じられます。そしてこのクオリティで年一でお出ししてくるわけですから、凄まじい。正直その辺のアニメ映画を試しに見てハズレ引くくらいならドラえもん見た方がいい可能性が高い。

王道でわかりやすいファンタジーというのはいつの時代も必要なものだと考えています。感想を語るのは我々大人、若く見積もっても青年までしかいませんが、映画を見る客には子どもたちも存在しています。映画というコンテンツがお金を払って楽しむエンターテイメントである以上、ある程度どんな立場の人間も楽しめる選択肢は必要でしょう。そして良い映画と呼ばれるものの一つは時間が経って見直した時に発見があるものです。

子どもにとって好奇心やイマジネーションを育てる材料となり、そうして成長してきた大人にプラスαの何かをくれる嗜好品であることがいい映画の良さです。

今回のドラえもんのような映画はプラスで自分たちが幼い頃見て感じてきたものを子どもにも体験させることができる点も優れています。

近頃子どもに人気とされてきたブランドたちが質を変容させているように感じます。
少し古いですがトイストーリーのように、もともとおもちゃたちが知らないところで大冒険しているというワクワクから出発したところから、おもちゃらしさから脱却して自由な生きかたを模索するというところに着地したのは寂しい気持ちがあります。
あの映画を見た大人の中には自分の親しんだ映画の続きを楽しみつつ、子どもたちに同じようなワクワクを感じて欲しかった人も多いのではないでしょうか。

社会的なメッセージははっきりと明示するのではなくふと感じるくらいがちょうどいいのです。

ディズニーやジブリのような頼れる大手にこそ子どもにも寄り添ってほしいな、とそれらで育ってきた私は思うのです。
だからこそ今回のドラえもんのような誰にでも開かれている映画はある意味貴重なのかもしれません。
その根拠を具体的に述べてしまうのはネタバレ前ではできませんが、もし最近の映画が内包しがちな意識の高さに疲れていたり、純粋に楽しく見れるクオリティの高いファンタジーが恋しい人はぜひ劇場に足を運んでいただけたらと思います。
大人向け映画は子どもに見るなと言いますが、子ども向け映画は大人に見るなとは言わないのです。

さて、この辺でそろそろネタバレ含めて語っていこうと思います。


この映画はいろんないいところがありましたが、やはり私が一番気に入っているのはミッカという存在です。
明るい気ままな女の子である一方、重すぎる境遇に立たされる悲劇のヒロインでもありましたね。
ムシーカ星人がミッカを除いて滅ぼされたという事実が明らかになった時に、気丈に振る舞う幼い彼女の健気さはくるものがあります。
しかしその一方で、彼女は心細さに耐えきれずのび太の袖を掴んで震える年相応な部分もあるのです。
ある程度映画のターゲットとキャラクターの年齢は比例するからか、子ども向け映画は子どもが苦しみの中にたち、懸命に抗う姿を見ることが多く、個人的な傾向か、年齢によるものか涙を誘われることが多いのです。
そして彼女の衝撃の事実がさらに明かされましたね。
ミッカには妹がいて、星から脱出したのち太古の時代であった地球に託されていたのです。
これはとても気持ちがいい驚きでした。
冒頭で原始人がミッカらしき女の子に出会う場面がありましたが、あの女の子は実はとても長寿なのか?とミスリードされてしまいました。
よく考えたらシンプルだし、鋭い人ならわかりそうなものですが、ミッカがそもそも認知していなかったことやムシーカが滅んだという告白なんかもテクニックであると感じています。

話を戻すとミッカはコールドスリープ、妹は原始の地球に、時間でも場所でもはるか遠くに生き別れていたのです。
このことが映画では希望になるのですが、その一方でミッカはもう2度と妹には会えない事実を含んでいるこの絶妙なビター加減がこの映画の魅力を高めていると思います。

個人的にいちばんのシーンは思い出コロンで博物館の太古の笛の記憶を辿るシーンです。

地球に降りた彼女は決して孤独ではなかったのです。音楽を通じて人と繋がり共に歌い、共に生き、家族を作り図らずもムシーカの血を次の世代に繋げていたのです。

このシーンは本当に素晴らしい演出でした。ひとりぼっちのミッカに対する悲しさ、妹がいたという衝撃、しかしもう会えないというモヤモヤ、でも彼女は幸せに生きていたという救い、それらの文脈と、彼女の人生が描写された映像とが合わさり思わずウルッときてしまいました。(しずかちゃんもホロリとしていて、気持ちがリンクしたなぁと考えていました。)

Dr.STONEでもありましたが、コールドスリープを扱ったSFではよくある、遠い時代に離れ離れになった身内、明らかになった彼らの行動、その顛末、そしてそれらと今の自分たちの間に確かに存在する繋がり、こういう展開ってベタですけどグッッッときますよね…!しかもドラえもんはタイムマシンがあるのに安直に会いに行かなかったのも偉いと思います。

ミッカ周辺の話だけでも傑作ではあるのですが、他にも二つくらい大きな魅力があります。それは音楽と伏線回収です。

この映画の音楽は強烈なストロングポイントです。そもそも音楽がメインの話なので曲が流れるシーンが本当に多い。映画の音響がフルに生かされています。何より大迫力なのがいちばん最後のコンサート。オーケストラの演奏とノイズとの戦いで目に耳にと忙しい。マクロスかと言わんばかりの展開です。

私は映画館で映画を観るという体験そのものに価値を感じているので毎週通っているわけですが、そうでない人が大半な現代においては「映画館で見る意味」という要素がかなり重要になっています。ストーリーがいいだけでなく、大画面で見た時の迫力、そして音楽のクオリティ、あらゆる要素で刺激を与えるものでないと集客するのが難しいように感じています。こうした点から「ミュージカル」や「アクション」はとても有利なジャンルに感じています。

とはいえこれは大前提としてストーリーが面白いことは必須でしょう。ウィッシュも歌が印象的でしたが、モヤっとするストーリーのせいで耳に残る歌や優れたCG表現も押し付けがましくなり、不快感をブーストしてしまっています。

ドラえもんのストーリーの良さはミッカの部分で十分に語りましたが、その中の伏線回収も見事です。冒頭の原始人もそうですが、あらかじめ日記の仕掛けも秀逸でしたね。宇宙空間に放り出された後、浮かんだ道具がうまいことぶつかって時空間チェンジャーが作動しました。この結果地球全体が野比家の風呂に収まったわけですが、みんなでお風呂に入りましたという日記の内容がここで活かされたわけです。あらかじめ日記という舞台装置の優れたところは簡単に伏線を貼りつつ、無理なく予定調和を起こせることでしょう。伏線回収のカタルシスを与えると同時に、道具がぶつかって作動するなんていう現象をご都合展開から見事に脱却させています。

他にものび太のリコーダーの話とか、キリがないのでこの辺で終わろうかと思いますがみなさんいかがだったでしょうか。子ども向けのコンテンツってつい遠ざけがちで進んで見る人って少ないのかもしれないですね。多くの人が子どもを持ってから一緒に見ることになるのかもしれません。そして久しぶりに見てその面白さ深さに気づいていくのでしょう。子どもでも大人でも非日常を時々味わいたくなるのは変わらないはずです。大人になると求める非日常の質感は変わっていくのかもしれません。しかしいつのまにか、音楽が水を生む、みたいな発想を失っていくのも寂しいような気もするのです。突飛な世界観やアイデアを楽しむ心を持ってこそ、時々味わう非日常はより刺激的に色付けられていくのです。だからこそ、壮大な旅に連れていってくれる王道の冒険ファンタジーはいつの時代も必要なわけです。

ここまでありがとうございます。
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