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ナナオサカキと北野たけし

年始からヒッピー・カウンターカルチャーの系譜について興味が湧き、探究しています。

日本におけるそういったムーブメントにおいて先駆者として名前の挙がるナナオサカキ(故人)という人物がいる。

色々調べていく中で見つけた、彼の朗読の動画でやけに耳に残り続けているものがあった。

亡くなる2年前の2006年、アースデイの最後に出演した時のもの。朗読されていた詩はバースデイ。

何度も聴いている中で、ふと別の歌が浮かんだ。

それは、「嘲笑」だ。

北野たけしが書いた詩に玉置浩二が作曲したいと言って完成された歌。

8年くらい前に教えてもらって以来気に入っている曲だ。

なんだかこの2つは似ている気がする。

なんだろう。


ふっと浮かんだこと。

この2つの詩はいずれもが「銀河。そして、その先」を詠んでいるということ。

北野たけしが書いた「もとの詩」に歌のタイトルの嘲笑という言葉そのものが使われている箇所があるという。

ネットを調べてみて見つけたこの方のnote記事から引用させてもらう。

太古の昔から、人々が星について様々な意味付けや考察を続けてき
時には死人まで出してゴチャゴチャやってきたあらゆることを
ゆったり嘲笑うかのように
今夜も星は天空で輝いている
それが愉しい

かつてあり、今あり、これからもあるだろう星たち
ロケットを飛ばし、衛星を打ち上げ
宇宙創成についての精緻な理論を展開する人間を
宇宙の星々は陽気に嘲笑っているようだ
「君たちの地球上で、たった十メートルの高さから落とした紙が、どこに落下するのかということさえ計算できないのに、数十億年前の出来事の計算など、よくやろうという気がおきたものだな」と人間の不遜さ、不様さ、不躾さを笑っている
少しも冷たさを感じさせない星々の笑い
それが愉しい

うーむ、「同じ銀河、そしてそれ以降」について語る時、北野たけしが時間という立場から、ナナオは距離という立場から(両者は本質的には同じなのだけれど)語っているように思えるけれど、ナナオについての私の理解はまだまだ表層的なので、結びつけはこの程度に留めたい。

ナナオのラブレターについてはぜひ先に紹介した動画を通じて知って欲しいのだけれど、文章として読みたい人にはネットで偶然見つけたこちらのサイトを載せておきたい。(この詩が載っている詩集「犬も歩けば」は、絶版であり購入するのは高額なため。)


両者を私の勝手な妄想で結びつけてみた今、思っていること。


私は今、この地球に生きている。
それと同時にこの銀河も生きているのだなぁ。

「だから、なんだ」という話ではあるのだけれど。


この探究シリーズの続きはこちら。


おまけ

同じく、ナナオサカキの朗読なのですが、野生の狼の遠吠えというのはこういう感じなのか?と思うようなものすごいパワーを感じました。ぜひ声の響きを感じてみてほしいです。

また、こちらで晩年のナナオへのインタビュー記事が紹介されています。こちらもよければぜひ。


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