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ソースプリンシプル提唱者ピーターカーニック来日オンラインセミナーの感想


はじめに

先日開催された、ソースプリンシプル・マネーワーク提唱者ピーターカーニックの来日オンラインセミナーの中で印象に残った箇所などを書きます。

イベントタイトルはこちら。今年の年末年始にかけて出版予定のピーターの唯一の書籍『30 Lies About Money: liberating your life, liberating your money』の内容を、「システム思考・学習する組織」の第一人者である小田理一郎さんが原著を読んでの感想をシェアいただくなど、贅沢な会でもありました。

当日の配信スタジオでの様子。

印象に残ったこと・思ったことなど

・ピーターの思うバランスとは、ジョージ・ソロスのいう動的不均衡の状態を動的均衡にすること

ジョージ・ソロスのいう動的不均衡とは初めて聴いたので、少し調べてみました。1980年に出版された『民主主義への資金提供』という本の中で社会を三つの類型に区分しているとのこと。

1)伝統的社会

2)開かれた社会
動的均衡の状態。責任を引き受ける個人を陶冶するために批判的討議や合理的反省を重んじ、漸次的に社会を改良していくことを目指す社会。

3)閉じた社会
思考と現実が大きく離れ、「静的不均衡」の状態。部族社会・呪術社会・集団主義社会を指す。そこには個人の発意や独立はなく、したがって反省意識を高めることはかえって社会を不安定なものにする。
※グローバル社会においては成り行きが激しく変化するため、人々の理解がついてこれず、思考と現実のあいだに「動的不均衡」が生じる。

こちらの記事参照・引用

こちらについてはどういう文脈で出た話題なのか分からないままだとさっぱりだと思いますが、私もあくまでソロスの論に興味が湧いたというくらいです。

・小田さんがされたHave → Do → Be と Be → Do → Have の話。

小田さんの捉えるBeは、「点・瞬間」ではなく、ボールとその中にあるビー玉のイメージ。動くことでビー玉の位置は変わってくるが、立ち止まった時に戻ってこれるところ。ずっと揺るがないというよりも、戻ってくるところ。そこと離れていないと思えることがBeができていることなのかな、と小田さんは言われていました。

BeというのはBeingという表現と合わせて、界隈ではよく言われることですが、具体的な定義は?と聴かれるとあやふやなイメージがあります。多いのは「あり方」という意味で捉えることでしょうか。「Be → Do → Have」というのは、「あり方」から始めようというメッセージとも言えます。

このBeをボールとビー玉というメタファーで例えるのは新鮮だったので印象に残りました。

・ピーターが自著に込めたメッセージ

また、小田さんのこの話に重ねてピーターが「Beから始めると預金残高が増えることも減ることも、両方が起こり得る。1993年に始めたマネーセミナーはその現実を踏まえている。実際に、金儲けを期待してくる人もいたが、預金残高が増えることや借金があることといったお金のプラスやマイナスではなく、自分がお金とどんな関係を持っているかが大事。(ピーターの書籍ではこれがコアなメッセージ)」と言っていました。

この話を聴いた時に、昨年ピーターが来日した時に「ワークショップ」の専門家でもある中野民夫さんと「至福と召命(calling)」といった、なかなかすごいテーマの対談を行ったことを思い出しました。その時に民夫さんがピーターに対して「calling に応えていくとお金もついていきますか?」と聴いたのですが、その答えが「No。お金はついてこない。必要なことがついてくる。」だったのです。この「必要なこと」というのは、今回も「愛してやまないことをやること、やることを愛すること。そうすると必要なことが起こる」といったようにメッセージをしていたので、1つカギとなる表現なのかなと思いますが、言い得て妙なフレーズだなぁと感じませんか。(ピーターがどんな単語を使っているのかまで把握できていませんが)

・ピーターから教わったことを実践した人へかけた言葉

その人は、ピーターが昨年来日した際に「海外に行きたいがお金がない」という話をしたところ、「くださいとお願いしてみたらいい」とアドバイスを受けたそうです。その時は実行できなかったそうですが、その後、どうしても参加したい海外の機会が生まれた時に思い切って実行してみたところ、なんと実際に支援してくれる人が複数現れ、行くことができたそうです。

その話を聴いてピーターは、その人に「相手に対して、その人が贈り物をあなたにあげる、という機会を与えたことに気づいていますか?そう思えると何も貸し借りはありません。一部、お返しを期待する人はいるかもしれませんが、それ以外の人にとっては、お返ししなきゃと考える方がその人たちが贈ってくれたものの価値を下げることになるのです。」といったことを伝えていました。

ことお金が絡んだ時に、相手からもらったものだけではなく、自分が相手に与えたことにも自覚的になることができる、というのは成熟している姿勢だなぁと感じました。自分ごととして考えてみると、このあたりはまだまだシナプスが通っていないように思えます。意識してみたいポイントですね。

・ピーターのサービスの価格設定について

ピーターは、自分が提供したことに対して相手が価値をどのくらい受け取るかを分かるはずがない。実際にこのくらいだな、と浮かんでくるまでは言わない。いくらならお互いハッピーなのかを話し合う。といったことを言っていました。

この姿勢は、お金とサービスのやりとりを交換モデルで捉えていないように思えました。言い換えると、お金と交換する対象としての商品としては固定していないということ。これは、言い換えればビジネスを、あらかじめ決まった特定の農作物だけを大量に収穫する農業としてではなく、その地の生態系の営みがある上でそこからお裾分けとして人間用として受け取るものとして捉えるようなものかなと。(これはある程度認知のある自然農のようなもの、と言えたら分かりやすくて楽なのだけど、私が直接触れたことがないので、今回のイベントを主催したチームの発起人である吉原史郎さん・優子さんが提唱しているJUNKAN畑というあり方がドンピシャ。それが何であるか?を説明した動画がどこかにあったはず。)

そうすることの意義・価値は?というと、私たちが「お金・交換」といったことにすぐに想起してしまい・囚われてしまう自分達を道具的に扱ってしまうことを避ける効果があるように思います。もちろん、何からなにまで脱・交換モデルでやるのは、多くの人にとってはすぐにはハードルが非常に高かったり、アンバランスだったりすると思いますが、お金との関係を成熟させていくプロセスにおいてとても大事な取り組みだと自身の経験からも思いました。

まとめる?と、ギブ&テイクといった交換モデルではない、経済の扱い方のためのメンタリティに関する話をピーターはしてくれたなと思いました。(かといって、ギブ&テイクが不要とか悪いといったことは一切ない)そして、このメンタリティや実際に扱うことはこれからますます大事になってくると思っています。

さいごに

小田さんとの対談は2回目ということもあり、以前よりも関係が育まれた上での雰囲気になっていたように感じます。また、運営する側も回を重ねるごとに同じく関係が育まれていたなと。そして、そのプロセスで協働の機会が生まれるといった果実も生まれてきています。

ソースプリンシプルやマネーワークといった叡智を共有する、という側面だけではなく、こういった人間関係が育まれていくことにも大きな価値があるなぁと強く実感した今回のイベントだったのでした。


おまけ そもそもソースプリンシプルとは何ぞや?

今回の記事は、初めて触れる方を置いていく内容にしてしまったのですが、こちらの今回のイベントページやオススメ記事を読んでいただくと、少し前提が伝わるかなと思います。気になった方はぜひご覧ください。


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