『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』を読み始めました。面白い!!
はじめに
私はJUNKANだいこんという団体の仲間とこれまで「今西錦司」「西田幾多郎」「ヘラクレイトス」にまつわる書籍を読んできました。
いつもどの本を読むかを提案してくれている吉原史郎さんが次なる題材として強くプッシュしてくれた本が昨年出版された『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』という大著です。
私は存在を知らなかった&ボリュームが多いので躊躇していたのですが、これまで一見すると難解な書籍を読んできた仲間と一緒なら大丈夫か、ということで購入し、軽く読み始めてから読書会がスタートしました。
まだ1章を読み終えたくらいですが、すでに買ってよかった・読み始めてよかったと感じています。
私は、今年に入ってからアメリカと日本の1950年代、60年代のカウンターカルチャーの前後を当事者たちの残した古書を取り寄せ、並行して読んでみる、といった探究をしているのですが、このいわば傍流・マイノリティ・周縁に追いやられた人びと、何と表現すればいいか分かりませんが、あるのに無かったことにされていることに対して光を当てていくという試みをさらに圧倒的なスケールで人類史全般に対して行っているのが著者2人がされてきたことなのだと思うと、ある種のミクロとマクロを行ったり来たりすることで気づけることもありそうで楽しみです。
この本に込められた意図
ここでは1章に書かれていた著者がこの本に込めた意図と思える箇所を引用します。
→私にはこの二者がなぜ並ぶのか?歴史的?文明史的?にどういった意味を持つのか分かっておりません。。書籍の中では両者がどういう説を提唱し、後年にどのような影響を与えていったのかについても書かれていますが、ここでは省きます。
このあたりは、先に紹介した1950年代、60年代のアメリカで起こっていた、管理社会に対する閉塞感の救いを東洋に求めた一部の人たちの動きに通ずるものを感じます。
また、一昨年に別の仲間と読書会をしていて、おそらく今年には和訳が出版されるであろう英書「Regenerative Leadership」でも、その著者が先住民の叡智から見出した内容が紹介されていました。
あと、あたらしい歴史の「あたらしい」というのは、「より全体的である」 ということなのかなと思いましたね。著者の言葉をつかえば、「完全なる人間性」となっています。
世界中の先駆的な経営の実践事例を整理し出版された「ティール組織(原著はReinventing organizations」において個人が会社組織においてもより全体的でいられるように、といった意味でホールネス(全体性の意)という単語が登場しています。
「万物の黎明」と「ティール組織」という2つの書籍を並べ、単純化して安易に仮説を立ててしまうと、先進国における従来のこれが人間社会だ、とされている足場において、個人というミクロのレベルから、人類史というマクロのレベルにおいて、「全体性を取り戻す」言い換えれば、「過去に周縁化されてきた対象もすべて含んだ上であらゆることをその前提から捉え直す」というダイナミズムが動いている、のかもしれませんね。
このプロセスは、過去に書いた「多様性を西田哲学のレンズで捉えてみた」記事に載せている態度がなければ、いともたやすく過去の焼き増し、新たな周縁を増やすことになりかねないなぁと感じます。
最近、20世紀、21世紀と100年単位で捉える感覚が育ってきているのを感じます。
2100年代まで、残り約75年、どうなっていくか。何をつないでいきたいか。そんなことも意識しながら読んでいきたいな。
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