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神社参拝とヨガとマインドフルネスの共通項とは?

はじめに

久しぶりに明治神宮に行ってきました。
私にとっては明治神宮に行くことは、ヨガをすることや、
マインドフルネスに取り組むことと非常に似ています。
 
それは何かというと、
思考優位になってしまった自分を整える
ということです。

例えば、ヨガやマインドフルネスでは
身体や呼吸などに集中する時間を過ごします。
 
そうすることで、考えてばかりだった感覚がチューニングされて、
頭はすっきりして気分が清々しい感覚
になります。
 
このことはイメージがつきやすいと思いますが、
神社が同じような効果があると言われても信じられないかもしれません。
 
しかし、実は神社は参拝することで自然と自身の状態を整えることができる仕掛けがいくつも組み込まれている場所なのです。

1つ目「砂利道」

まず1つ目ですが、鳥居をくぐって参道を歩いて行く際に
砂利道が続いています。
 
そのため、歩くたびに「ざっざっざっ」という音が聴こえますし、
もし底がブ厚くない靴を履いていたら石の上を歩いている感触を感じられるでしょう。
 
また、緑が多ければ木々の匂いを感じるかもしれません。
 
ここにポイントがあります。
 
考え事に集中している状態とは
言い換えれば頭に意識が向いている状態
と言えます。
 
この状態から、音と感触で意識が5感の方に向くのです。
 
砂利とは、邪離と書き換えることができます。
邪とは、不要な考え
のこと。
 
離とはそのまま離れるという意味ですね。
不要な考えが離れる。
そのために砂利が敷かれている
と言われているそうです。
 
しかし、この効果を感じるためには重要なポイントがあります。
 
それは誰か一緒に行く人がいてもその人と話さないこと。
 
話してしまうと、大抵思考に意識が集中したままになってしまいます。
 
参道を進むごとに、意識が思考から全身に向いていくこと。
言い換えると5感が開かれた状態になること。
 
それが重要なポイントなのに、思考優位なままでは意味がない
と言ってもいいくらいです。

2つ目「鎮守の森」

2つ目ですが、そもそも神社は緑に囲まれていることが多いです。
 
この自然も、私たちのフォーカスを思考から5感に向けてくれる効果があります。
 
森林浴をしたことがある人は分かると思いますが
緑の中を歩いていると私たちの意識は自然と切り替わっていきます。
 
例えば、素晴らしい景色を見たときに「言葉を失う」と言うでしょう。
 
これは、自然の圧倒的な情報量に対して思考が処理しきれず、
いい意味でフリーズするから起こることなのです。
 
情報量が多いというと、都会の方が多いんじゃないかと
思う人もいるかもしれませんが、実はそれは間違いです。
 
都会は私たちが認識できるほどに似たパーツの組み合わせでできていますが、自然は似ていると感じても葉っぱ一枚レベルで異なっているため、
その複雑さは他の追随を許しません。
 
また、自然が多いところに行くと空気が綺麗だと思うのか、
人は深呼吸をする傾向があると思っています。
 
この深呼吸も、ヨガのように自身の状態を整えることに
繋がっていると思っています。

3つ目「手水」

3つ目は、手水についてです。神社に行くと柄杓が置いてあり水が流れている場所があります。

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(実は心を洗うと書いてあるのです。)
 
そこで柄杓で水を汲み、左右順番にその水をかけて手を清め、
最後に左手で水を受けて、口にふくんですすぐことを手水というそうです。
 
これは罪や穢れを洗い流すためのものと言われていますが、
手や口といった触覚を刺激するという意味で
今回の文脈で言う5感に意識を向けさせる効果があると言えます。
 
また、不要な思考を罪・穢れと呼ぶのであれば
それを洗い流すということは思考優位から離れることと
同義と言えるのではないでしょうか。
 
ちなみに、穢れは「気枯れ」と言い換えることができるので
マインドフルではなく、マインドレスであるとも言えますね。

さいごに

上記3つを意識的に取り組むことで思考はクリアーになり、
神社を、いや世界を思考ではなく5感で捉えられるようになっていきます。
 
その状態で参拝すること。
 
だからこその意味があるのですが、
それについてはヨガやマインドフルネスを健康管理のためのもの、
あるいはメンタルヘルスのためのものと捉えているか、
 
それも含めた人生を充実させていくためのものと捉えているか
によって変わってきますので、
その違いと合わせてまた別の機会に紹介したいと思います。
 
面白いなと思った方はぜひ今回の内容を意識して
神社参拝してみてくださいね。
 

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