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私が誰かとコミュニケーションを行う前提として意識していること

今回は、私が誰かとコミュニケーションを行う前提として意識していることについて過去に書いた記事へのリンクを通じて紹介したいと思います。


私が意識していること

(1)相手とちゃんと出会うということ

→このことを重視するようになったのは、人も場所も不変ではなく変化し続けているんだと実感したことがきっかけです。その体験について書いた記事はこちら。

(2)私とあなたと一緒に居るという感覚

(3)同じ事象であってもあなたと私は違うものを観ている

既存の叡智で似ているもの

(1)U理論とマインドフルネス

U理論とは、過去の延長線上ではない変容やイノベーションを個人、ペア(1対1の関係)、チーム、組織、コミュニティ、社会のレベルで起こすための原理と実践の手法を明示したものです。(こちらのサイトより引用)マサチューセッツ工科大学 のC・オットー・シャーマー博士によって約130名の起業家、ビジネスパーソン、発明家、科学者、芸術家などからなる革新的なリーダーへのインタビューや経験を元に生み出されたものでもあります。

この理論の中でダウンローディング状態というものがあるのですが、多くの人にとって気づくとこうなってしまいがちな状態であり、私が意識していることはある種この状態にならないためのポイントでもあります。

ダウンローディング状態がどういった状態なのか、関連書籍から引用します。

ダウンローディングの状態にある時、目の前の現実に集中しておらず、物事を新鮮な目で捉えた上で思考していないため、成果は限定づけられます。

『人と組織の問題を劇的に解決するU理論入門』p112より引用

ダウンローディングとは「『過去の経験によって培われた枠組み』を再現している状態」

『人と組織の問題を劇的に解決するU理論入門』p112より引用

ちなみにダウンローディング状態が一方的にダメな状態なのかというと、そうではありません。

『過去の枠組みの構築は、パターンによって作業効率を高め、生き物として生存を図っていく上では非常に重要です。』と書籍で書かれているように、私たちが毎日を過ごす上で大事な機能と言えるでしょう。目的によっては、この状態であることが邪魔になる、という感じです。

また、このダウンローディング状態から抜け出す3つのポイントとして、以下があります。

・防止
引き金となる自分の反応に気づく

・発見
陥っている自分に気づく

・対処
抜け出しやすい状態をつくる

『人と組織の問題を劇的に解決するU理論入門』から引用

この3つのうち最初の2つの「気づく」が生まれやすい意識の状態となるのが私はマインドフルネスだと捉えています。

マインドフルネスとは、もともと用語としては20世紀初頭にパーリ語の「サティ(sati)」の英訳として定着していったそうです。その後、アメリカのマサチューセッツ大学医学部の名誉教授であるジョン・カバット氏が1979年に「Mindfulness-Based Stress Reduction」というストレス軽減のプログラムの名称に用いられました。

ジョン氏の定義を紹介します。また、合わせて、氏が影響を受けた禅の指導者である故 ティク・ナット・ハン氏の定義も紹介します。

ジョン・カバット氏の定義
「特別な形、つまり意図的に、今の瞬間に、評価や判断とは無縁の形で注意を払うこと」

「サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法」p51から引用

ティク・ナット・ハンの定義
「自分の意識を今の現実に敏感に保つこと」

「サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法」p51から引用

ちなみに私がマインドフルネス的なあり方を初めて知った時のことについて書いた記事がこちら。

(2)ユクスキュルの環世界

ユクスキュルの環世界とは、

生物が、それぞれ独自の時間・空間として知覚し、主体的に構築した世界のこと。1900年代の初めに、ドイツの生物学者のヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した。生物を取り巻く普遍的な時間や空間を一般的にドイツ語で「Umgebung(環境)」というのに対し、ユクスキュルはこの概念を「Umwelt(環世界)」と呼んだ。

こちらの記事から引用

ユクスキュルは著書『生物から見た世界』の中で、同じ空間に対して、人間と犬とハエとではその捉え方がそれぞれ異なることをひとつの絵を用いて紹介している。絵の中には、テーブルの上に載ったワイングラスやお皿のほか、チェアや、ソファ、照明、本棚など人間の日常的な暮らしのワンシーンらしい風景が描かれている。私たちにとってはどれも意味があるものであり、すべてに色が付いているように認識する。

しかし、この部屋に犬が入ってきたとしたら、同じ空間をどう捉えるのだろうか。チェアやソファは、飼い主である人間が座るもので、その匂いを感じられたり、自身も寝そべったりする場合もあるので必要なものだ。また、テーブル自体には興味はないが、上に乗っている食べ物や飲み物には関心がある。一方で、本棚などは犬にとってはまったく意味のないものとみなされるし、視力が良くない犬には照明が付いているかどうかもあまり関係ない。

さらに、一匹のハエが入ってきた場合はどうか。ハエにとって関心のあるものは食べ物のみである。また、光には反応するので照明は煌々とついていると感じるだろう。しかし、テーブルや椅子、チェアや本棚などはまったく意味のないものであり、無きに等しいものと思われる。このように、生物が環境を主観的にどのように認識しているかによって、そこにあるものは変わらないのに、まったく違う世界が生まれるのだ。

こちらの記事から引用

なぜこれらのことを意識しているのか?

いつから、なぜこのことを意識するようになったのか?という問いについて答えようとしますと、長くなってしまうので以前教わった2つの対比的な比喩表現を用いながら短く紹介します。

生息と生活

生息とは、安心無事に暮らしていけさえすればいいという生き方
生活とは、達成感や充実感など、自身の新たな可能性と出会い続ける生き方

あえて極端な分け方をしているこの2つの生き方のうち、せっかくであれば「生活」している人が増えた方が面白いと思うのです。

そして、「生活」するために重要不可欠な人と人の関わり方における態度が、今回紹介したことだと信じ、実践しています。

まぁ、協働する際の大事なこと、人との間でネガティブな気持ちになることが起こった時に大事なこと、などこの土台の上でのポイントはまだまだありますが、それはまたの機会に、ということで。

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