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「タダの箱庭」読書会をまた開催しています。〜お金と私の関係をアップグレードする〜


はじめに

「タダの箱庭」の本を初めて受け取った時に、これは1人では読みきれないと確信し(笑)、読書会的にやってみたいなぁと思ったのが今年の1月。

その後、友人2人に声をかけ、実際に読書会をリアルでやってみたのが2月。

その後、「特定のコミュニティメンバー同士でやってみたらどうなるだろう?」という思いを行動に移すと決め、HumanPotentialLab(ヒューマンポテンシャルラボ)というコミュニティで呼びかけて、実行できた先週。

その後、さらに同じメンバーで体験を重ねていくとどんなことが起こるのだろう?という興味から今週も開催してみたころ、なんと前回より6名も参加者が増え、私を含めて10名で実施することができました。(読書会としては3回目)

今回印象に残ったこと

いのちをいただいて生きるという実感(p24を読んで感じたこと)

鶏を絞めた時の話について読んだ時に浮かんだこと。フィリピンの離島で地元の人に鶏を目の前で絞めてもらい、スープにしてもらったことがあった時のことを思い出した。途中、毛をむしることをさせてもらったけど、「うっ」となったことを覚えている。絞めるところから自分でやるともっと違う体験になるのだろうな。この時に思ったのは、都会になればなるほど、いのちといのちの間にいろいろなものが挟まっている、距離が遠い、いのちをいただいて生きているというリアリティが薄められて(それは、お金という数字のやりとりだけでは個々に存在するストーリーが削ぎ落とされてしまうように)いるのだなと感じたことを覚えています。

言葉にも数字にも換算できない、したくないものを受け取った時、そこで受け取った感覚はどこへいくのか。(p25を読んで感じたこと)

元シルクドゥソレイユの宮海彦さんが、青年海外協力隊で僻地にいる部族を訪ねた時のこと。その村で貴重な鶏をいただいたり、おもてなしをされ続けた時にどうやってお返しをすればいいのか?ありがとうという言葉到底かたづけられなかったり、金額という価値をつけることがとても気持ち悪かったそうです。

そこを読んだ時に、私も以前ハワイ島でいただいたものに対して同様の感覚を感じたことを思い出した。その時の私の表現は、母が常に与え続けてくれてきた無償の愛のように感じられ、その注がれまくった愛に「もう降参です!」と感じたことを覚えています。このレベルで受け取ったソレはありがとうという「言葉」やお金という「数字」に翻訳することなく、そのままどこに辿り着き、どこへいったのか?を丁寧にみていくことは興味深いなと思った。

印象に残った話し手のことば(p25)

「海外に比べると日本のボランティアは重たく感じるところもあって」

「ボランティアの定義も違うんじゃないかなっていうぐらい身近ですね。肌感覚だけど、日本では無償の仕事に近い感じなのもあるかなって。海外は無償の遊びぐらい。」

「あまり他人の目を気にしなくていいし、社会性の敷居を低くして欲しいと思いますね。何かをあげたらあげっぱなしでいいし、お返しを期待しない方がいいっていう、それとあげたらどう思われるかな、とか、悩み過ぎる人もいますよね。あげる事にさえ他人の目を感じている。あげたいんだったらあげたらいいし、そんなに考えずに自分の気持ちを優先してもいいんじゃないかな。」

さいごに

今回読んだ箇所は、なぜか3人連続 ニワトリの話が出ていて、何でこんなにニワトリが並んでいるんだ!?と少し笑ってしまいました。

また、やればやるほど、関連する色んな考えが浮かぶのが面白いです。100人読書会を主催する人が生まれたら面白そうだな〜とか、読書会100回やったらどうなるかな〜とか(どうもならなくてもいいけど)、読書会で話したりないところは毎回相方1人を選んで収録してラジオ的に配信しようかなとか。頑張って活動を広げようという意識はありませんが、浮かんだことは色々試していこう〜!

タダの箱庭本を受け取りたい方は発起人の坂井勇貴さんの情報をチェックしてみてくださいね。

https://twitter.com/yuuki_saihate

おまけ

タダの箱庭かんれんの記事はこちら。


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