「ちゃんと出会わなければ別れられない」というフレーズに何を感じますか?
2024年の年始からスタートしたビート文学、カウンターカルチャー探究の旅路の中で知った日本人、そしてその人について書かれた本があります。
その本の名は、「仏に逢うては仏を殺せ—吉福伸逸とニューエイジの魂の旅」。日本人の名は、吉福伸逸(故人)です。
書籍「ティール組織」が出て再注目されたケン・ウィルバー、インテグラル理論にまつわる書籍を最初に翻訳した方であり、精神世界というジャンルを名付け、多くの本を翻訳されてきた方でもあるそうです。
この本は、そんな吉福氏の人生について語られているノンフィクションです。
その本の冒頭に、氏が晩年によくいっていたという言葉が紹介されていました。
私はこのフレーズをみた時に、はっとさせられるものがありました。
そして、20代前半に出会い、その生き様に憧れたメンター(精神的に影響を受けた人という意味)と出会い、約10年近く師事したのち、尊敬するメンターに勇気を出して疑念を投げかけたことを思い出したのです。
この時のやりとりがあったことで、自身の投影の対象となってしまっていた偶像としてのメンターと別れることができたのだろうな、そしてその後、等身大のその人との関係が始まったのだろうな。
そんなことを思ったのです。
そしてこのことは、親との関係においても当てはまることなのだろうな。
無意識のうちに取り入れてしまった親の価値観を大人の私として取捨選択するプロセスのことを親切と呼んでいる人がいましたが、これもまた1つの別れであり、等身大の親、そして自分自身との出会いでもあるのでしょうね。
ちなみに私は吉福氏のいう「ちゃんと出会う」とは?について、この記事の内容のように捉えています。
また、メンターやロールモデルについて近づいてからネガティブな感情を持ったことがある人向けに書いた記事はこちら。
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