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毎日がいまいち物足りないと言う君へ


『決断』のすゝめ。 自分が自分であるために。

「なんだこれ、毎日が消化試合か?」
「自分なりに忙しくしてるけど、いまいち乗ってる感じがしない」
「私はこのままでいいのかな?って思うんだよね」

という君へ。

結論から言うと、
自分が自分であるために、自分にとって「当たり前」ではない決断をしなされ。

上記のコメントはさ、
一言で言うと「私は不完全燃焼だ」って言ってるんだよね。
「生きてる感」がないとも言える。

そりゃあそうだよ。
だって、君は、過去に生きてるんだもん。

You’re living in the past

君は、昨日までの「私」を、今日も大事にして、明日もその「私」で生きていく。

それって、過去の延長線上であり、過去に生きてるってことじゃない?
だって「昨日までの私」で、今日も生きて、明日もその「私」で生きるんでしょう?

これが、過去に生きている以外に、なんかある?

ずっと過去に生きてるんだったら、物足りないのは当たり前だよね。
だってだいたい何が起こるかわかるし、だいたいが予定調和でしょう?

海外旅行が好きな人の、理由の一つに「生きてる感じする」ってのがある。当たり前だ。だって自分にとっての「当たり前ではない」情報を自分に入力してるから、強制的に「今」を生きている状態になる。

でも日本では、毎日、自分にとっての「当たり前」の情報の入力しかないから、脳が省エネして、「今」を生きなくなる。
だから「生きてる感」がないんだよ。

「生きてる感」は不安定の中にある

でさ。

もう、うんざりでしょう?そんな日々。
そんな日々は全部ぶっ壊してしまえばいい。

そんな人がやるべきなのは、あえて「不安定」に飛び込むこと。
真の未来に身投げすること。

(その手法に、コーチングの「現状の外側へのゴール設定」ってのがあるけど、それはまたいつか)

不完全燃焼だという大半の人が、なんだかんだで「私」を守りすぎている。

「何かを変えたい」と願う大半の人が、
本当は自分の「安定」を壊したくないと思っている。

「自己実現に邁進したい」と願う大半の人が、
自分の中にいる「小さな自分」を守っている。

両方とも共通しているのは、
重厚な鎧を着てるかのようににガチガチに「私」を守っている。

「私」を守りながら、「私」を維持しながら、流行りの本を読んでみたり、人に話を聞いてみたり、イケてる人のインスタライブ見てみたり。

本当の意味で、自分を変えずに、
何か都合の良い答えがあるんじゃないかって外に正解を探している。

「はっきり言おう。だから君はダメなんだ。」

と、僕は昔の自分に言いたい。

というのも僕も26〜28歳くらいの時、ずっとそんな感じのループにハマって、同じ日々の繰り返しで、うんざりしてた。

素っ裸で、未来へ身投げせよ

変容とは何か?

これは「自分にとっての当たり前」が「当たり前」でなくなること。
もしくは、自分にとって「当たり前でないもの」が、自分の「当たり前」になることなんだよ。

そして「自分にとって当たり前ではない選択」、
「これまでの自分ではしてこなかった決断」をすることでしか、
変容なんか訪れない。

自分にとっての「当たり前」を捨てることは、
予想もできない未来に「身投げ」をすると言うこと。
だって、自分にとって当たり前ではないと言うことは、これまで体験してきてない領域な訳で、どうなるのか全く予想なんかできやしない。

やったことのないことをやるんだから、どうなるかなんかわかりやしない。
できるかどうかなんかわからない。
どうやるのかなんか当然のようにわからない。

そんな世界に踏み込むことを「身投げ」と言わず、なんという?
でもここに一歩を踏み出すことでしか、変容なんか訪れない。

できるかどうかわかることは、全てが「過去の延長線」。

でも予想もできない未来に身投げすることは、
とても勇気がいることなんだ。

これまでの「私」を手放すことは、
自分が自分でなくなってしまうかのように怖いことだ。

僕の場合なら「ハコモノビジネス(住宅、ホテル、飲食など)の立ち上げ屋さん」というのがメインのキャリアだったんだけど、それを8年間やったあと、ある時を境にそのキャリアを全部手放した。

どうなるかなんか全くわからないし、予想もできない。でも、これまでのキャリアの延長線上に、僕のやりたい道はなかった。だから手放した。

自分が自分でいるために、自分を手放していく。

そんで、
これから言うことが一番大切なことなんだけど。

僕は自分以外の何者かになるために、
変わるために、手放したのではない。

徹底的に自分自身でいるために、手放したのだ。

変容というのは、これまでの自分の当たり前を捨てて、新しい当たり前で生きること。

でも、その前提に、
「徹底的に自分自身でい続けるため」に、
「自分の本音に答え続けるため」に、手放すのだ。

自分が自分であるために、
本当に大切なもの以外を手放すこと。

そういった意味で、「過去の延長線」ではなく「未来」へ身投げしてみる。

自分が自分であるために、
自分にとって「当たり前」ではない決断をすること。

でも良いじゃない。
未来に身投げして、失うものは何がある?
孤独になるわけじゃないんだから、大丈夫。

もし勇気がでないんなら、僕んとこに来なよ。
思いっきり背中を押して差し上げよう。


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