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『はじまりの島』と巡る3都市ツアーを終えて(2022年3月12~13日@東京)

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2022年3月12日に浄土宗大本山増上寺(東京都港区)にて行われた、後藤サヤカ監督作品『はじまりの島』上映会&西下晃太郎さんクラシックギター演奏会と、翌13日にユートリヤ(東京都墨田区)で行われた、「“響きの世界の根源”を巡る宗教学者と音楽家の対話」に参加してきました。

上映会の会場、増上寺の三解脱門。でかい。

裏方さんとして参加

12日(土)の『はじまりの島』上映会では、映画を観にいらっしゃった方たちが増上寺の広い境内で迷わないように会場までご案内したり、また13日(日)のトークイベントでは、急遽決まったZOOMでのライヴ配信で、ZOOMに入室してきた視聴者の方たちの承認操作など、また、サヤカさんと晃太郎さんのかわいい娘さん"すーちゃん"のベビーシッター役なんかもしたりして(笑)、この両日は裏方さんとしてお手伝いさせていただいておりました。すーちゃんとたくさん遊んでお友達になれたのは嬉しかったなぁーw👶✨

増上寺の大殿越しの東京タワー。
ありがちな構図でもお上りさんにとってはめずらしい。

特別展示「銀河観音」

12日(土)の上映会会場では、映画『はじまりの島』の舞台である久高島に大変ご縁が深く、サヤカさんとも久高島つながりで知り合った水墨観音画家の高杉嵯知(たかすぎ・さち)さんが、久高島の神聖なお水で墨をすって描かれたという「銀河観音」の貴重な作品3点を、上映会に合わせて特別に貸し出していただき、会場に展示されました。

高杉嵯知さん作の「銀河観音」。

スマホで撮った写真ではなかなか伝わりづらいのですが…厳重に梱包された荷を解きながら、実際に手に取って間近で拝見させていただいた作品はほんとうに素敵で、遠く名古屋から出てきてバタバタとしていた気持ちがすー…っと静まっていくようでした。

大好きなら大好きを表現しよう

映画『はじまりの島』は、もう既に何度も観ているのですが、観るたび毎に心に残るシーンや言葉が違っていて、観るたび毎に"初めて観る気持ち"に立ち返らせてくれます。

内地から久高島に移住してきてカフェを運営している女性の、「毎日昇る朝日や沈む夕日、満天の星空や月を眺めるのが大好き」という言葉が印象に残りました。その中でも特に、彼女が「大好き」と言う言葉のしみじみとした重みと温度が好きです。

彼女は内地から久高にやってきて、内地や沖縄本島に比べて物質的には必ずしも豊富というわけではない久高の暮らしぶりの中で、野菜などはほんとうに少ないから、普通なら捨ててしまうかもしれない芯のところまで大事に使うようになったというし、「モノが何もなくても、夕日をただ眺めたり、お友達とおしゃべりしたり、ただそれだけでも楽しいじゃない?」といいます。

この土日の上映会と対話の集いでは、かつて参加していた「藤田一照仏教塾」でともに研鑽を積んだ大切な仲間との久しぶりの再会がありました。

サヤカさんの様々なアクティビティ…『はじまりの島』や『Buddhist - 今を生きようとする人たち』の2本の映画、

それから"一照塾"などを通じて出会うことになった、サヤカさんから投げかけられる「あなたは今を、そしてこれからをどう生きていきますか?」という問いに共鳴しあう仲間。彼/彼女らとのつながりは、僕にとって心から大切なものだし、彼/彼女らは、茫漠とした日常に埋没しそうになる毎日が日々「はじまり」になるような、新しい気づきを僕に与えてくれる貴重な存在です。
「善友との交流こそが仏道の全てだ」と、お釈迦さまも仰ったとか。僕にとっては「仲間を大切にすること」そのこと自体を、また、仲間を大切にすることが自分自身を大切にすることになるのを、仲間の存在から教えていただいたようなものです。

心から尊敬していて大好きな彼/彼女らと久しぶりに会って言葉を交わして、また、言葉を交わさなくても隣に座って一緒に映画を観ているだけでもほんとうに満たされていて、名古屋から久しぶりに東京に出てきて観るところがたくさんあるだろうのに、1秒でも惜しいとばかりに広い東京じゅうをあくせく歩き回って観光しなくても、ただ夕陽を見ているだけでも楽しいという彼女のように、僕は十分楽しく満足でした。

そして、ただお星さまを観ていることが大好きと言った彼女のように、大好きだと感じたり思ったりしたものごとに対しては、これからは可能な限り「大好きだ!」と言ったり表現したりしようと思いました。

言葉で「大好きだ!」と言うなら、それがより伝わるような言葉を磨いていきたい。言葉で伝えきれないのなら、言葉なしでも佇まいや振舞いを通じて伝わるような身と心のあり方を深めていきたい。久高の夕陽を見るのが大好きな彼女の言葉に、大いに心励まされました。

直感で決まったロードショー上映

上映後の感想シェア・質疑応答の時間では、この映画が「UPLINK渋谷(当時)」でロードショー公開が決まった頃のことについて、サヤカさんに質問してみました。劇場にかける際には、劇場支配人が前もって作品を観ているはずで、アップリンク渋谷の当時の支配人さんが『はじまりの島』を観てどのような感想を持ったのか…。ミニシアターで映画を観るのが特に好きな僕は、そのことが気になっていたからです。

(下記リンク先はロードショー公開が決まる前に2012年6月にアップリンク渋谷で行われた上映会の案内ページ)

サヤカさんは、「当時のアップリンク渋谷の支配人は女性の方で、感想については何と言ってくれたかは詳細には覚えていないけれども、何らかの"直感"があって、それでロードショー上映を決めてくれたようです」と答えてくださいました。

これは、先日2月27日に名古屋で『はじまりの島』を観たときにも思ったことで、感想のnote記事にも書いたことなのですが、

この『はじまりの島』という映画には、久高ローカルのことを超えた日本全体に問えるような問題提起があった。良質な映画をより多くの人に届ける劇場支配人という立場の人がこの作品を観たときには、このユニバーサルな問題提起があったことがポイントになったのではないかと思っています。

サヤカさんの新たな変化

また、この質疑応答の時間では、特に"初めまして"の方に向かって積極的に声をかけるなどして、僕ら参加者との対話の場をサヤカさんが率先して運んでいこうとしていた姿が印象に残りました。

サヤカさんが作った2本の映画の上映会では、『はじまりの島』でも『Buddhist』でも、観る人はただ観て帰るだけではなく、上映会の場を主宰してくださった方とのトークセッションや、僕らのような参加者との質疑応答や対話の場が必ずと言っていいほど設けられます。

サヤカさんはご自身でも、言葉で気持ちを伝えたり、多くの人たちの前で何かを話すことに、これまでは苦手意識を持っていたことを認めていらっしゃるようでした。実際に、『Buddhist』上映会のあとのトークの場でも、気持ちが先行して言葉がなかなか追いつかない…そんなサヤカさんの姿を、僕も間近で見たりもしていました。

そんなサヤカさんが、今回は自分から進んで言葉をかけて対話を呼びかけていた…。2015年12月に初めて出会ってから、映画や一照塾などの様々な活動を追いかけながら見守ってきたサヤカさんのまた新たな変化の兆しを観て取ることができました。

晃太郎さんと合田先生の対話

翌3月13日(日)には、サヤカさんのパートナーでクラシックギタリストの西下晃太郎さんと、日本大学文理学部哲学科教授の合田秀行さんとの、「響きの世界の根源」をめぐる対話のイベントに参加しました。
催しの会場の「ユートリヤ(すみだ生涯学習センター)」は、"仏教的人生学科 一照研究室"のタイトルで行なわれていた藤田一照仏教塾の会場でもあった場所で、実に4~5年ぶりに訪れる曳舟駅からユートリヤまでの道程を、ほんとうにしみじみとなつかしい心持ちで歩いていました。

ユートリヤの最寄り駅、曳舟駅から望む東京スカイツリー。でかい。

ハイパーソニック・エフェクト

この対話イベントでは、急遽決まったZOOMでのライヴ配信のためのサポート、また、"すーちゃんのベビーシッター役"などの裏方さんとしてお手伝いしていたので、晃太郎さんと合田先生との対話の詳細について、ここでレポートできるほどには細部までお話を聴けていません。また、アーカイブ動画の視聴をまだしていない状態でこのnote記事を作っています。
そのような中でも記憶に残っている2つのことについて書いてみようと思います。

お二人の対話で出た話題の一つに「ハイパーソニック・エフェクト」がありました。これは、人間が耳で聞くことができる音の周波数(約20Hz~20000Hzの間の可聴領域)を超えて、音として耳で聞こえない音が脳に直接届いて様々な効果を及ぼす現象です。
(下記参考リンクは、パフォーミングアート集団「芸能山城組」による研究)

個人的な話ですが、僕はアナログレコードで音楽を聴くのが好きで、持っているCDのコレクションを少しずつレコードに入れ替えたりしています。
アナログレコードで聴くと、身体が疲れないし、同じアルバムを何度も聴いても飽きないし、聴くたびごとに新鮮な発見と感動があるような気がします。こんなところにも、もしかしたらハイパーソニック・エフェクトがはたらいているのかもしれませんね。

うちのターンテーブル。かわいい子。

りんごの佇まい -響きあう身体

ヨーロッパでクラシック音楽の教育を受け、またスイスの禅堂での参禅経験も豊富な晃太郎さんは、西洋と東洋での芸術創造の違いをりんごに喩えてお話してくださいました。

西洋芸術の創造性は、りんごを絞ってりんごジュースにするような、外から手を加えて、元々のりんごの形とは違う新たなものを造り上げていく。
東洋では、りんごの種が芽を吹いて、成長して幹や枝を伸ばし、花をつけて実らせる…そのすべてを、いまここにあるりんごの赤い実の佇まいの中に観て取る。

晃太郎さんが弾いてくださるギターの響きは、彼がそのときギターを胸に坐っている場所のずっと向こうの遠くから響いてきて、それを聴く僕の身体を透明にして、身体を通り抜けてずっと後ろの遠くまで響いていくような、そんな体感がありました。そのとき、晃太郎さんや僕や参加者の皆さんは、それぞれの個性が違いながらも同じ響きとして響きあっていたのだと思います。

僕の好きな英語表現で、"何事もなく無事であること"をいう「Safe and Sound」という言葉があります。「I hope you'll return safe and sound. (無事で帰ってきてね)」と言ったりする表現です。健やかな身心は"響く"ものなのですね。

(シェリル・クロウが9.11アメリカ同時多発テロにインスパイアされてつくった歌「Safe and Sound」)

3都市ツアーを終えて

映画『はじまりの島』と、サヤカさんや晃太郎さんたちと共に、名古屋から京都、東京へと巡ったツアーが終わりました。

(2月27日には僕の地元である名古屋で上映会でした)


(3月6日には、京都・龍岸寺にて「対話と音楽の祈りの集い」)

いわゆるコロナ禍で、多くの人がリアルに一堂に会して場を共有し言葉を交わし合う機会が減ってしまいました。ZOOMのギャラリービューの四角くて狭い枠を通してでしか人と会えない状況に、居心地の悪さや息苦しさを感じていました。

人と人とは、会わなければいけないのではないか。
リアルで会ってこそ人間なのではないか。

一照塾に参加したことで、仏教や禅についての理解がより深まり、坐禅が日々の習慣になりました。また、『はじまりの島』を観ることでは、宗教として様々に体系化される以前の日本古来の素朴なスピリチュアリティをあらためて知ることができました。
それらにも増して、この3都市ツアーで僕にとって大事だったのは、「人と人とが同じ場にただ居合う」、まさにそのことでした。

この3つの集いでは、集まった人たちがそれぞれの肩書き、属性、境遇などが一時的にでも保留されて、お互いが「いまここにあるただの端的な存在」として尊重しあっていました。
言葉を使った語り合いでは、皆が互いの言葉を真摯に聴き合う態度がありました。また、言葉を交わさなくても、皆の身体がただ存在しあっているだけで、そこには豊かなコミュニケーションが響きあっていました。
こういったことは、やはりリアルで会う場でないと、ここまで深まらないのではないか、と僕は思っています。

近鉄特急や新幹線を使って移動することは、実際問題として僕の家計にとっては少なからず大変なことではある…。けれど、

いま会いたい人には、いま会いに行く。

そのためにちょっとくらい貧乏になることなんて、少しも怖くない。

これからも、心の赴くままに、大切なひとに会いに行く、これから大切になるだろう人に新たに出会いに行くことをやっていこう…そんな勇気が静かにこみあげてくる3都市ツアーでした。

サヤカさん、晃太郎さん、すーちゃん、合田先生、それぞれの場でご一緒していただいたすべての方に心から感謝しています。ありがとうございました。

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