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「お金のむこうに人がいる」ってどういうことか、読んで考えた。
元ゴールドマン・サックス金利トレーダー田内学さんが書かれていますので、「紙幣の価値」「銀行の金庫」「投資とギャンブル」「貿易黒字」「国の財布」について勉強することができます。この本は、「知識を習得する本」であることは間違いありません。
その知識については、ぜひ読んでいただくとして、ここでは
本書の最後にある問い
「僕たちの輪」はどうすれば広がるのか?
について私が考えたことを書きます。
本書で語られた「お金の品格」について
「人とお金」の健康な付き合い方は
「気持ちよくお金を払うこと」と「喜んでお金を受取ること」と捉えました。
ちょっと、2つの話を聞いてもらえませんか。
ある家庭での「人とお金」
朝から満員電車で出勤、昼間は社内政治と自分の評価のために部下を怒鳴り夜は宴会部長で、土日は接待ゴルフをこなす父親は、家に帰ってくるといつも子どもを怒鳴りつけていました。
「お前、誰のおかげで飯が食えると思ってんだ?」
子どもは毎回「お母さんがご飯作ってくれたから」と思ったけど、母親はいつも「お父さんのおかげでしょ!」と言うので頷いていました。
今は、母親が食糧も買えるようになったから、「お母さんのおかげ」でご飯を食べています。たまに野菜を分けてくれる近所のおじいさん達のおかげでもありますが。
ある企業での「人とお金」
メーカーは、工場に製品製造を発注していました。発注数量が多くなり、工場の生産が追い付かなくなってきたので、工場は機械の稼働率を上げ、技術者24時間体制で対応させました。
しかし製造には、機械稼働だけではできない「人間が働かなければいけない」作業部分があります。
しかし、メーカーからは一言。
「全員徹夜で対応になると思います。ちなみに、発注数量多くなっているからコストは大幅に下げてくださいね。」
継続的な圧迫により、「お金を積まれても、もうできません。」と終焉を迎えました。
この2つの話は、「本当の意味でお金を大切にしていないと起こる」と考えたことです。
お金を払うこと=人を大切にすることではない
そもそも、お金は「自分ではできないことを人にやってもらうため」に払います。
「これできないからやって!」「いいよ!」という関係性は自分にどこまであるだろうか、と考えました。ほとんどの事は「お金を払わないとやってもらえない」ことでした。
そして、人に払ったお金に「人に感謝する、感謝を伝えること」まで任せてしまってるかもしれない。とも思いました。「こっちがお金を払っているんだから」という態度が横柄な人はわかりやすいです。
お金を払って「感謝する」というあなたにとって面倒な作業をお金に押し付けないでほしい。
しかし、これは「人ごと」ではありません。多くの人はモノやサービスを買う時に、検索、比較して、一番「コスパが良いものを選ぶ」のが当たり前になっています。そして「安くするのが企業努力だ!」と、お金を払う側が価値基準を押し付け、お金を払っていない人すら「高価格だ!」と言うことさえあります。恐ろしい・・。
自分のできることは自分でやればいい。お金を払ってから言いましょう。
お金をもらうこと=自分が我慢することではない
社会でお金をもらうために、「人のために自分ができること」を学んだり技術を習得します。ここで「他にできる人が少ない職業」は収入が高くなり、さらに持っている技術レベルやクオリティなどの提供価値にお金が交換として支払われます。
しかし、いつからか「ストレスを抱えた代償」としてお金を受取っている気になることも多くなり、ストレスを解決することもお金に任せてしまうのではないでしょうか。
だから、そのお金は払う時もその「我慢して稼いだお金なんだ!」という感情をぶつけたくなるのかもしれません。ストレスがない仕事というきれいごとではなく、お金を受取るための知識・技術・経験を向上させることが健康的なのかもしれません。
お金を払う、お金を受取る人間として・・
喜んで、気持ちよく働き、学習意欲を失わない場所で働き、その働ける環境を共に創り、価値提供を通じて、喜んでお金を払ってもらえる製品・サービスを作りたいと思います。
そうやって僕たちの輪が広がりますように。
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