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父の十周忌の食卓

先月に、父の10回目の命日があった。毎年、父にゆかりのある温泉旅館で、母と妹と過ごすのが恒例だったけど、今年は私が関西に引っ越したことと、コロナの感染拡大もあって、それぞれ別々にその日を過ごすことになった。

父の好物と言って、最初に思い浮かぶのは、ステーキ。父はビフテキと言っていたけど。わかりやすいご馳走が好きだった。まだ、会社員だった頃、私と妹が暮らしていた東京に来ると、ビフテキ食べるか、といって、銀座スエヒロに連れていってくれた。

メインはステーキを焼こうと決めて、父のためには瓶ビール、恋人と私のためには、5、6年前に東京で買ったまま、札幌、関西と連れて歩いてきた、ブルーノ・ジャコーザのネッビオーロ・ダルバを開けることにする。10年というのは、やっぱりひとつの区切りだと思うし、父の命日を家族以外の人と過ごすことになった初めての機会だし、ふさわしいタイミングな気がした。

もう一品くらい、父にゆかりのあるものを、と果樹庭の胡桃を割って、ブルーチーズとあわせてパスタをつくる。果樹庭の胡桃の木は、今となっては、信じられないくらい大きくなって、拾いきれないほどの実をつけるようになったけれど、父がまだ果樹庭に行っていた15年くらい前には、まだ数えられるほどしか実っていなかったんじゃないかと思う。だから、こんなにたくさん実るようになりました、みんなにもたくさんあげられましたよ、という報告も含めて。

でも、今回の食卓で一番よかったのは、実は音楽だったんじゃないかと思う。最初、私が父と暮らした最後の半年によく聞いていたバッハの平均律クラヴィーアをかけていたのだけど、恋人が「お父さん、バッハじゃないやろ」と言い出して、カラオケが大好きだった父がよく歌っていた曲をかけていくことにした。

「嵐を呼ぶ男」「銀座の恋の物語」「恋の町さっぽろ」「ブランデーグラス」...。かけていくうちに、ああ、父は石原裕次郎の歌が好きだったんだと気付いた。今頃になって。

そして、締めは、お通夜のとき、函館に単身赴任していた父に誘われてよく一緒にカラオケに行っていたという従兄弟から「お父さんの十八番だったよ」と聞いてお驚いた、ポルノグラフティの「アゲハ蝶」。家族の前では、一度も歌ったことがなくて、にわかには信じられなかった。でも、聴きながら、父がどんなふうに歌っていたのか想像すると、思わず笑ってしまう。それは、不器用でも、人を笑わせたり、楽しませたり、喜ばせたりするのが好きだった父と、結局はつながっていく。

来年の父の命日の食卓が、どうなるかはわからないけれど、最後に「アゲハ蝶」を聞くのが、きっと定番になるような気がする。

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