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”亡くした心”はいつも遠くで泣いている

ほんとうに忙しない日々が続いている。年度末であることと、職業柄4月は繁忙期で新人研修シーズンにはいるため、その準備とやらで時間に追われている。

不思議なもので、エンジンをふかしてスピードを上げはじめ、走りだしは快調なのだが、いつのまにかエンジンをふかしていたことを忘れ、気づいたときにはかなり消耗していることに気づくということが多い。

疲れていることに気づいて、仕事と自愛のバランスをなんとかとろうとしているのが今だ。

「忙しい」とは「心を亡くす」と書く。

忙しいとどうしても自分のことを慮ることを忘れてしまう。自分に意識をかたむけることもせず、心をひたすらに酷使してしまう。亡くした心に力はなく、その惨めさから自分を責め、他人を責めてしまう。そして、生活そのものが荒んでいく。

忙しいことはよいことだ。それだけ、仕事や同僚に求められているのだから。組織から必要とされずに、窓際族になるよりはよい。そうとも捉えられる。でも、心を亡くしてしまっては、自分にとっての仕事の意味は失われてしまう。

ぼくたちはぼくたちでいることを望んでいる。ぼくがぼくでいない時間が長くなればなるほど、”ほんとうのぼく”の存在は忘れ去られてしまう。忙しくなりすぎて、心が亡くなったとき、”ほんとうのぼく”は遠くで泣いている。理由のわからない涙が流れたのなら、それは要注意のサインだ。”ほんとうのぼく”がかじかんでしまっている可能性が高い。

もしあなたが今、そのような状態なら、急いで振り向いて泣いている“ほんとうのあなた“に走りより、抱きしめて慰めてあげてほしい。誰かに優しく接してあげたら喜んでもらえるように、きっと、“ほんとうのあなた”も喜び、あたたかい気持ちになれるだろう。

実際のところ、この1週間、ぼくは“ほんとうのぼく”に優しくしていて、少しずつ回復している。

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勝又康仁 人事と組織開発 HR&OD
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