心の中で描いていた童話の里を訪れてみると
その里のことは以前から時おり耳に挟んでいた。
「長くつ下のピッピ」の著者、アストリッド・リンドグレン女史の「やかまし村の子供たち」などを読んだあと、この里のイメージが自分の中で勝手に先行してしまったのかもしれない。
この里には、小さな平坦な村に小さな古い木造の家が点在しており、その中の数軒が飴屋さんになっている。そのようなイメージであった。
こちらでは先週末が「キリストの昇天日」に因む長期休暇となっていたため、長めのドライブに出掛けてみた。道路工事等で途中、渋滞に巻き込まれたため、その里に到着した時は正午をかなりまわっていた。
この里に辿り着いた途端、最初の思い込みが訂正された。
この土地は、平坦な場所に小さな家が点在する、というイメージからはかけ離れていた。ここはこの国の二大湖の一泓ヴェッテルン湖のほとりに位置していた。私の脳裏にあったこの里には水景は存在していなかった。
この国にも風光明媚な場所が多く存在していることを再認識させられた。パンデミックが現在よりも横行していた期間、旅をすること自体を半ば諦めていたのかもしれない。もっと国内を廻っておけば良かったと、先に立たぬ後悔をしてみる。
キャンプ場近くで、近くを通り過ぎていったどこかの子供達が、「ここで遊びたいよ、いいでしょ?」、と親にせがんでいた。親がなんと対応したかはわからない。
あの子供達が成長した時、彼らの追憶の中には、この里の風景はどのように刻まれているのであろうか。
白い砂浜の目前に広がる海原、その背後に佇む小さなコテージで家族と炊事をした思い出。その敷地内に設けられた城廃墟の模型、家族で競い合ったミニゴルフ等々。この時、手を繋いでくれていた両親は果たして離縁もせずに一緒に暮らしているのであろうか。
ストックホルムにて友人達と食事をする場合は、参加者同士で推薦レストランを提出し合い、激しく議論し合い、最終的に味、量、価格ともに満足出来るものを選んでいる。
今回は帰途を急いでいたため、深慮する時間なく一番湖畔に近いレストランに飛び入りした。味は可もなく不可もなくではあったが、量、価格には物申したいところであった。観光地なので選択肢が少ないのであろう。
二番目の思い込みはこの土地が平坦であろうということであった。飴屋の並ぶ目抜き通りからキャンプ場のある海原まではかなりの急勾配であった。
さて、この里が全国的、あるいは一部の欧州においても有名な飴、ポルカグリース(Polkagris‐Polka豚)の専門店を覗いてみることにする。
私が観光地を訪れる時は往々にして、家族および友人達に嫌がられるほど多くの銘菓を購入してしまう。次回はいつ訪れられるかわからない、これが最後の訪問になるかもしれない、という焦燥感が私の財布の紐を緩めてしまうのだ。ロンドン、パリ、マラガ、京都等の大都会になれば再訪する機会もあったが、訪れた土地がアクセスの良くない地方の町、村であった場合は、大抵の場合は再訪が出来ていない。
2600人前後の人口を擁するこの飴の里は、観光バス等でのアクセスは可能かもしれないが、通常は車がないと多少アクセスが面倒かもしれない。飴を購入した店にはドイツ人観光客が数人居た。皆様が訪れた際には是非、ご自分で飴作りを経験されて頂きたい。
この飴の里の名前はGränna(グレンナ)という。
今回の旅行は全体を通して、通常よりもかなり高額になった。
これには、世界的な物価高騰に加え、四日間の連休であったということと、土壇場で旅行を計画したことも起因している。
パンデミック以前、私は旅行は半年前に予定し、ホテル等の予約も半年前に済ませていた。大抵の場合、以前は、一泊一万円から一万五千円程度の三、四つ星ホテルを予約していたが、今回は三ツ星でも二万三千円以下のものを見つけることは難であった。日本からパッケージツアーにて海外を訪問される場合は多少割安になるのであろうか。
しかし今は、多少散財を強いられても、可能なことを可能な時に行っておきたい。まだ状況が比較的安定している間に、多くの土地の姿を、その美観を保持しているあいだにカメラに収めておきたい。いつ、どこで何が勃発しても不思議ではない時勢なのであろうから。
さて、そろそろ甘いものがご所望になられた頃ではなかろうか。皆様がここにいらしたとしたら、消費を手助けして頂きたいほど購入してしまったものがある。
人間は懲りない動物なので同じ過ちを繰り返す。
最後に
またまたこのような古い動画をひっぱり出して来るとかなり高齢な人間なのだろうと疑われる可能性もある。しかし、このような曲を聴いてみると、当時は今よりも夢があったのかな、などと感じる。
ロリポップ・ロリポップ・オー・ロリ・ロリ・ロリ ♪
ご訪問を下さり有難う御座いました。