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サイコパスと噂されていた美青年から教えられた処世術

 IT業界というものは、同じ分野のITであれば広いようで狭いものである。少なくともここスウェーデンではそうである。

 IT関係のパーティーで隣り合わせに座った人と10分も話をしていれば、大抵の場合、共通の知り合いの話題が上がるものである。

 その日、隣に座った人は男性の営業マンであった。私が、翌月から同じプロジェクトで働く男性ミカエルのことを熟知しているという。将来の同僚に関して非常に興味があった私は、その営業マンに、ミカエルがどのような人間であるのかを訊ねた。

 「頭脳明晰な男だ。しかし、非常に柔軟性に欠ける男でもある」

 頭脳明晰、頭が固い、どちらの性質も私にとってはあまり喜ばしくないものであった。


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 翌月になって、くだんの頭脳明晰青年とオフィスで対面した。

 彼は、時おり慈悲深い表情を浮かべる、アラン・ドロン似の青年であった。黒茶髪に深緑色の瞳が神秘的であった。エレベーターに一緒に乗っていても、乗り合わせた女性達が我先にと彼に話し掛けていた。彼女たちは私にチラチラと一瞥を投げていたが、それはさほど友好的なものではなかった。

 「この人と私のロマンスは、たとえお互い泥酔していても有り得ませんから、どうぞ敵対視しないで下さいませ」、と声に出したかったほどである。

 ミカエルは何事に対しても物腰が柔らかく紳士であった。ドアなどはかなり遠くからでも開けて待ってくれている。

 しかし、彼と三十分も話すと私は非常に憂鬱になった。微かに残存していた自信さえもを全て削ぎ落とされてしまうような錯覚を常に受けていた。

 彼の美しい口元から静かに紡ぎ出される語彙の選択は絶妙であった。毒を塗った鋭利なナイフの如く、彼と話す人間の心の奥深くまで突き刺さり後遺症を残してゆく。

 私は、ピアニストのように軽やかに滑らかにコードを打ち込んでゆけるスーパープログラマーではない。しかしそれ故に、どこかに論理ミスがないかを執拗に確認するためにミスは滅多に犯さない。さらに、約束したことはたとえ遅くなっても実行するようにしているため顧客からも信用がある。

 しかしミカエルにとって価値がある人間は、彼自身のようなスーパープログラマーのみであった。兎と亀が競争をしていたらおそらく兎の姿しか視界に入らないのだ。


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 ある雨の強い日、ミカエルと他の同僚が慇懃な様子で声を殺して会話をしている姿が視界に入った。明らかに同僚は憤っている。この同僚もまた、難問を多く解決して来たスーパープログラマーである。

 私は彼を小部屋に促して詳細を訊ねた。プライベートなことには関与しないようにしているが、その時の同僚は誰かと話をしたいように感じられたからだ。

 「ミカエルが思いやりに欠けていることは皆感じていたが、今回はとうとう一線を越えたよ。家族よりも仕事を優先しろと言っている。彼はおそらくサイコパスだな。サイコパスでもかなり重度だ」、と同僚は確認した。

 家族よりも仕事を優先?、東洋の某国ではともかく、スウェーデンにおいては、このようなフレーズには未だに遭遇したことがない。

 

 サイコパス、最近時々耳にする言葉である。Wikipediaにはこの性質に関してこのように解説されていた。

 1.良心が異常に欠如している。
 2.他者に冷淡で共感しない。
 3.慢性的に平然と嘘をつく。
 4.行動に対する責任が全く取れない。
 5.罪悪感が皆無。
 6.自尊心が過大で自己中心的。
 7.口が達者で表面は魅力的。

 確かに2項目と7項目に関しては、ミカエルに関しては見られた傾向ではあった。人の自尊心を傷つけても罪悪感が皆無である点に関しては5項目も該当するであろう。

 しかし精神的疾患に関しては充分な検査をした後、初めて診断が下されるべきである。憶測で他人にレッテルを貼るべきではない。診断に誤りがあることもあり得ることであろう。

 しかし、ミカエルは道端に座っているホームレスの人達を助けることもあるというので、(単なる売名行為でなければ)他人に冷淡、というわけでもないであろう。


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 情緒超安定人間と思われている私でさえ、ミカエルとミーティングをしている時には堪忍の緒が切れたことがある。パフォーマンスとは関連のないあまりに細かい事を指摘し始めたためである。

 「貴方には私に対する何か前向きな評価はないのですか?」、と思わず(冷静を努めながらも)反論してしまった。

 その二分後、私はさらに敗北感を味わった。

 ミカエルが私に関するポジティブな点を淀みなく羅列し始めたのであった。その多くは、顧客に信頼されているという点に関与したことであったが、一番密接に仕事をしている同僚でさえ気が付かなかった細かい点まで、ミカエルは精確(精密かつ的確)に羅列した。

 この人には到底敵わない。IT関連のパーティーで隣に座った男性の言葉が脳裏に浮かんだ。

「頭脳明晰な男だ」

 ミカエルは、接触した時間も短かったにかかわらず、私という人間を見事に精確に分析していた。ポジティブな部分もネガティブな部分も把握していたに拘わらず、選んで告げたのはネガティブな部分のみであった。他人の自尊心を奪う巧妙な技にも長じていたということである。

 ふたたび打ちのめされた。

 二人で一緒に会議室を出た直後、ハイヒールを履いていた私はつまづいた。その傾いた私の上体をミカエルはしっかりと支えた。

 「大丈夫かい?」、と訊ねた青年の美しい深緑の瞳の中には、一瞬思慮の色が現れた。その色だけは、緻密な計算をする間もなく現れた本音であったと信じたかった。


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 ある週末、散歩の途中でスポーツジムの前を通り掛かった。

 ジムは全面ガラス張りになっていたため中の様子が全て露わになっている。

 その中に見覚えのある顔を認識した。

 ミカエルであった。

 それともう一人、娘であろう、10歳ぐらいであろうか。

 私は彼らから見えない角度に移動した。その光景は他人の鑑賞を許さない雰囲気を与えていた。

 ミカエルはその娘に踏み台の昇り降りを繰り返しさせていた。

 何度も何度も。娘の方は不平を言うでもなく、しかし楽しいと言う表情でもなく黙々と、泣きもせずにその動作を繰り返していた。

 ミカエルはその横で、おそらく、娘を激励していた。


 次の日、会社に行った時、ふたたび驚かされた。 


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 「昨日の社会見学は楽しかったかい?」、と昼食の食堂に降りて行く途中、ミカエルが正面を向いたままさりげなく言ったのだ。返答を期待しているようでもなかったが、私は一応返答した。

 「はい、それなりに。あんなに小さい娘さんに長い時間、運動をさせてちょっと可哀想かな、とは思いましたが」

 私たちは同じテーブルに腰を下ろして昼食を戴き始めた。ミカエルは私を直視しながら言った。

 「僕はね、子供には、若いうちに出来るだけ苦労をさせることが正道だと思っている。君がそれほど長い時間見学してくれたなら気が付いたかもしれないが、あの子は身体の動きに多少不自由がある。子供の時に出来るだけ沢山の試練を与えられた人間は幸運だと思うね」


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 過保護の子育て方針を揶揄するもので頻繁に耳にする表現が数点ある。

 熊の親切->(子供に対して)良かれと思ってやっている親切は、実は親切ではない。フランスのファーブルの童話 (L'ours et l'amateur des jardins)から派生した表現である。熊が、寝ている友人の顔に止まっているハエを石で潰して殺そうとしたところ誤って友人の命まで奪ってしまった。

 カーリング親->(子供の行く先の障害物を常に除去しておいてあげる親)


 私は確実にカーリング親である。今でもそうであるが、娘達が私を必要としている時は全てを放り出して飛んでゆく。自分がカーリング親であったことを後悔することも、方針を変更することも、今となっては遅すぎる。しかし仮に、私のカーリング親性質が娘達を打たれ弱い人間に育ててしまったのであれば非常に遺憾である。


 この頭脳明晰な青年は、このように、幼少の時から試練を与えられて育てられてきたのであろうか。彼は子供の頃から全ての問題を自分の力で解決して来たのであろうか。

 スーパープログラマー、スポーツ万能、狩猟の免許も持つこの青年、彼にはどの方面の質問をしても即座に解答が返って来た。

 ほぼ完璧とも思える人間に成長した彼は、完璧であるがために他人の弱さを受け入れることが出来ない人間に育ち、サイコパスと噂されてしまっているのか。

 私にはわからない。

 わかっていることは彼が会社を去って数年が経ち、ようやく、亀は亀なりのペースで失った自信を取り戻しつつあることだけである。


今回もご訪問有難うございました。

今回はこの方々を紹介させて頂きたいと思います。最初の数か月はnoteには全く本腰を入れていなかったのですが、もうしばらく続けてみようかな、と私の考えを前向きに変えさせて下さった方々です。


一番最初にフォローをして下さったはまーさん

毎日、メンタル等に役立つ有用で高質な記事を配信されていらっしゃいます(現在は不定期配信)。とても礼儀正しく素敵な方です。

初期の頃にフォローをして下さった武炭宏さん

お互い曾野綾子氏のファンであると言う事で意気投合を致しました。非常に長文で真摯なコメントを下さった最初の方です。動画等、小説の紹介等を頻繁にされていらっしゃいます。自称アニメオタクだそうです。

Yasuさん

沢山の親切なコメント、時には1000文字ほどにわたる極度に学術的なコメントを下さりました。宇宙の写真、空手の話題、北陸の海岸の写真、いろいろな生活の知恵、等の記事を配信されていらっしゃいます。

Vielen Dank für Ihre netten Leute!