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家とミニマムと終活。。私が勝手に書評をかくそのわけとは。。

本当に、どうでもいい私の記録です。NOTEの使い方に慣れるまでやってみる。

私の家族には持ち家がない。
家族とは、夫と私と子供たちのこと。
夫の生家は、それはそれは著名な方の建築物で、その方は坂倉準三氏という方だそうですが、昭和12年のパリ万博の日本館も手掛けられたそうで、それだけでもどれだけ素敵な家だったのかと妄想が膨らむわけですが、


1943年の建築 龍村邸模型 出展:「建築家 坂倉準三展 モダニズムに住む 住宅、家具デザイン」

夫からよくこの宝塚の家のなかで繰り広げられていた思い出は聞かされていたので、彼が、なぜ家というものに執着しなかったのかは少し想像がつく。
お陰でといっていいものかどうか、わからないけど、夫は、私たち家族には何一つ、有形の資産は遺さなかった。

子育てをするにあたり、やっぱり”巣”があったほうが安心できる、と思い、「私が頭金を出すので、小さい部屋をひとつ持っていたい」と夫に相談したのは、息子が2歳のころだった。
「僕は、大地は自然からの借り物だと考えているから、個人で所有する気はサラサラないけど、あなたがそれを必要とするなら協力する」と言って、私がちょっと頑張れば手が届く範囲で買える小さなマンションの一室を購入するのを助けてくれた。

とはいえ、その部屋は家族3人で住むにはあまりにも小さくて、息子の成長とともに、私たちは広い部屋を求めて引っ越しをした。そこからはずうと賃貸ぐらし。家族が増えて4人になってもそのライフスタイルを変えることはなかった。
というわけで、そのときそのときに合わせて、なんともノマドな暮らしをしていたのだけど、私の不安は尽きることがなく、、、松本の里山で出会った古民家を借りられることになったとき、少し不安から離れられたわけです。
(これはまた別の話になるので、深くはここでは触れない。)

で、夫が亡くなり、息子は自活し、娘も今や独立しつつある今、私は終活に入ることにしました。娘が私の死後、1週間くらいで私の遺した日用品が片付けられる程度に、ミニマムになろうと決心したのです。

終活で直面したのが、ドキュメントの山と本の山とCDの山。
洋服と食器は、引っ越しの度に少なくしてきたので、すでにミニマムなのだけど、本には思いがありすぎて、手放せない。
いや、実はこれもだいぶ減らしてはいる。まず本棚を小さくして、そこに入る本だけにする、と固く誓い、それを守ろうとしてきたものの、もう、今や、本棚からあふれ、行き場所のない本が床に山積みになっている。
片付けようと手に取ると、読み始めてしまい、面白くて、そのまままた山積みに戻すという繰り返し。。。

ああ、もう、じれったい、私。
こんなに前置きを書かないと、書評をなぜ書くのかというモチベーションにつながらないなんて。これだから、手放せないの。このプロセスが私には必要なの、ともう少し、ダラダラ書くなり。

もう、あまりにも困って、FBで嘆いたら、たくさんの智慧が持ち込まれ、智慧ばかりでなく、私の本棚まで見たい、などともったいないお言葉までいただき、想像もしていなかったことなのだけど、手放し方のヒントを得た。それは、私がどうしてその本に出合ったのか、それをちゃんと言葉にしようということだ。

本との出会いは人生を変える、というのは本当だと思う。だから、私の人生に彩を与えてくれた書物を送り出すには、わたしなりの餞(はなむけ)の言葉を添えることが大事だと気がつかせてもらったのだ。

で、これからは少しだけ自分を振り返る時間が取れるかもしれないから、書いていこうと思う。


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