野のなななのか 凄まじい映画を見てしまったので、言葉にはならないことを言葉にしてみたい。 大林宜彦監督「野のなななのか」。 この映画をどんなに語ってもネタバレにはならないことを予め書いておきたい。観た人にしか伝わらない映画。 私の身体感覚から言葉にしてみる。 とにかく観ているのが辛い。椅子の硬さとかではなく、 スクリーンから醸し出される全てが辛い。 セリフは対話ではなく、役者のモノローグ。まるで見てはいけない朗読劇に巻き込まれたかのよう。 一体、この映画には終わりがく
息子が小学校一年生になったばかりのころ、個人面談で担任の先生から「龍村くんは宿題をしてこないのですが」と言われ、びっくりした。 「毎日、今日の宿題は何かな?聞いているのですが、息子は、宿題はないよ、と言うので、出してないのだと思っていました」 「あと、龍村くん、プールのあと、女の子の髪の毛をブラシで梳いてあげるんですけど、学校には学校に必要ないものは持ってきてはいけない、と伝えてあります。」 「えええ、すみません、知りませんでした。伝えます。」 息子に、聞いてみた。 「先生
ケイコちゃんと出会ったのは、1996年2月。マウイ島の空港だったかな。 その前の年の1995年の秋のことだった。コロラド州ボルダーから1枚のクジラのカードが届いた。差出人は星川淳さん。落日が大海原に最後の光を投げ落とし、月が昇り始めた水平線に姿を見せたザトウクジラ。あまりの美しさにただただ見惚れていた。 「普段はほとんど屋久島を離れないのですが、現在は家族ぐるみでボールダーに来ています。」 そのカードには、私が当時連載していた雑誌に星川淳さんの初の小説「精霊の橋」を紹介し
榎本英剛さんことヒデさんとの出会いは、どこから語ってよいかわからないくらい、昔からの知り合いだったような、同じ魂の旅路を歩んでいるような、だからこの世的にどのくらいの距離とか、時間とかが掴めない。 2017年、リン・ツイストとひょんなことから出会い(このことはまたいつか書きます)、アマゾンの森へ誘われた。そのとき彼女の口から話は出なかったものの、なぜか「探していた本物のシャーマンに出会える」と直感し、リン・ツイストとともにエクアドルのアチュアル族のもとへ訪ねることに迷いはな
自分自身のセンサーのなかに、真実を見極める力があるはずなのに、その真実を見失ってしまうのはなぜなんだろう。 たとえば、生まれた境遇が、経済的格差や差別など、自分にとって残念な状況であったとしても、人としての尊厳、生きる価値を見失わないためには、どんなことを学び、どんな心の鍛錬をしてゆけばいいのだろうか。 私は、自分自身の波乱万丈な人生を振り返ると、大抵は抵抗、または服従、諦め以外の選択肢を知らずに、もがいていたように思う。 でも、どんなランクに自分がいようと、パワーを手
本当に、どうでもいい私の記録です。NOTEの使い方に慣れるまでやってみる。 私の家族には持ち家がない。 家族とは、夫と私と子供たちのこと。 夫の生家は、それはそれは著名な方の建築物で、その方は坂倉準三氏という方だそうですが、昭和12年のパリ万博の日本館も手掛けられたそうで、それだけでもどれだけ素敵な家だったのかと妄想が膨らむわけですが、 夫からよくこの宝塚の家のなかで繰り広げられていた思い出は聞かされていたので、彼が、なぜ家というものに執着しなかったのかは少し想像がつく。
Noteの使い方が、まだ良くわからない、と呟いてみる。。。このつぶやきはどこにいくのだろう。。特にわからないのは、投稿後に編集したくなったとき、それは編集ボタンを押して、書き足したりしたあと、下書き???ふたつ、同じ文章が出来た???再投稿のボタンない???という戸惑い。。。。
心の整理がつかないので、徒然なるままに。。 高橋ライチさんが、FBで「セルフ・コンパッションの湯治場」の呼びかけを行ったのは12月16日の23時すぎ。ライチさんとはNVCのBeing the Changeリトリートで一緒だったのだけど、合宿中に彼女の在り様に何度か支えられる場面があった。 「一緒に帰りますか?」と寄り添ってくれたのはライチさんだった。講座が終わって、学びの場所である古民家から宿までの5分くらいの道のり。様々なワークのあとは心身ともにぐったりしている。 星空の
夫がこの世界にさよならをして、3週間も経とうとするのに、私の身体は、まるで地球が逆回転してしまっているのではないかと思えるくらい、時間と空間の感覚が麻痺している。 小さなことでも、手順が思い出せない。何をどこにしまったのかも思い出せない。今日が何曜日でいつなのかもわからない。 虚無感、喪失感。言葉にすれば、そういうこと?心の整理はどうやらつかないから、思い出すままに。 2022年大晦日。 夫のお気に入りの新宿御苑の森からの風が吹き抜ける部屋で看取るため、24時間体制で夫のそ
2023年1月2日午後3時。 夫が、静かに、本当に静かに息を引き取った。 彼と過ごした30有余年の歳月には、あまりにもたくさんのことがあって、 振り返る時間などないくらい、どの瞬間も濃密で、そして、10年くらい前からは夫の気性の激しさについていけず、心身ともに疲れ果て、一緒にいると、私の心も体も壊れてゆくということがあり、そこから私は私の苦しみの根源に深く深く潜りこんでゆく旅路が始まった。 彼にとっては、それを謀反と受け取ったに違いない。ますます関係性が複雑になってゆく。 い
どうしようもないかなしみや苦しみに苛まれたとき、人はそれをどう受け止めているだろうか。かなしみや苦しみの原因は、人それぞれである。 私たち“人”という種は、不完全なまま産まれてくる。産まれたその日から、ひとりで生きてゆくことは出来ない。だからこそ、「命を育てる・育てられる」という双方向の行為によって、ひとりひとりのなかにある「人を思う気持ち」「慈しみや思いやりの心」が花開いてゆく。 与え・与えられ、受け取り合う。私たちは自分以外の人とのつながりを、経験を通して深めてゆく。
書こうかどうしようか、迷い続けていたのですが、そして、noteを使いこなせるか全く自信がないのだけど、書いてみます。3日坊主になったらごめんね。 2020年2月のある朝。昨日までは毎日歩き続けていた夫が、ベッドから一歩も動けなくなっていた。 というより、上半身はベッドに仰向け、下半身は床。つまり、ベッドから床に足を下ろしたところで、激痛が走ったのだろう、上半身がそのままベッドに倒れ込み、動けなくなっていたのだ。 夫の様子を見に寝室に入ったところで、そんなことになっていたの