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昨年の今日を振り返り、思うこと。

少なくとも僕の周辺の人たちは健康を害することなく、毎日を元気に暮らしている。そんな一見何も変わらないような風景であっても、それは大きく以前と異なり、そのかつてあった、そうであったことにすでに懐かしささえ覚える。たった半年という時間軸、時間経過だというのに。

昨年の今日は信州・白馬エリアにいたと写真アルバムが知らせてくれた。今もここ新城で活動をともにする蜂須賀親子のMTBレースを応援していた。

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白馬のオリンピッククロスカントリーコースにて。写真を見て、今日も暑かったが、この日も長野にしてはかなり暑かったことを思い出した。写真の彼はこの一年で近くで見守る、他人の僕から見てもまたずいぶん大人になった。残念なことに僕には自身の子がない。だから主体的に子育てに関わることも、毎日その成長を見守ったり、喜んだりすることも誰かの子供を通して間接的にしかできない。けれども、それであってもやはり自分の周りの子供たちがスクスクと無事成長していく姿を感じられるのはとても嬉しいものだ。

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午後からはその蜂須賀親子とともに白馬・岩岳のゲレンデに場所を移してMTBを一緒に楽しんだ。僕らがどんな難局とも言える局面を生きていたとしても自然の雄大さはないも変わらない。けれどこれからの時代を懸命に生き抜いていかなかればならない次世代の希望のため、僕ら世代がこれからどのように生きて、どのような役割を果たしていくのか?それを誰かに無責任に任せるのではなく、一人一人が真剣に考えていく、いかなければならない、そんな時代がもう目の前に広がっている。自然の時間の流れや雄大さとは違い、僕らに与えられた時間は短く、その時の流れはあまりにも速い。だからもっともがいて、変化し挑戦しなければならない。

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そんな僕ら40代の世代が責任を持って一人一人で変化を生んでいかなかれば、次世代を嫌でも担わなければならない彼らに「なんで」とか「変われ」「がんばれ」「任せた」とこちら側の都合で、無理難題を押し付けたり、求めたり、世代のバトンを勝手に渡し、未来の問題解決を背負わすのはあまり身勝手で無責任な行為だろう。それにそんなことをしたならきっと彼はこう言うはずだ。

「(大人は)いつもずるいよ。そんなこと言われても困るし、知らないよ」

まさに、そんな彼らの声が今にも聞こえてきそうだ。そう、彼らに求める前に、彼らに幸せになって欲しいと願うなら、私たち一人一人が彼らが成長するように、彼らと一緒になって変わらなければ。そして彼らの成長し変化していく姿の中に学びを見つけ、その正直な声に耳をもっと傾けなければ。大人の都合は彼らの都合ではない。僕らの生きている時代以上に厳しくタフな時代を担わなければならない彼らにどのような世界、どのような可能性、どのような環境を提示できるのか、そこに私たち世代の責任がある。

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もう一度言う。いま真摯になって彼らとともに変わらなければならないのも、彼らとともに学ばなければならないのも私たちいい大人の世代だ。彼らは正直に自然と、素直に、僕らの有り様を反映しているに過ぎない。僕ら一人一人が繋がり絡み合い築いている社会の姿を。彼らが迷い、戸惑い、分断され、ストレスを感じ、繋がりを見つけれず、自己に迷うことが多いのであれば、きっとそれは私たちがその姿を毎日知らず知らずに見せているからに他ならない。

だから変わるべきは私たち、と、僕は子供の成長を感じるたった一枚の写真からでもそう思わざるを得ない。

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