狭い世界の窮屈な出来事
平日の午後、次男と三男と一緒にバスに乗っていた。
次男の用事からの帰り道だった。
始発のバス停から乗車したので、私たちは座ることができた。
小1の次男は本を読み、1歳の三男はわたしのお膝の上に乗っていた。
ときおり、嬉しそうに笑ったり、窓の景色を見て指を差しながら「あー!あー!」と言葉にならない喃語を話していた。
わたしにとってはごくごくありふれた日常の光景だった。
バス停を進むごとに少しづつ乗客が増えてきて、半分くらい来たところで、立っている人も増えて混んできた。
時間帯的に昼過ぎだからか年配の方が多い状況だった。
「最寄りの駅まであともう少しだ」と思っていたら、突然バスのアナウンスが聞こえた。
「もう少し静かにしてもらえませんか??」
という一言だったーー。
一瞬、「ん??」と思考停止してしまったけれど……。
それは特定の誰かに向かって発していないように聞こえるけれども、明らかにわたしたちのことだ、とすぐに悟った。
先に行動に出たのは小1の次男だった。
母親のわたしが一瞬、うろたえていた間に「〇〇ちゃん、しずかにしようね」と弟に向かって落ち着いて言っていた。
「なんて冷静なの!」と感心しつつも、6歳の子にそんなことを言わせてしまったことを同時に反省した。
次男はすでに「赤ちゃんの声は大人にとっては迷惑なんだ」となんとなく認識していたのだろう。
公共交通機関で移動するときは、「なんとか騒がないようにしなきゃ」と親が気を付けているのを見て、自然とそう察しているのだ、と。
わたしも「すみません」と平謝りし、内心ドキドキしながらあやしたけれど、三男はもちろん、運転手さんから自分のことが指摘された、なんてわからない。
乗り物が大好きな三男は、いつもミニカーで触っているバスに実際に乗れて、嬉しいのだ。
そりゃ、興奮するよね。
(大人だってそうなることもあるよね)
三男は、バスの中で、ご機嫌悪くて泣いて暴れていたわけではなくて……。
赤ちゃん特有のおしゃべりだったんだけど。
きっと、それが「騒音」「雑音」に感じる人もいらっしゃったかもしれない。
色んな背景、色んな価値観を持っている方がいるからもちろん色んな感じ方があるはず。
誰かが運転手さんに「うるさい、静かにさせて」と依頼したわけじゃなかったから、あの日は運転手さん自身がそう感じたのかもしれない。
過去には上の子の時に、バスの中で、おばあさんから面と向かって「うるさいから静かにさせなさい」と怒られたこともある。
同じような状況に遭遇したママさんたちがTwitterなどでつぶやくのを見ているし、わたしも何度か経験しているけれど、毎回、悲しくやるせない気持ちになる。
学生や20代の方たちの一部は、「子育てって大変そう」と結婚や出産に抱くイメージが前向きなものではなかったりすると聞いた。
(もちろん経済的なことも含まれると思うけれど)
そう思わせている社会の空気感や実態がずっとか変わらないのはなぜだろうか。
わたしたちは生まれたときはみんな赤ちゃんだった、というのは変わらない事実。
それぞれの世代で色々な課題や状況があるし、それぞれの人生でいい時も悪い時も巡ってくる。
それも含めて、もっとお互いを見守り合ったり、支え合ったりできる、関係性や気持ちが醸成されていくといいなぁと感じます。
わたし自身もできる小さなことから心がけていきたいです。
そして、改めて、こどもたちには窮屈な想いをさせたくないなぁとも感じました。