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二転三転したが、やはり原点に戻る

こんにちは。キオスクです。
noteの方針についてあれこれ考え、記事を書いてみたものの(「なんか違う…」と削除しました)、
やはり当初のやり方で行こう!と再スタートを切った次第でございます。

「あーでもない、こーでもないと悶々としていた姿を現しているわ…」と思い、こちらの画像を選びました。
ご提供ありがとうございます。

更新をお休みをしていた間、キオスクは何を考えていたのか?
さあ、プレイバック! (^o^)丿ゴーゴー


1.【0°】「ねばならない思考」にとらわれていた 


noteを始めた頃から、
「最低でも月に一回は更新しよう」とモットーに書いていました。


「お、2週間後にできたぞ(この調子だな)」

「ふー…できた…(いい感じだわ)」

「な、なんとか間に合った……ぞ(あ、危なーい…)」


楽しく書いていたはずが、更新したらすぐに「次の記事を書かないといけない」と見えない〆切に追われるような日々を送っていました。

2月に記事をアップしましたが、月一更新を守らないといけないという強迫観念に駆られて書いたものはしっくりこなくて削除しました。

この時点で「あれ?気づいたら『~ねばならない』って思ってる」と気づきました。

あと、
・定期的に更新しないと誰も見てもらえない
・書き漏れがないように完璧に書かないと
・本当にこの方向性でいいのかな…


など、「あら?これ、再誕前の自分の思考だ」と気づきました。


再誕とは何かについてはこちら


昔と今のキオスクを比較した記事についてはこちら


あるあるかもしれませんが、
「よし、過去を手放せたぞ!明日から新しい自分になるのだ!」
と思っても、人間は家電製品のようにスイッチを切り替えただけですぐに変わることは難しいです。

じっくり時間がかかるものですし、
「お、変わってきたかも?」と本格的に切り替わろうとする頃に過去の自分が出てきて、
「おいおい、最近どうした?昔の自分はどこにいったんだよ?」と悪魔のささやきのように誘われます。
(過渡期というやつですね)

悪魔のささやきと書きましたが、見方を変えると
内なる自分が「知らないところに行ったら傷ついちゃうよ?危ないよ?」と
危険から身を守ってくれようとしている防衛反応が作用しているんですね。

決して悪いことをしているのではなく、むしろ自分を守ろうとしてくれている存在なんです。

ですが、変わろうとしている人にとっては「じゃましないでよ。こっちは変わりたいんだよ」と冷たくあしらいたくなるのも頷けます。
(実際キオスクも経験して、あっさり悪魔様の言う通り前に踏み出すことを恐れてとどまったことがあります)

まあ…あれですよね。
内なる自分以外にも、周囲にも存在するわけです。
生まれ変わった自分を阻止しようとする方々がね。
自分にとおせんぼなさる方というのは、自己投影したものでございます。

内なる自分に「守ろうとしてくれてありがとう。でも、大丈夫だよ」と伝えてほしいです。

変わることは死に値するかもしれませんが、
((^o^)丿ココニイルヨ。キオスクの場合、頭の良さを悪い方に考える癖が長年あったため、つい負の思考の連鎖が浮かんでしまいます)
恐怖と向き合ったときの達成感はたまりませんね!

いや~生死の間を何度も行ったり来たりすると、挑戦することにためらってしまいますよね☆


過渡期っていつ頃に終わりを迎えるのでしょうか?
せかせかせずに、終わるのをゆっくり待ちます~



2.【90°→180°】思ったことを書こう 


上記の気づきを踏まえて、「無理せず自分のペースで書こうじゃないの!」と思い立ちました。


大まかにざっくりとこんな感じで〜

小見出しは3つぐらいかな?

最初から完璧に書こうとしなくていいよ〜
後から追記したらいいの〜

書いてる途中で「あ、書き忘れた」といった事態が発生しても、加筆修正したい部分にカーソルを持っていけばすぐに書けちゃうのがデジタルのメリットですな(^◇^)


これで楽しく書けるぞ〜といざ本格的に書こうとすると、またもや事件が。

……いっそのこと、方針変えようかな。


この頃のキオスクの心情をあげていきますと、

・一つの記事に同じ内容のことを書くのが億劫になってきたな…

・いっそのこと、文体とか口調変えてみるとか(一定難しいしな…)

・アニメの考察とか、何かの感想書いてみるとか


…といった、飽き性丸出しの思考でいっぱいの3月でした。

「よし、再スタートするなら、新年度の4月にしよう!」
と、記事の投稿を来月に決めて今年度の幕を閉じたのです。


それと、キオスク3月は色々と過去の手放しをしていました。
年末あたりから心のモヤモヤが溜まっていまして、主に過去の辛い経験が沸々と浮かび上がる日が多かったのです。

年末あたりに全て消化したぞ!と思っていたのですがね…

とにかく思い出すたびに紙に書き殴ってはビリビリ破って捨て、
思い出す、書く、破いて捨てるを繰り返しているうちに、精神的に疲労が溜まって寝込むことが思い返すと多かったな〜と。

しっかり体を休めてからnoteを書いたらよかったのですが、「〜ねばならない思考」にとらわれて休んでなかったですね。

春分の日がスピリチュアルの世界では元旦のようなもので(宇宙元旦といいます)、
お正月の元旦より、宇宙元旦のほうが「新年を迎えたな〜」という感覚にもなりましたし、体調が良くなった感じでした。



3.【180°→270°】違う、そうじゃない 


書いてみました。5月に
有言実行できる方を尊敬いたします。
キオスクは無言実行が良さそうです。

言っちゃうと「~ねばならない」思考に陥りそうで。
・言ったからにはやり遂げないと
・早くやらないと

noteに限らずですが、自分のペースでやらないとどうも体調不良になりやすいそうです。
doukiやsuiminbusokuを引き起こします。

誰かに課されているわけでもないのに、自分のやってみたいことにまでそのような思考になるのはきっと「何かトラウマがあるぞ~」と何となく思ったら、本当にありました。

本当は自分のペースでのんびりとやりたい気質ですが、
周囲から「早く」「どうしてできないの」やら言われてきたのと、

人生のなかった期間が長かったもので、周囲からしたらとっくに得ているであろうこと(勉強や常識など)をハイスピードで習得しないと、周囲に追いつけないと思ったのでしょう。

書いた記事を投稿してみたものの、「これ、本当に自分が書きたいものなのか?」と自問自答しました。

書いてみたい記事だな~とは思いましたが、このタイミングではない気がする…と。

書いた当初は「うん、これぞやってみたかったものだ」とまるで運命の何かと出会ったような感覚でした。
その際ほんの少しの違和感があったのに気づかず、投稿して少し経ってから直感的に「何か違うな」と。

そこで今回、この記事を書くことに至りました。



4.【360°】必要としてくれる人がいたらそれでいい


たぶんあれなんですよ、「多くの人に見てもらいたい」という思いがあったんですよ。

そうではないですね。自分の経験や考えを必要としてくれる人に伝えたいのさ!

あー…昔小説書いてた頃を思い出しますわ。
「たくさんの人に読んでほしいわ」と奮闘してたね。

どうして書いてたって?
それはね…現実が辛くて妄想の世界に癒されたかったのさ。

辛いときに文字にして癒されていました。
(自分で言うのもなんですが)艱難辛苦を乗り越えた人の言葉には説得力があるというのも納得できます。

思ったことを言っただけで、何故周りはこうも納得し、信頼されるのか。
尋常じゃない経験が顔に出ていなくても、オーラににじみ出ていたり、言葉に出ているんでしょうな。

自分の思ったこと、経験したことで誰かの癒しになればいいなと思ってnoteを作ったな…と書きながら思い出しました。


まとまらない文章で申し訳ないです。
これからも自分のペースで書いていきます。

何かあったら、またこのような報告をするかもです。

つたない文章でキオスクの数か月間の出来事が伝わったら嬉しいです。


それでは失礼します。

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