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【連載 コラム No.10】フッサールとトクオカを結び付けるもの
こんにちは、ライフシフトのnote担当です。
本記事は、弊社の藤井 敏彦講師が執筆する楽しく学べるビジネスコラムです。
是非、ご覧ください。
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フッサールとトクオカを結び付けるもの
フッサール(1859 - 1938)は現象学という哲学の始祖として、その著作は今日に至るまで広い影響を与えています。実際、フッサールの「現象学」に示唆を得た書物は哲学以外の分野でも多数刊行されています。
「職場の現象学入門」、「医療とケアの現象学」、「治癒の現象学」、「テロの現象学」、「フェミニスト現象学」、「顔の現象学」、「夢の現象学」、「遊びの現象学」、「世間の現象学」、「欲望の現象学」、「人種差別の現象学」、「自閉症の現象学」などなど枚挙に暇がありません。
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なぜこれほどまでに今日現象学が求められているのでしょうか。応用範囲の広さの代わりといってはなんですが現象学は非常に難解です。その難解さは「エポケー」、「現象学的還元」、「本質直観」などフッサールの使う用語の難しさにも一因ありますが、より根本的には我々のごく自然な世界の見方を180度転換することを求める学問であるというところにあるでしょう。
今までの自然なモノの見方を変えて別の世界の見方をすることを説く、という大枠においてフッサールとトクオカの考えは通底します。すなわち、イノベータシップにもリスキリングにも通じる何かがフッサールにはあるということですし、トクオカの論は哲学的な含意に富んでいるということでもあります。
とはいえ、結論に飛びついては読者各位を置き去りにしかねないので、この非常に重要かつ難解な思考について今回から3回に分けてお届けしようと思います。
まず、独断論を取り上げましょう。
世界でもより小さな単位の社会でも、組織においても他の人の言うことに耳をかさず「絶対○○が正しい」という独断論が溢れています。アメリカの現大統領はまるで「歩く独断論」のようです。会社にお勤めの方の中にも独断論の前に苦渋を飲んだ経験のある方、必ずいらっしゃるでしょう。
「世界は絶対にこうである」という独断論に独断論で対抗しようとすればどうなるか、過去の宗教戦争や資本主義対共産主義の争い例を引くまでもなく最終的には力の争いになり、勝者の独断論が生き残ります。世界は単一の価値観で塗りあげられ、多様性のない世界や組織ができあがることになります。
フッサールはこのような事態を望まなかった。
トクオカも同様です。イノベータシップには「常識」という名の独断論に切り込んでいく力という側面があります。独断論を突き崩していくことはイノベータシップの一部をなすわけです。会社において勝利の方程式として疑われていない「前提」に果敢にチャレンジしていく力と言ってもよいかもしれません。
独断論への抵抗としての「相対主義」
「相対主義」これは日本の会社ではもしかしたら珍しくないかもしれません。二つの陣営が「この戦略こそ絶対に正しい」と張り合って膠着状況に陥ることがあります。そんなとき、独断論を突き崩すときに登場するのが「相対主義」の考え方です。「ま、それぞれもっともなところがあるのだから、どっちもどっちで、どちらが正しいとも言えないんじゃない」というのが相対主義的仲裁になります。「絶対に正しいものなど存在しない」これが相対主義者の論です。
A,B,Cという見方のどれが絶対正しいということはない。それぞれは相対的なものでしかないのだから、ということです。
さて、一見大岡裁きに見えないこともないのですが、これでは会社としての方針が決まりません。そして結局どうなるか?会社ですと影響力の一番強い派閥や部署の案が結局押し通されることになる。そうなのです、相対主義の結末は結局力による決定になってしまうという点で独断論と同じ運命をたどることになります。
トクオカはリスキリングの文脈において「ベテランズロール」という言葉を使いますが、経験値の高いベテランが組織をまとめるときには、このような相対主義的論法は使わないはずです。
フッサールも同じく相対主義を悪しきアプローチと排しています。
さて、ここまでで問は明確になったかもしれません。
「独断主義にも相対主義にも陥ることなく〈普遍〉ないし〈力に頼らない共通認識〉をつくりだすにはどうすればよいのか?」
この答えを出そうとしたのが現象学です。
さて、それでは如何にして?
ちなみに上述した書籍のひとつ「職場の現象学入門」では「ものごとをひっくりかえして見る」という言い方をしています。さて、それはどういうことでしょう。
イノベーターのあなた、リスキリングを志すあなた、現象学はみなさんのためにあるといってもよい哲学です!
次回をお楽しみに~。