2度目の312
「結婚しよう」と決めてから丸2年。
今年も3月12日がやってきた。
3.11はFBでもテレビでも、新聞でも全てが震災一色に染まる。
その光景に多少違和感や戸惑いを覚えたりもする。
少しばかり震災復興に携わった人間として、この日は何か意思表示をした方がよいのかしらとも思うけれど、なんだか周りに振り回されているようで、流行に乗っかっている感じがして嫌だ。
そんなわけで、今年の3.11は静かになりを潜めて粛々と過ごしたわけなのだが、
我々夫婦にとって大切な日は3.12にある。
3月12日は結婚記念日だ。
別にプロポーズした日付でも、婚姻届を出した日付でもない。
結婚式をした日でもない(結婚式はまだしていない)。
2人でこの日を結婚記念日にしようと決めて誓い合った日。
ただそれだけのこと。
2011年の3月12日は福島県民にとっては忘れられない日だ。
当時、東京にいた僕はテレビ越しに絶望を感じていた。
「もう地元には帰れない」
そう思わせられた。
原発の最初の爆発があった日だ。
まだ出会っていない慈が郡山で絶望を感じた日。
慈はこの日に対してトラウマに近い傷を抱えていた。
そりゃ「死ぬかも」「今後健康に生きられるのか」と思えるような体験はそうそうあるはずがない。
僕は当時その辺ズボラで、
「死んだら死んだでしょうがない」
くらいの気持ちで南相馬に入っていた。
良くも悪くもこの出来事があったから2人は出会えた。
2011年の出来事について本質を理解し合える相手はそうそういるはずもない。
そして互いに結婚することを決意した。
2年前の3月11日深夜、2人は電話をしていた。
この日何をしていたのか、2年目の3.11をどのように感じていたのかを話合った。
彼女は札幌で避難者が集まる催事で「黙祷」の発声をし、僕は南相馬で仲間と海沿いに行き、真っ暗な闇と冷たい風に当時の悲惨さを感じていた。
2年前の3.11もFacebookのタイムラインは震災関連で埋まり、
どよんとした空気はパソコンの画面越しにも伝わってきた。
「この淀んだ暗い空気を払拭したい」
「明るい話題をどかんと提供したい」
そう話し、3月12日にFacebookで結婚報告を挙げた。
これが当時Facebookに挙げた文章。
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みなさまたくさんの祝福コメントやメッセージ、電話などありがとうございました。
本来直接お会いしてご報告したかったのですが、
このようにFBでの突然の報告で驚かせてしまった方々、本当に申し訳ありません。
実は諸事情があってまだ籍は入れていません。
しかし、2人にとっての結婚記念日はどうしても3.12にしたかったのです。
彼女は避難した札幌で僕は南相馬で、距離は約800キロ離れています。
新生活はどうするの?とか、どこに住むの?とか色々聞かれますが、未定です。
通常は、どこで新生活をスタートするのかはもちろん、
結婚式の日取りやら入籍の日取りやら決めてから結婚てするものなのかもしれません。
けれども僕らの状況では順序立ててそれを考えていくことはできませんでした。
距離はもちろん、彼女には札幌に避難するいきさつがあり、
僕には南相馬に戻ってきたいきさつがある。
それぞれに福島との関わり方があり、やりたいことがある。
どう考えても、一緒にいることが矛盾だらけの二人。
放射能がなかったら・・・お互いにそんなことばかり言っていました。
このままじゃ、一緒にいるなんて考えられない・・・じゃあ、まず結婚しよう。
もちろん、解決しなきゃならない課題は山積みで困難だらけなのですが、覚悟を決めました。
一緒にいる覚悟をしてしまったら、あとは住む場所、生活も決めるしかない。
どこで暮らすのかよりも誰と生きていくのかを優先して二人で決断しました。
震災がなかったら決して出会うことがなかったし、絶対に交わることはなかったと思います。
二人の人生が大きく動き、今後どう生きていくのか考えるきっかけとなった3.11。
その翌日を新しい人生のスタートにしたい。
今年の3.12は新月。何か始めるにはおあつらえ向きな日。
毎年、つらかった思い出を思いだす日じゃなく、幸せな思いも紡ぐ日にしたい。
前に進む日にしたい。この日にそんな思いを乗せました。
福島と正面から向き合ってきた僕らだからこそ築ける幸せがあり、僕らにしか作れない未来がある。
それを一緒に作っていける稀有な相手なので、どんなカタチになるのか自分自身楽しみで仕方がありません。
もし、それを築き作ることでどこかに住む誰かの希望になるのだとしたらこんなに幸せなことはないと思っています。
今回、みなさん一人一人の温かいコメント、メッセージ、いいね、本当に嬉しかったです。
みなさんがこの3月12日を少しでもほんわかと幸せな気持ちで過ごしてもらえたら本望です。
また色々と決まり次第ご報告させていただきます。
これからも共々宜しくお願いします。
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元々3月12日に結婚しようと決めていたのは、
2人にとって最悪な思い出を、良い出来事で塗り替えようと思ったから。
そして、悪い思い出をアップデートすることで慈が幸せになると思ったから。
復興の定義は人それぞれ。
僕の復興は震災で苦しんでいた1人の女性を幸せにすること。
彼女が幸せになったら、それはきっと福島の復興になる。
こんな風に幸せになっていいんだとメッセージになる。
去年の3月12日はこまさんが生まれたばかりでバタバタだったけど、
今年は家族3人でちゃんと塗り替えられた3.12を過ごせた気がする。
3.11が毎年お正月のような大晦日のような、1年の区切りとなっているわが家。
来年はもっと良い年に。
※この内容は2015/3/12に書いたものです。
ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!