僕のafter.311 《16》人生のターニングポイントにおける決断方法③
ここは間違いなく僕の人生におけるターニングポイントだ。まずは考えられるすべての情報と、結果を挙げて比較してみた。次に自分の大切にしている生き方に照らし合わせてみた。しかし最終的な決断をするにはもう少し考えたい。
もう一度現状の整理だ。僕は現在独身で妻子もいなければ彼女すらいない。誰に相談することなく、自分の人生を決めていい立場にある。もちろん、仕事の責任は果たさなければならないから会社には言わねばならないだろう。
損得で考えりゃ安定した収入があって、環境を変えずに済む現状維持の方が支出も少ないし圧倒的得。しかし、人生は損得で決めていいものなのだろうか。今自分の中に湧き上がっている『やりたい』『チャレンジしたい』という欲求に背を向けて良いのだろうか。今29歳、まだチャレンジできる年だ。自問自答すればするほど、被災地へ行く方向に気持ちが傾いていく。
考えすぎて頭の中がぐるぐるし始めた頃、ふと僕の頭に『後悔しないこと』の定義が湧いてきた。後悔とは、後から取り戻そうと思ってもできないからするものだ。後からでもできることは後でやればいい。逆に今しかできないことを逃したらそれは後悔するんじゃないか。
自分の故郷が大災害に見舞われ、放射能に汚染され、未曾有の事態に陥っている。そこへ手を出せる人は全然足りていない。こんな状況、きっと人生に一度きりだろう。千年に一度の災害が100年の間に二度も三度も起こってもらっても困るが、故郷の復興支援活動は間違いなく『今しかできない』ことなのだ。
サラリーマンはどうだろう。中堅社員になってきた今しか経験できないことはあるだろう。でも、復興支援活動ほどレアな内容でもない。それに、10年後にもう一度サラリーマンをすることはできるが、復旧復興は10年後では遅い。
『今しかできないことをやろう』
僕は何かを決断するとき、必ずイメージすることがある。それは幼少期によく遊んだ故郷の横川という川。水が綺麗で、水面の上からでも水中の魚がよく見えた。遊び場には砂防ダムがあって、水面まで大体2〜2.5mくらいあっただろうか。子どもが飛び込むにはかなり怖い高さだ。ダムのギリギリまで行って立つんだけど、足がすくんでどうにも飛び込めない。その場で本当に飛ぶ必要があるのかとか、怖いならやめた方が楽なんじゃないかとか色んな考えが頭をめぐる。子どもの頃、初めてこのダムを飛ぶことを決めた時、僕はこう思ったんだ。
『一歩踏み出してしまえば、後はなるようにしかならない』
って。今は放射能汚染がひどくて、もうこの川では遊ぶことはできないだろう。でも今でも僕の心の中には生きている、大切な川だ。悩んだときはいつも大切なことを思い出させてくれる。
ついに僕は決断した。
会社を辞めて、南相馬へと身を投じることを。
この日から僕はサンボマスターの『できっこないをやらなくちゃ』を毎日聞くようになった。この曲にどれだけ励まされたことか。
あきらめないでどんなときも
きみならできるんだどんなことも