変わりゆく大学の存在意義
・教育機関としての大学の役割は
大学全入学時代といわれて久しい時代ではありますが、その意識調査から面白いことが判明しました。
大学に入る目的意識の調査を始めたのが2000年代からですので、最近の結果から比較をすると、その意識の変化の中でかなり顕著な価値観の変化が読み取れました。
2012年が最新の結果なので少し古いですが、時代によって意識は変化していて、価値観的にはこの傾向を継いでいる可能性が高いですが、確かではないので、ここではこの事実を基に述べていきます。
大学卒の学歴を得るためという回答は基本的に30%台で推移しています。
下げ幅の大きな項目が二つあるのでそこが注目すべき点でしょう。
「友人関係・サークル・趣味などを楽しむため」という項目に対する数字が半減しています。
交友関係を広げたりするという目的は大きく減っていて、内向きな学生が増えていると予測できます。
コチラに関しては、他のアンケートでも、「生徒化」する大学生として問題提起されています。
要するに大学生なのに、先生から教えてもらえて当たり前と思っている高校生的思考で大学に通っている人が増えているということです。
そして、もう一つ大きく減少している且つ下げている幅も最も大きいのが「将来について考える時間が欲しかった」という項目です。
これはかなり問題だと考えています。
これは私自身が大学生をやっていても感じることなのですが、将来の目標や夢を持っている人が全体感としてとても少ない印象です。
そして、友達と将来の話をすることもかなり少ないので、この数値は今も低い可能性は十分に考えられます。
2012年時点で、大学に入った理由としてとりあえず入学する思考が強まっていることが見て取れます。
そして、入ったことにより将来について考えようとする傾向は大きく減少しているということが事実です。
そして、そこから考察できることは社会的に大学に入ることが慣習化していき、いわゆるデファクトスタンダードとなっていて、そしてその後もとりあえず就職するといういわゆるレールの上を走るという考え方が強まったと考えられます。
これにはいくつかの理由が考えられます。
一つは、リーマンショックから開けて落ち着いた時代の世代の子たちが大学に入るようになり、社会的安定から将来に対する不安を抱きにくくなったということです。
二つ目に、将来のことを考えなくてもある程度の生活が保障された上に、それが安定だと言われたからです。
三つ目に、親世代も大学に行った人が増えたことで、親からの教育で大学に行くようにと教育がなされるようになったと予測できます。
この二つから考えられるのは、大学とは教育機関という役割よりも、社会人になる前の「通過点」としての形骸化したものになってきているようです。
・就職のためのサラリーマン育成学校なのか?
これに関しては先日、カリスマ経営者の方が大学教育に関して、言及したことで炎上していたことがあった。
実はこのコラムを書くきっかけもこの記事にありました。
要約しまくると、
「社会に出てくる新卒学生のビジネススキルがない人が多すぎるから、大学でもそういうことも学んで来い」ということでした。
それに対して、アンチは「大学は専門的な知識を得るところで、社会人養成校ではない!」と反論しました。
では、実際にどれくらいの人が専門的な知識を身に付けているのでしょうか。
また、その専門的知識はどれくらい社会に出てから役立つのでしょうか。
ここからは私の解釈ですので、参考までに。
大学で学ぶことは「学問」であり、ビジネスにおける「実論」とは乖離しています。
経営学を学んだところで経営者にはなれませんし、経営しなければ分からないものが経営です。
これは、ほぼすべての学問に言えることでしょう。
要するに机上での理論と、実社会の動向はタイムラグがあるということです。
これは当たり前のことですが、学問は事実を基に形成されます。
ビジネスは「未来予測」を基に形成されます。
この時点で大きく違います。
もちろん、研究者になって徹底的に掘り下げていけば、将来の予測は可能になることもありますが、人間を相手にするビジネスにおいては、常に変化が起こります。
これに対応することがビジネスの生き残り方です。
これは最近のビジネスのトレンドでもあるのですが、「課題解決」の価値は薄れてきていて、これからは「課題発見」の能力が求められます。
そして、今までは足し算のビジネス。つまり、いろんなものを掛け合わせた製品などがたくさん売れてきましたが、これからは引き算のビジネスに入っていきます。
iPhone使っていても思うことも多いと思いますが「この機能使ったことなくね?(笑)」ってやつです。
その機能を除いて安く作ることで普及させるのが引き算ということです。
つまり、既存の物に対して新たな課題を発見することが出来る人財が求められるということです。
大学で行うことはテストなどを解くことによる「問題解決」の力をつけることです。
ビジネスの求める能力とは乖離しています。
だからこそ、スキルがないと言われるのでしょう。
もちろん、基礎となる解決の力は必要なのですが、テストを暗記して答えるだけの作業なら高校生までで十分です。
大学では学んだことから、自分の興味を深堀させる必要がありますし、学外の活動で自分の興味と向き合い行動を起こすことを求められます。
・まとめ
大学は社会に出るための通過点的役割が強まっている中で、専門的知識を学ぶだけでは不足していて、個人の努力が必要ということです。
生徒化した学生は社会でも求められず、自らの興味に従い、自ら学びに行く姿勢が必要ということです。大学の価値は、その時間の多さにあると考えています。
余暇時間の使い方がその人の人生の質を決めるように、大学という余暇時間ともいえる期間で必要なのは、将来について考えてそれに必要なモノを身に付けるということです。
与えられる知識や経験ではなく、自分から得る知識や経験を得ることが本質的な大学の価値です。
だから、大学として必要なことは自ら思考する能力を鍛える教育です。
高校のような暗記したものをテストで試すのではなく、現状の物事に課題を発見し、それを解決する方法を他者と協力して考える経験を積むことで、本質的な社会人としての価値も高まるし、学びの質も上がります。
そこから始めて専門的な知識を得るフェーズに入らなければ、いつまでも与えられる前提での行動になり、社会に出ても会社の愚痴を言うということになるわけです。
知識も経験もお金も与えられるものではなく、取りに行くものだと学ぶ場所が大学になるべきでしょう。
以上が私の考えになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
大学に通っている方、大学に行こうと思っている方、改めて考える機会になってくれれば幸いです。
ではまた!