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生活保護で無くなるもの、得られるもの。

朝、週2日のゴミ出しの行き帰りに借家からちょっと離れた場所まで歩くのですが、その横が市内を循環するバスの停留所なんですね。

群馬県は各家庭、自動車があって当たり前な地域という認識ですが、私も南関東在住歴が長く幸いにも前夫が残した車があったのでこちらに引っ越してきても不便さはありませんでした。

車保有者はバス停は見かけるけど通り過ぎていき自分の目的地までの往来します。
好きな時に好きなだけ車を運転できる自由さがあります。

通り過ぎていたその場所は今度は私が必要とし、生活の移動手段となります。

今まで見えていた景色は変わらないけど、私の目を通しては変わっていくのだなと覚悟しました。

あって当たり前で家の前に止めていた車は恐らく早くて来週いっぱいか遅くても2週間以内には無くなる事が決まってます。
生活保護受給者は原則車の保有は認められず、借金返済もダメです。
たとえローンが終わっていたとしても今住んでる自治体では車保有を認めた例は1件もないそうです。
(内心、時代に逆行してかえって自立しにくい環境になるのにとは思ってます。)

なので現在ある車もローン途中で返済もできなくなるので引き上げとなります。

あと1年で払い終わるのに、結局は最後まで自分のものにはならなかったなぁ…
正直複雑な気持ちは湧き上がってました。
当たり前に玄関ドア開けたら車が目の前にあるのが、今度は何もない光景となります。

当たり前にあったものが無くなる光景。

市内にやたら出かけて楽しむという事は元々しないタイプなので、車がない事に悲壮感はありません。
これがもし、新しいもの好きで流行りに敏感、しかもショッピング大好きなら眠れない程ストレス溜まるのでしょう。

もうその時期は都内での会社員時代で終わったのでこのタイミングじゃなくて良かったです。

しかし、これから再就職となると。
バス通勤、場合によっては電車も使うかなと考えてます。
都内なら車無くても電車通勤メインだから仕事行けるのになぁと鬱々としてしまいました。

これからの通院もそうですが、いったいどうすれば?と考えてしまいました。

こうなると『なくなる、ない』ものにずっと考えが集中してしまい、確実に自分を責める方向になってしまいます。

こんなふうに落ち着いてnoteをかけるまでは3回くらい不甲斐なさで大泣きしました。

でも、それでスッキリしたみたいです。

で、今日はメールで届く仕事案内を見て
「仕事しないんだからいる?要らんよね?」と配信元のアプリを次々に削除しました。

その時に凄く未練タラタラの気持ちが湧くかな?と思ったらシーーーーン!笑

あー、いっぱい消えた〜!

タイミーどうしようかな?でも車で行けんのだから、残しても仕方ないよ……

そうだ、食材は宅配にしなきゃ。
近くのスーパーまで自転車なんて車の往来もあるし微妙に行く時、登り坂だし。
無理や……届けてもらう方がいいや。

何処かいいかな?とあちこち探してみる時間もため息や鬱々とした気持ちにならないんですね。

あれほど働いてこの生活復活させてやる!なんて思ってた気持ちはどこ行った??

あえて無くなっていくものが他の体験を得られる機会を作ってくれてたのかもしれないです。

『失ってはじめてわかる大切さ』ってありますが。
それは今までの便利な生活さを失ってわかる大切さは自分の身体と心を復活させることでした

どうなるかはわかりませんが、これからの生活をここにも書いていきたいと思います。

最後までご覧いただきましてありがとうございます。

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夢葉輝香(ゆめは ききょう)
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